この間、ずっと考えをまとめなきゃならない状況が続いています。すると、自分の意識はどうしてもそちらにいってしまう。
もちろん、その考えは「社会」とのかかわり抜きにはありえない話ではあります。でも一方、歴史や積み重ねられてきた思想、あるいは手元にある素材を自分がどういうコース料理へと仕上げていくかという話なので、やはり自分の中へ深く潜っていく必要がある。
自分の中へ潜っている時は、耐えられないほどの苦しさはあるけど、同時に静寂に包まれていてとても心地よい。ところが、グッと潜って、息継ぎのために浮かび上がっていると、そこは、とにかくおそろしいまでの喧騒です。そして、あまりにも流れが早い。取り残され感もあるし、ギャップもあるし。そんな感覚にめまいがします。
でも…。と思います。
ほんとはその喧騒を少し俯瞰したところから眺める必要があるんじゃないか。流れの早さに惑わされずに、でも流れの早さを感じられる距離で、そしてそこに翻弄されるひとりの人間として、その喧騒をとらえたとき、少し違う風景が見えるんじゃないか。もしかしたらその場所は静的ではなく動的な距離の保ち方なのかもしれない。そのバランス。
深く潜りつつ、時に流れの近くに行き、あるいは流れに巻き込まれ、でもそこからほんの少し離れて俯瞰し、そして常に考え続ける。そんなことしなきゃと思うのですが、そのバランスをとるには、どうやら、今の自分の脳みそのキャパは限界のようです(笑)。
まったく、どうしたものやら…(;_;)。