ふいに出会ったフォビアは、その瞬間は「キョトン」なんですけど、あとからジワジワきます。そしてそれはなかなかひかない。もしかしたら、一生ひかないかもしれませんね。仮にひくとしたら、そのフォビアを打ち消す「なにか」があった時、それに相殺される感じで消される。
「ひく」という受動ではなく「消す」という能動。そこには打ち消してくれる「他者」と、消そうとする「わたし」の両者の意志が働く。
いや、「消す」は消えるからなくなることになる。そうではなくて、そこに存在し続けるけれども、「つ」になるということ。「無化」かな。
とりあえず、まだ「つ」にはなってないけど、「やる」ことが「つ」へとつながる行為。そこに「他者」はいるはず。そしてすでにいる。