兵庫県小野市の「生活保護のギャンブル規制」の話。
なんとも息苦しいなと。なにより「通報の責務」ってのがイヤだなと。
試験監督やっていて、一番にらみを利かすことができる場所は「教室のうしろ」なんですよね。実は、うしろにいたら、寝ていてもにらみをきかすことができます。
つまり、大切なのは「見られている」という事実ではなく「見られているかもしれない」という警戒心というか恐怖心というか、そういうものを与えることなんです。
それと同じにおいを感じます。
でも、自分のすべての行為が「見られているかもしれない」と感じさせられるなんて。まさに監視社会です。そして、市民が市民を監視する時、「善意の市民」こそが監視をするんですよね。同時に「通報される人」を「非市民」へと定義づける。そして、その行為に疑いの余地はない。なぜなら「善」と信じているからです。
ちなみに、監視社会は監視する側も実は監視されている。「あの人、知っていて通報しなかった」みたいなプレッシャーが出てくる。
これ、かつては「癩患者*1」の隔離政策の時と同じかなと思います。
てか、すでに外国人には「改定入管法」以降、「就労条件」にかかわって、この手の監視ははじまっているんですけどね。
なんしか息苦しいな。
「市民」ではあるけど、「通報」なんてしたくないしされたくもない。
ちなみにいまは「生活保護受給者バッシング」の時期ですからそこが叩かれていますが、そのうち教員にも来るんじゃないかと。
「聖職者たる先生が、平日呑んでた」
と通報されて処分とか。そんなことになったら生きていけないじゃないですか(T_T)。
*1:ここはあえて漢字です