わたし個人の「おべんきょ」も、本腰入れないといけない段階になりつつある今日この頃です。とりあえず、いろんな人の話を聞かなくちゃ。
ふだんしゃべりまくってる(笑)わたしが、他の人の話を黙って聞くって想像できないかもしれないけど、お酒飲んでなければ聞けるんです(笑)。
で、今日はHくんの話を聞かせてもらってたんですけど…。
「話を聞かせてもらう」って、ある意味残酷なことなんだなって、あらためて感じました。
「当事者から搾取する行為」と言ってしまえば、とてもクリアなんですけど、そういうポリティカルな、ある意味定形的なひとことにはまりきらない「残酷さ」をHくんに強いているということを感じながら過ごす時間でした。
なんだろ…。
話を聞かせてくれる人って、基本的にはなんらかのしんどかった過去を持っているんですけど、でもその「しんどかった過去」に一定の評価をするところまではきていて、まぁ「冷温停止状態」までは持ってきているんですよね。でも、その「しんどかった過去」を聞かせてもらう、しかも「意図を持って」「掘り下げて」あるいは「しつこく」聞かせてもらうという行為は、「しんどかった過去」を「臨界状態」くらいまで持ってこさせてしまうことなんじゃないかなぁと思うんです。
でも、そのしんどい行為につきあってくれるわけです。なぜなんだろう。どうやって返せるんだろう。まぁ「形にする」なんていうのも、これまた定形的な言葉で、たぶんそんなものでは返せない。というか、返しようもないんでしょうね…。
まぁ、その日については「ごはんをおごる」くらいのことでごまかしてるんですけど^^;;。
なんてことを考えながら、Hくんの言葉に耳を傾ける半日を過ごしました。
Hくん、ありがとね!
って、読んでないよな(笑)。