朝はまったく身体が動きません。
うーん。久しぶりに休みをとることにしましょう。それでもいろいろ、まるっぽ休むわけにはいかないので、少しだけです。
で、いろいろ仕事して…。
夕方は職会。
地方交付税と義務教育国庫負担金が削減されたことで、給料が大幅減。ま、この国は教育には金をかけないってことなんでしょうね。
と、お客さんが来られて、しばし懇談。高校に行けてない外国人の子どもの話を聞かされて、「うーん」と思いました。わたしになにができるだろう…。きっとできることがあるはずだから、それをするしかないですね。
で、早々に帰宅。
で、早々にダウン。
年: 2013年
あっちこっち
フィールドワークのあとは、少し身体をクールダウンさせなきゃなりません。そんな人が何人かいたので
「行きましょうか」
と。
わたしは個人的にはこのあたりでクールダウンしたかったのですが、他の人は「串カツ」とか言っておられるので、ここはあわせましょうかと。
てことで、時間調整のために少し歩いて、その後、ジャンジャン横丁へ。
軽く食べたところで、某所へ会議があるのでそちらに参加。
会議のあとは当然飲み会。
てなことをしていると、もう、身体はダウン寸前。
ダメじゃん(T_T)。
大きな宿題
今日の午後は釜ヶ崎のフィールドワークと講演です。こんなことやってて仕事って、少し気がひけるといえばひけるのですが、「行くこと」「見ること」「聞くこと」「感じること」はとても大切なことだし、なによりそれを「伝える」ことへとつなげることで、フィールドワークは生きると思います。なので、喜び勇んで釜ヶ崎へ。
わたしは記録担当なので、ビデオカメラと三脚とテーブルタップを持っていかなきゃなりません。もう、リュックはパンパン。お弁当が入りません。てことで、お昼ごはんは現地で食べることにしました。
さて、どこに行こうかな…。
と、ダメダメ先輩から天の声。
「西成行くならココルーム。!」
てことで、ココルームへ。
なかなかおしゃれでぁゃιぃ感じです。サイトには「ランチ」なるメニューがあったので、
「すみません、ランチありますか?」
と聞くと
「みんなで食べますか?みんなで食べるのがうちの名物なんです。もう少しなんですけど…」
と、なんか難解なことを言われてしまいました。まぁ、ちょい早めに着いたので
「じゃぁ「みんな」で」
ということで、しばし上田假奈代さんと話。というか、
「ダメダメ先輩に行けって言われまして。わたしいつきっていいます」
と自己紹介したら
「こないだいつきさんの話をしてたところで」
とか、これまた難解なことを言われてしまいました。
まぁ、そんなこんなで自己紹介をしているうちに
「そろそろ食べましょうか」
と声がかかったので、奥の座敷コーナーへ。
なるほど。これが「みんな」の意味ですか。簡単に言うならスタッフの昼ごはん時に一緒に食べるということなんですね。
てことで、机の上にはおかずがいっぱい!
たぶん、「みんなで食べる」ことに意味を見出しておられるんでしょうね。みんなで話をしながら食べると、なんともいえずおいしいし、なんとなく気が緩むのか、ふだんなかなか聞けそうにないこぼれ話を聞かせてもらったり。わたしも初対面なのに「居候気分」でごはんをパクついてしまいました。
で、昼ごはんを食べたところでココルームをあとにして、集合場所へ。
今日の案内は「野宿者ネットワーク」の生田武志さんです。
まずは、フィールドワークをするにあたっての注意事項から。そりゃそうです。生活の場によそ者が踏み込むことをフィールドワークというのですから、それなりの礼儀は必要です。
で、街を歩きはじめます。
わたしは大学時代に何度かカマには来たことがあるし、3年ほど前にも一度来させてもらっています。なので「新鮮」って感じではないのですが、やっぱり「来る」って違います。テレビなんかでは絶対に伝わってこない暑さとにおい。そして、きっとカメラでは捉え切れないであろう細かなところ。というか、カメラの場合も細かなところを捉えられるんでしょうが、それはあくまでもカメラさんやカントクさんの感性であって、わたしの感性ではない。あとは「ノイズ」の出す空気感ですか。
約一時間のフィールドワークで、カマの空気をたっぷり吸って、「喜望の家」へ。ん?ここ…。大学時代の夜回りの時に泊めてもらった家でした。そっかぁ、ここだったんだ。
生田さんの話は…。
おそらくは今の日本が抱えている「軋み」みたいなものがすべて詰まった話でした。
現在、野宿者の数は20000人。かつてと比較して激増していること。そして、広域化していること。これを生田さんは「釜ヶ崎化」と呼んでいました。そして、現在の特徴として、若者と女性の野宿者の増加がある。その背景にはさまざまなものがありますが、虐待とDVも無視できない要因である。
そしてもうひとつ、なにが一番困っているかというと、「襲撃」があげられる。数々の襲撃事件を紹介してもらいましたが、「襲撃」ではなく「殺人」ですね。そしてやっているのは10代の男性。つまり、中・高生であるということ。この子らは「人を傷つけないと生きていけない」状況に追い込まれている。「ハウスはあってもホームがない」という言葉が印象的でした。
ちなみに、「傷つけなきゃ生きていけないのは男性だけではない。女性はどうしてると思いますか?」との質問。自分を傷つけている。つまり、リストカットや拒食。たぶんODも入るんでしょうね。
つまり、襲撃をなくすためには「人に優しくしましょう」などという「道徳心」が必要なのではなく、こうした子どもたちの抱える状況をなんとかしなくてはならない。
わずか一時間と少しではあったけど、そんなこんなを聞き、考えさせられる話でした。
にしても…。
この話から、わたしは学校の中で、更に言うならば、人権学習の中で何ができるんだろうか。あるいは労働の学習を通して何ができるんだろうか。「野宿者にならずにすむ学習」?違いますよね。「野宿者に優しくする学習」?これも違いますよね。ふたつとも大切ではあるけど、それを目的にするのは間違っている気がするのです。貧困問題。それはそうなんですが、教材に落とし込むのはあまりにも漠然としすぎてます。たぶん、この間つくった教材は、そこのブレや迷いがあったんでしょうね。ま、ブレや迷いがあることが悪いとは思いませんが…。
いずれにしろ、すごく大きな宿題をもらえた半日でした。
「思想」を誰のものとするのか
今日は「石田梅岩」と「石門心学」が題材でした。とはいえ、石田梅岩の「思想」がテーマではなく「伝え方」がテーマでした。
そもそも儒教というか朱子学というか、そういうのって「読む」ことからはじまります。はじめは意味がわからなくてもとにかく読む。そして、言葉を身体化させて、思考の言葉を身につけていく。で、そうやって身につけた儒教の話をやりとりできる相手は、同じ言語を身につけた人なわけです。であるからこそ「素読」からはじまる儒教の習得の仕方が決められていた。
ところが、石田梅岩は、メインストリー厶の儒学の勉強をしていないんですね。でも、「体得」してしまった。体得してしまったけど、メインストリームの儒者からはぜんぜん相手にされない。でも、体得した限りは「伝えたい」と思う。で、「一番伝えなくてはならないのは?」って考えた時、それは儒者ではなく一般大衆であると考えます。一般大衆とは、例えば「第一次産業ではないがゆえに差別されていた商人」であり、あるいは「女性」であるわけです。そういう人たちに伝えるためには「文字」ではなく「講話」のほうが伝えやすいわけです。
そこから、「いかに伝えるか」という試行錯誤がはじまり、やがてそれは「道話」という石門心学の「伝え方」へと結実していきます。
それまでの儒教との一番大きな違いは、「Mass・rogue」であること。それまでは「Dialog」、すなわち一対一で「思想」を師匠から弟子へと伝えていたのを、大人数を相手にした伝え方へと変わっていくわけです。
そこで例えば、「高座」みたいなものを用いることで劇場的要素を取り入れる。あるいは日常の言葉を使う。普通に起こる出来事を取り入れる。オノマトペを取り入れる。そうすることで、梅岩の思想は大衆に広がっていきました。
で、従来の思想史の考え方としては、梅岩はまぁいいとして、弟子たちは梅岩の思想をどんどん薄めていったと捉えられていたんだけど、そうではなくて、そういう「伝え方」をとったことそのものを評価すべきではないかという問題提起でした。
で、これを読んだわたしは大爆笑です。
まさにわたしが「お座敷」でやっていることそのままです。わたしの「お座敷」は劇場的でありパフォーマティブであると、わたし自身は思っています。そしてそれは、わたしの数学の授業にもあてはまります。
でも、ふと考えます。それは前回のテーマとも重なりますが、「批判的であることを身に着けていない人に「わかりやすく」伝えた時、学問としては死ぬ」ってことです。
「上手な伝え方」は、そのまま下手すると「洗脳」あるいはそこまではいかないまでも「だまし」につながってしまう。
じゃあ、そうではなく「自ら深めよう」とする伝え方との差はなにかというと、やはり「批判の芽をつまない」というところかなと思いました。そのためにはどうするか。そこで、「学びへの参加」が大切になるんじゃないかなと思うのです。
「参加」というと、つい「アクティビティ」と捉えられがちだけど、身体は止まっていても、心や頭が活動する「参加」ってある気がします。
つまり「正しいことをうまく教えるために伝える」のではなく「学びへの誘い」としての「伝える」です。たぶん、そういうことが必要だし、そういう「伝え方」を広げていくことが、社会全体が「洗脳」「だまし」に向かいつつある今、そういう流れに抗う一つの方法なんじゃないかな。そんなことを考えました。
破滅の音・再び
夜、家に帰って、「帰ってきた暴君ハバネロ」を口に放り込んだ瞬間「パキッ」って言いました。で、詰め物がポロリ。
また割れたか(T_T)。
交流会2連発
昨日の交流会があけて、今日は京都・在日外国人生徒交流会です。
考えてみると、6月は玖伊屋からはじまって、翌週は全国在日外国人生徒交流会の事前合宿。間に「まんまるの会」をはさんで、トランスジェンダー生徒交流会、京都・在日外国人生徒交流会。さらに今度の金曜日は「在日外国人生徒交流会・卒業生の会」と、かかわっている交流会がすべてあります。なかでも、この土日はやってる自分でも「アホや」と思います。
とりあえず初参加の生徒との待ち合わせ場所に行かなきゃならないのですが、時間がギリギリ。でも、走る体力の余裕がありません。不安やなぁ…。
でもまぁなんとか間に合って、マダンセンターに移動して、メニュー決め。さんざん悩んだ挙句、水ぎょうざ・トッポギ・チヂミ・生春巻きに決定。
まずは皮づくりから。ここで中国帰国の子が大活躍です。あっという間に皮をこねてしまいました。その生地を見るとうっとりするほど滑らかです。すごい。
今回の水餃子の具は卵とニラとエビのすり身を混ぜたものです。これもささっとつくってしまいます。さらに
「ラー油、つくりましょうか?」
で、これもあっという間。この子ら、ほんとにすごいわo(^^)o
途中、フィリピン人の子や韓国人の大人も参加しながら、みんなでワイワイごはんをつくって、楽しい昼ごはん。で、自己紹介。
なんだろ。少し自己紹介を掘り下げると
「いっしょいっしょ!」
って声が出るのは先週と同じです。
い「日本に来て感じたことは?」
A「めんどくさいねん」
い「なにが?」
A「んー、めんどくさいねん」
B「あー、それそれ!」
みたいな。
でも、とにかく「この感じ」は自分一人じゃないってことを知ることが交流会の意味のひとつです。なので、今回もやってよかったなと。
みんなが帰ったあと、卒業生たちとしばしダラダラ。
で、6時すぎにK淵さんと
「どうしよう」
と顔を見合わせて、一杯だけ「白いビール」を飲むことにしました。
い「もしもわかばに行こうって言ったら、無理って言おうと思ってたんや」
K「うちもですよ」
そりゃそうです。
さて、うまいビールも飲んだことだし、家に帰りましょうか…。
あ、父の日か^^;;。
総括
当然交流会のあとは「まとめ」をしなきゃなりません。
しかし、まとめな参加者が20人オーバーってどうよ^^;;。ま、その人たちはこの「まとめ」のひとときまで含めて交流会と考えてる…。てか、こっちが本番なのかも。
仕事の関係で、交流会には間に合わなかったけどここから参加って人も含めて、わいわいと「まとめ」の時は過ぎていきます。わたしもここでは一参加者です。ゆっくりのんびりクールダウン。
さてさて、あしたに備えましょう(笑)。
これこそが(^^)
今日は今年度初のトランスジェンダー生徒交流会です。
今回は事前申し込みもけっこうあって、にぎやかな交流会になりそうな予感です。
とりあえず、いつもの通りアキさんと合流して買い出し。アキさん、さすがに慣れてきたのか、大きなスーツケースを持参です。助かった(笑)。
で、荷物を会場において集合場所に到着。
と…。
笑いました。なんぼ人がたくさんいるねん。てか、子ども多いし(笑)!
なんか、子ども会のキャンプの集合場所みたいです。
「交流会の人、行きまーす。わたし、いつきです!」
と大きな声をだして、集団の移動開始。
会場についたら食事づくりです。
「子どもたち、がんばってつくってね!大人の人たち、子どもをサポートしてあげてください!」
とだけ言って、わたしは餃子の皮づくりです。
それにしても、子どもたちがすごく積極的です。一生懸命包丁を持って切ってます。よしよし(^^)
で、焼きそば・焼きうどん・お好み・水ぎょうざの完成。
あとは子どもたちと大人たち…。というか、○ールなしとビー○ありって感じですか、ふたつにわかれてごはんごはん。
食事のあとは話し合いをしようかと思ったけど、無理ですね。子どもたちはかくれんぼをして遊んでます。若い養護教諭の方がずっと一緒に遊んでくれてます。もう、学童です。
そのうち、なんとなく高校生の輪ができ、保護者の輪ができ、教員の輪ができ、カウンセラーの輪ができ、輪からはずれてる人には誰かが話しに行き。それぞれがそれぞれの話し込みをはじめました。そんな人たちの姿を見て、
「うん、これでいいや。これがいいや」
という気になりました。
結局、交流会なんて一人でできるものではないです。たくさんのサポートしてくれる人と、なにより参加する人の「出会いたい」「話したい」「楽しみたい」という気持ちがなくては成立しないんだなぁと思いました。わたしができることは、「場を設定することぐらい」なんですよね。
でも、それでいいんでしょうね。そこより出過ぎてしまうと、たぶんこの空気は壊れてしまいます。
でも、せっかくです。やはりどんな人が来ているのか、お互いに知りたいんじゃないかな。なので、最後に大きな輪になって、全員の自己紹介。
メッチャ疲れたけど、それを越える元気をもらえた交流会でした。
うん。この子らが大きくなるまではこの交流会、続けようo(^^)o
久しぶりのスカート
今日は来月頭にあるO大学のゲストスピーカーのことで打ち合わせです。指定されたお店は、大阪府東部の街にあるエスニックレストラン。なんでも「エスニックな服装だったらワンドリンクサービス」らしいです。
エスニック…。持ってないし(T_T)。うーん…。あ、あれかと思い出したのは、三年前のXデーからしばらくはいていたスカートです。
てことで、駅で着替えて久しぶりのスカート姿に変身です。
ま、これはこれで涼しくていいけど、やはり歩きにくい^^;;。ま、しゃーないです。
で、打ち合わせはというと…。
なんだろ…。決まったのは座り方だけですか…。講義形式じゃなくて、輪になる。でも、きれいな輪になったら崩す。みたいな。あ、あとは「終わってから希望者は懇親会」みたいな。
んなもん、メールですみそうな話なんですが、顔と顔をつきあわせてやることに意味があるんでしょうね。
うん。有意義でした(^^)!
で、またまた引き返して
おべんきょが終わったあと、
「なんでこっち方面の電車に乗るんだ」
と自問自答しながら、再び滝井へ。
てことで、まんまるの会に合流です。
発泡酒しかないので、とりあえずチャリを借りてビールを調達。たまたまみつけた「アサヒ・ザ・エクストラ」なるものをゲット。
さて飲もうと思ったら、
「えー!いつきさんがアサヒを飲むなんて!」
と驚きの声が…。いや、わたしはスーパー○ライが嫌いなだけですよ。てことで呑んでみたら、悪くはない味です。でもこれで「思いっきり濃くした」とかいうのはなんだかなです。
ま、そんなこんなで、ダラダラ飲んでダラダラしゃべって、いつものまんまるの会です。気がついたら、10時半前。
今日も終電か(T_T)。