職場に着いたら、とりあえずパソコンに火を入れて…。さてさて、成績処理の最終段階です。ここからは「顏」は見ません。単純に点数だけを見ます。
点数を集計して、ソートをかけて、カチャカチャカチャ。
はい、出てきました(笑)。
一年間の長い「闘い」の最後は、あっけないほど簡単に終わります。
で、最後の会議。
担当者が出した原案を元に、みんなで論議をします。
「この子は○○な子で」
みたいな意見も出てきます。わたしは即座に
「その話はやめよう」
と返します。わたし、こういうところでは原理主義なんです。心情はあれど、それは論議に持ち込まない。仮に論議をするなら、みんなが納得するロジックを見つける。もしもそれが見つけられなければアウト。
教員って、たいてい「落とす」ためには授業をしてないです。基本は通したい。そこに私情をはさんでしまうと線が引けなくなります。いや、先を引く必要はないという根本的な論議はありだと思います。が、その論議をせずに線の引き方をあいまいにするのは、わたしにはどうしてもしっくりこないんです。
「長い闘い」の最中はとてもウェットです。しかし、その最後はドライである。要は、「そこまで」が勝負なんだと思っているということです。会議は勝負の場所ではない。
そんなことを考えながら、2時間半ほどの論議を終えて、今年一年が終わりました。
『こういうところでは原理主義』『最後はドライ』
賛成です。社会は(ごく一部に例外はありますが)普通、ドライですからね。小学校ならともかく、社会に出る日が近い高校では最後はドライであるべきだと私も思います。社会で生き抜く力を生徒達に備えさせるためにも。
あと、ついでに3/15分エントリの感想も。
『腰が抜けてへたり込んで』
そ、それはっ!。。。何かの式がある度に「首を寝違えて、列席する教員の列の片側しか見られなくなる」という、知人の民間人校長さんと似た症状ですね。ある種の教員さん特有の職業病でしょうか?お大事に
(^◇^;)
あー
その民間人校長さんと似てますね~
たぶん、「ある種の」教員の職業病だと思います^^;;。
あと、『線引き』について補足しとくと。
私、厳密に言うと高校時代、英語は落第だったハズなんですよねー。素点だけからしたら、明らかに不合格、落第、赤点。5段階評価で1か2が相当。
それが、一応授業に皆勤してたし、ほぼ毎回(当たる時は必ず)予習して行っていた(例えばリーダーの場合、作って持って行った訳はメチャクチャでしたけど)ので、お情けで合格にして貰って、かろうじて卒業したんです。
しかも、ウチがプチ貧乏だったので、大学に入った後、奨学金を貰いやすいようにと5段階評価で5までつけて貰った(こちらからお願いしたワケでなく、卒業してから分かりました。全教科の5段階評価の平均点数が4.3以上だと、少し割増のついた奨学金が貰い易いんだそうです)。そのおかげで、全教科の平均点数がなんとか4.3以上で、大学入学後、めでたく育英会特別奨学金(割増つきの奨学金)が貰えた。
なので、そんな私が「評価はドライであるべき」なんて書くのは本来オカシイのかもしれません。
ただ、大学入学後も就職後も、英語ではメッチャ苦労しました。大学でも結局お情けで、語学の単位が取れないのに卒業させて貰いましたが。社会はドライ。無能な人間は、それなりにしか扱われない(理系研究職の場合、英語が読めないと盲目で自動車を運転するようなものなので)。
なので、問題を先送りにせず、高校卒業にもっと苦労しておくべきだったなぁ、と今さらながら思うワケです。情けをかけて下さった先生方には申し訳ないのですが… 大学内や就職してからだと、脳もより劣化しているし、なにかと時間もないので。いずれ苦労するなら、若く比較的時間もある高校時代に苦労しておいた方が、結局身になったような気が、今はしています。