この間、p4cってヤツにすごく興味を持っています。ま、暴言を吐くならば、特段「うわこれなに!」というほどのことはない、というか「斬新!」って感じでもない。「うん(^^)」ってことなんですけど、それを「p4c」という形で提示された時に、例えば授業のあり方やクラブの運営、あるいは交流会なんかについて、新たな角度から光をあてることができて、自分の中にあったモヤモヤとした、でも大切に思ってきたことが突然浮かび上がる。そんな気がしています。
そうそう。
そろそろ試験前なので、恒例の勉強会がはじまっています。相互の教えあいの中で、子どもたちはともに考える経験をします。
とかく「すぐあきらめる」とか「考えようとしない」とか言われる子どもたちですが、なんか違うと思っています。それを言葉にしてくれたのがp4cです。p4cのスタートは「sense of wonder」みたいです。ならば、それをもじるなら「sense of awareness」かなぁ。「なぜ?」と小さな子どもたちが「問う」とき、その反対のところに「知りたい」「わかりたい」という欲求がある。わたしはそう思っています。
数学の話にするならば、おそらく、どの子どもたちの中にも「答えを知りたい」「答えにたどりつきたい」「解きたい」っていう気持ちがあります。でも、さまざまな挫折経験の中で、「答えにたどり着けない」と思い込んでしまってる。だから、「sense of awareness」を思い出すことからスタートです。
みんなと教えあっている中で、わたしのところに質問に来る子どももいます。そんな子どもたちに、わたしは教えません。
子どもたちは、自分の中に課題を解決する力があることを忘れているんだと思います。あるいは、その使い方に混乱している子もいます。そんな子どもたちに、課題を明確にすることや、どうすれば課題にとりくむ糸口がみつかるかなんかを、問を発しながら、ファシリテートします。そして、自分の中にある力だけで問題を解かせる。そのことが、次の問題を解けることとつながっていく。
わたしはそう考えています。
だから、わたしのところに質問に来た子は、逆にわたしからの質問に答えることで問にとりくむことになります。
い「この問題はなにを求めるの?」
生「ここの数字」
い「それをするために、何が課題になっているの?」
生「この方程式を解く」
い「その課題にとりくむために邪魔をしているものは?」
生「ここの数字」
い「その邪魔なものをクリアするためにはどうしたらいい?」
生「マイナスをかける。あっ!待って!解けた!」
い「ちょっと待って?なぜその方法で因数分解できると思ったの?」
生「えーと。ここがこうなって、これがこうだから」
い「ふーん、そっかぁ。すごいね(^^)!
さて、生徒も向こうに行ったし、またp4cのペーパーの続きを読もうかな…(^^)。