で、呑み会。
来ないんですよねぇ。
「いや、ちょっと」「あらかじめわかっていたら」「体調が」
んなもんね!体調がなんだ(笑)!
てことで、呑んでいたのですが…。
やはり、若手教員にとって、ロールモデルがいないことが深刻なのかなって話が出てきました。
同和教育に限らずですが、言葉では伝わらない。具体的な「協働」を通さないと、たぶん無理です。で、その「協働」をする人がどれくらいいるか。
わたしにはいました。なので、その成れの果てが今のわたしなわけです。じゃ、今のわたしは?むずかしいですね。若手教員と「協働」するきっかけがない。いや、ほんとうは無数にあるんですが、うまく機能していない。
そんなもどかしさを感じながらの飲み会でした。
でもね。グチを言ってもしかたないです。前を向くしかないですね(^^)。
日: 2014年7月30日
同和教育の継承
今日は午後から研修会。かつて中学校で教頭をされていた方の講演会です。タイトルはズバリ「同和教育の継承」。さてさて、どんな話だろ。
話を聞きながら、「伝わるかなぁ」と、ふと思いました。それは、話の中に出てくる子どもたちの姿が、今の子どもたちとあまりにも違うってことです。
例えば「荒れ」。「非行は宝」という言葉が現役だったのは、わたしは教員の駆け出しの頃のことです。まさに「荒れ」や「非行」という言葉がそのままあてはまる子がいました。逆に言うと、「荒れ」や「非行」は、ある特定の生徒に集約され、そこで顕在化していた。だからわかりやすかった。ところが、今は、なんか「エントロピーはもりもり増大する」って感じで、顕在と潜在の境界線はあやふやになっている。
例えば「貧困」。これも同様です。社会全体の格差は拡大して、貧困は深刻化しているにもかかわらず、顕在化しない。いや、特定の学校に集中しすぎているのかもしれません。あるいは、本当に貧困な層は子どもを持つことすらできないから学校の課題にならないということもあるかもしれない。
で、こういう状況の学校にいる若手教員にとって、かつての「荒れ」「非行」や「貧困」を題材にした時、それは伝わるのかなぁとふと思ったのです。なにかもっと、今につながる事例を題材にしないと、肌身で感じてもらうことができないんじゃないかなと思ったんですよね。
でも、ほんとうによくまとまった、わかりやすい講演でした。こういう講演、みんなに聞かせたいんだけどなぁ。でも、若手教員、みんな忙しくてこういうのを聞くヒマがないんだろうなぁ…。
なにか、どこかにボタンのかけ違いがある気がします。