ランチビール→ヤクゲト→宴会

主催者の方がおべんとを用意してくださったのですが、それは子どもたちへのおみやげに(笑)。
で、U生さんと京都駅近くでランチビール。この半年少しおべんきょしたことや、ふだん考えていることなんかをとりとめもなく話ながら、ビールをごくり。おいし!カウンターを見ると、デスソースがあります。これをかけない手はない(笑)。辛っ!辛くても楽しいのがランチビールです。
てことで、一時間ほどビールを飲んでクールダウン。

いったん家に帰って子どもたちにおべんとを見せると
「わー(^^)」「いいのーo(^^)o」
と歓声をあげました。安上がりなヤツらです(^^)。

で、ふたたび街へ。今度はヤクゲトです。一時間半ほど並んだり待ったりして、ようやくゲット。ここ、センセがいいから、すごくはやってるんてすよね。

さらにそのまま「葉月」に移動して職場の宴会。体育系クラブの話で盛り上がりました。なるほどなぁ。勉強になるけど、やはり世界が違う^^;;。
さらに近くで宴会している職場の他のセクションの人たちと合流してカラオケでひと騒ぎ。ここでも体育系の人たちのサービス精神のおかげで大盛り上がりです。
ん?いかんいかん。終電だ!

リーダー研修講座か…

今日は午前に滋賀県でお座敷です。
で、なぜかこの間打ち合わせでご一緒したU生さんと合流。なんでもわたしの漫談を一度聞いてみたいとか^^;;。
「んなもん聞いても…」とは思ったけど、まぁええかな^^;;。
ところで、平日の午前にどんな人が集まるんだろうと思っていたら、各地の人権関係の担当者の方がずらり。しかも、一コマ2時間半で、午前・午後とあります。ガチです^^;;。たしかにこれは「リーダー研修講座」ですわ。
さて、みなさんの反応は…。
とまどっている人が数人かな。でも、興味持ってくださっている人はガッツリ食いついてくださっています。こちらがまぶしくなるほどしっかりとこちらを見てくださっている方。あるいは、前の人の影になった時、体を動かしてこちらを見てくださる人、難しい顔をしていて
「ウケてへんのかなぁ」
と思ったら、いきなりニンマリする人。
後ろの方ではU生さんもニコニコ聞いてくださっています。
もちろん「爆笑」はとってもうれしいけど、笑顔って大切ですね。もしかしたら、爆笑って内側から噴き出すものなのかも。それはそれでいいんですけど、笑い声の影に隠れてしまうものがあるかもしれない。じゃなくて、ニコニコゆっくり笑顔って、内側から湧いてくるものなのかもしれません。
そんなことを感じさせてくれる2時間半でした。

教育は娯楽的メディアに本当に敗北したのか?

半年間の楽しいおべんきょも、今日で最終です。
今日のテーマは大きくは3つ。ひとつは「子育て」をめぐる話。もうひとつは「学校と社会の教育力の関係」をめぐる話。そして最後は「マスメディアと学校」をめぐる話。それに「プロローグ」と「エピローグ」がついてるって感じです。
プロローグの部分は近世の教育と近代の教育のあり方の比較です。近代の教育は日本の近代化のための国家の設計による国民教育制度であるということ。そこでは、子どもたちが「何を学びたいか」がメインとなるのではなく、教える側が「なにを教えなくてはならないか」がメインになる。つまり、「教える側の論理」で教育が運営される。それに対して、近世の教育は、どこの誰からいつ何を学ぶかということはもちろん、学ぶ/学ばないまでもが選択の中にある。すなわち、「学ぶ側の論理」であった。
そういう時代背景をふまえて、まずは「子育てを誰が担うのか」という話が出てきます。で、「親が担わなければならない」のは近代以降のことであって近世では「生みの親」以外に「名づけ親」など、さまざまな「親」が存在し、さらに「子守」のように大人以外も子育てに参加していた。つまり、地域が総がかりで子育てをしていた。そのことにメリットがあるのではないかという問題提起です。で、近代においても地域の教育力みたいなものをもっと使わないといけないのではないか。学校はそのための「ハブ」的要素になる必要があるのではないかという問題提起がされています。
一方、近代の学校はあまりにも多くのものごとを抱えさせられている。なので、地域からの学校支援体制が必要なのではないかという問題提起が二点目の論点です。
で、最後の論点が商業的マスメディアの蔓延により、いまや学校は転換点を迎えているのではないかということです。端的に言うならば、学校というメディアは商業的メディアの前で敗北を喫していると。そこから、近代の学校はそのありようを大きく変える必要に迫られているという問題提起です。
で、「エピローグ」の部分は、学校における教育のみを教育とするのではなく、生涯学習へという感じですか。

まぁ、こうやって書くと、すでにいくども論じられた「いまさら感」ただよう話になるのですが、近世の教育との比較の中で論じられているので、なかなかおもしろいです。

が…^^;;。
やはり、どことなくむず痒いものがあります。
例えば、子育てのことひとつとっても、近世と近代の社会のありようの違いみたいなことをかなりすっ飛ばしているかなと。
たしかに近世では地域全体で子育てをしていたかもしれませんが、その前提として、居住地の移動の自由の問題があるのではないかと思います。A地域で生まれて、B地域に引っ越して、C地域の学校に通って…。なんてことが当たり前の世の中で、子育てを地域ぐるみで行うのはとてもむずかしい。
同じようなことは学校支援体制についても言えることです。だれが支援体制を呼びかけコーディネートするのか。いどうか緩やかな地域であれば、まだ比較的実現可能性は高いかもしれませんが、出入りがひんぱんな所では、たとえつくったとしても継承できるのか。学校の教員が継承?いや、それは支援ではなく仕事増=負担になります。また、教員も転勤をするので、継承は困難。
つまり、近世においては、生活が地域に縛られている不自由さと引き換えに、そうしたものがつくれた。近代は、地域と人間を切り離すことで自由を獲得し、それと引き換えに地域となつながりを失った。そんなものの考え方ができるのかもしれません。

ところで、もうひとつ。商業的マスメディアに学校は果たして敗北しているのか。
たしかに情報コントロールを学校が担えるかというと、すでにそれは不可能になっています。また、商業的マスメディアと学校というメディアの不親和性も言わずもがなです。
しかし、それをもって敗北と言えるのか。
おべんきょ仲間から
「近世の人は、勉強したからといって百姓が武士になれたわけではない。にもかかわらず、なぜ勉強したんだろうと、半年思い続けてきました」
という発言がありました。
まさにそれ!です。
「○○のために」ではない学びをする子どもたちはいまもいます。そこがこのペーパーの著者の観点からは欠落しているように思われてしかたがありません。
わからないならわからないなりに、それでもニコニコと数学の授業を受け、ときに解けた時にうれしそうに、誇らしげに○つける子どもの姿は、商業的マスメディアへの敗北とは対象的なところにあるような気がしてならないのです。

そんなことを感じながら、半年間のおべんきょが終了しました。

あー!なーつやすみ(^^)!

今日は最終おべんきょです。なので、終わってからセンセにも来てもらって打ち上げをしようと。
てことで、おべんきょの時間の前に買い出しです。
買い出しから帰る道すがら、おべんきょ仲間が
「いつきさん!このブルース、たまらんっす!」
とか言って、ビールの入った段ボールの上にスマホをおいて、ブルース聞きながら歩いていたんですけど…。
あー、おべんきょしてるんだなぁo(^^)o。たまらない気持ちになりました。
ちなみにおべんきょ仲間は
「2013年のおべんきょ風景ではないですね」
とか言ってましたけど(笑)。

また来ん夏と人が言う

ま、タイトルにさほどの意味はありません(笑)。
今日は赤点の子の補充授業。わずか40分の演習の時間だけど、すぐに
「休憩」
とか言うんですよね。ま、わかるんです。わかるんですけど、そこを越えたところになにかがある気がします。でも、その手前で
「休憩」
なんですよね。
どうすればいいのかなぁ…。

なんてことを考えながら自分の部屋に帰ると
「電気量がピークなんで、節電お願いします」
との電話。しゃーないから蛍光灯を消して、クーラーの温度をあげて…。暗っ!暑っ!
ま、しゃーないです^^;;。

久しぶりの日帰り合宿

わたしの転換点はいくつかありますが、ぜったいにはずせない日があります。それは、この日です。
たぶんこの日がなかったら、いまのわたしはいなかっただろうな。てことは、その後のわたしがいなかったことになるし、てことは、この日以降の出会いもあったかなかったか。例えあったとしても、まったく違うものかもしれない。それほどにまで大きな転換点でした。
でも、みんな忙しい。なかなか集まれません。
うーんうーんと、みんな考えていたんでしょうね。先日、Kま本さんから招集メールが入って、久々に四人でA久○さんの家に集まることになりました。もちろん今日も一品持ち寄りです。
わたしはそうめん+野菜各種の塩麹漬け。
たべものは、もちろんおいしい。でも、それ以上に話がおいしい。
そしてなにより、自分がリラックスしていることがわかります。そう言えば、このリラックスは、はじめの頃はなかったなぁ。みんな受けとめてくれているのに、わたしはそれを信じ切れなかったのかな。とすると、このリラックスは、自分が自分を受けとめられるようになったってことかな。
でもそれは他の三人の受けとめなしにはありえないことです。
みんなでケラケラ笑いながら、でもとても深刻な話もしながら、自分の問題意識を話しながら、楽しい時間はあっという間に過ぎていきました。
「またねー(^^)!」
「またねー(^^)!」

幾度繰り返すんだろう

朝、出掛けに家族四人で再度チェック。
「この人は?」
「あー、ほれ、このことについて書いてないやろ。てことは、態度を濁してごまかしてるねん」
「ふーん」
みたいな会話をして、自転車に乗って投票所に向かいます。
ほんとに直前まで悩みに悩んで、やっとの思いで入れました。
でも、ほんとにまったくワクワクしないというか、もっと言うなら絶望感しか起こらないんだよなぁ…。

あ、もちろん「統計」にはズレが生じそうで、それはおもしろいんですけどね。

転換点

さて、夏休み。普段できない仕事がてんこ盛りの夏休み^^;;。
で、夏休みがあるのはガッコだけではなくて、他の仕事にもお盆休みなんかがあるわけで。
てことで、この時期のゲンコは
「〆切厳守!」
です。
ところで…。申しわたられた〆切が、おべんきょレポートの〆切日とぶつかってます。しかも、月曜日にぜんぜん別のレポートも出さなきゃなりません。さらに、月曜日に他のレポートが降って来るはずです。
…。
死ぬな。これは死にます。
てことは、今日からとりくむ以外方法はありません。
てことで、朝からゲンコです。
内容的には、先月あたりから「転換点」なんですよね。スキーでいうところの「回転前半から後半に移るあたり」って感じでしょうか。一番不安定な時期を少しずつ脱出しはじめている感じです。
なんか書いていて
「いろんなことがあったなぁ」
と、少し和やかな気持ちで振り返れるようになってきました。
とは言え、今後「今」に近づいていきます。まだ評価の固まっていない「今」をどう表現するか。それはそれで今後の課題ではありますね。
てなことを考えていたら、書けちゃった^^;;。

学校の中で・地域の中で

なんか今度「リヴオン」というところが主催の学習会みたいなのがあって、
「パネラーをしてくれ」
って言われてしまい、できるかどうかわからないのに引き受けてしまい^^;;。みたいなことがあって、今日は打ち合わせです。場所は京都駅近くの沖縄料理のお店です。
沖縄料理と言ったら、当然オリオンビール泡盛です。はっきり言って、打ち合わせになる自信はまったくありません^^;;。
でも、幸いリヴオンのO角さんとU生さんは飲まれないみたいなので、安心です(笑)。
で、もうひとりのパネラーは「山科醍醐こどものひろば」のM井さん。
なんか聞いたことのある名前だなぁと思っていたら、おべんきょ場所のセンセから聞いたことがあったんですね。どこかでつながってるなぁ。悪いことはでけんなぁと思いながら、打ち合わせ開始です。

どうやら今回は「場」をどうつくるかみたいなことになりそうだなぁと思いました。
学校の中の「場」…。
たぶんいろんなところにありますね。例えば保健室。あるいは図書室の奥の方。あるいは生徒会室や放送室。
すべてが教員に管理されている学校において、その管理のすきまを縫って存在する「場」。それは偶発的に出現するかもしれないし、意図的につくりだすこともある。
たぶんそれがわたしがやっていることなんでしょう。に対してM井さんは学校外にそういう「場」をつくってる。で、O角さんは、そういうM井さんとわたしをつなぐ。

ところで、みんなで話しながら思っていたのは…。
学校の教員って、世間でいうほど「世間知らず」ではないと、わたしは思っています。思いもよらない広い世界を知っている人がけっこういます。
ただ、一方で思うのは、その中にはけっこう「学校と地続き」な広さの中にいる人もいるんじゃないかなってことです。
なんだろ…。
例えば、あるクラブ活動で全国レベルで交友範囲がある人がいるとします。この人、たぶんそれに付随して、そうとう広い世界を知っているんだろうなと思うのです。でも一方、それは学校と地続きな世界でもある。
まぁ、教員という仕事をしているわけですから、学校とまったく切り離された世界っていうのは難しいと思います。それは、例えば、別の業種であっても、やはりその業種からまったく切り離された世界で「もうひとつ」生きるのはとても難しいということと一緒です。
ただ、その「続き方」って大切かなぁと思いました。べたーとした続き方なのか、せまーく続いた先にあるのか。
わたしはできるだけせまーい続き方の先にあるような「地続き」でありたいなぁと思うのです。

SSTキタ━(゚∀゚)━!

今日の話は「ソーシャルスキルレーニング」についてです。
これ、去年ガッコでやらされたので、まぁ中身はある程度はわかってるんですが、プロからきちんと、それも学問的に話を聞くのは、またとない機会かなと思い、ちょっと期待が高まります。

最近のガッコのセソセイたち、「人間関係づくり」が子どもたちに不足してるって考えているみたいってところから話がはじまりました。まぁ確かにそうです。が、子どもたちに限らないかもとも思ったりしたのですが、それはおいといて…。
で、なぜ人間関係づくりが苦手かというと、人間関係づくりを必要としない環境にいるからであると。
ただ、人間の行動はつくれる。まぁ、つくれるというと語弊があるけど、平たく言うなら「影響を受ける」。これを「モデリング」というそうな。これを実験で確かめたのが「ボボドール実験」ってやつらしいです。
なんでも子どもたちを3つのグループにわけて、ビデオを見せる。共通しているのは「大人がボボドールをボコボコにする」で、その後「その大人がほめられる」「その大人が怒られる」「なんもなし」。で、ビデオ鑑賞後、ボボドールのある部屋で「好きに遊んでいいよ」ってやると、最初のグループは乱暴で、2つ目のグループはおとなしかった。
つまり「大人の行動」だけではなく、その行動がどう評価されるかが「モデリング」としての影響力を持っているわけです。で、影響を与えやすい「人」は、身近な人・権威のある人・近しい人だとか。
で、この「モデリング」と「行動分析」をあわせたものが「ソーシャルスキルレーニング」になります。
まずは「ソーシャルスキル」の定義から。

1、観察可能な学習性のスキルであること
2、効果的な働きかけと応答から成り立ってること
3、親・教師・仲間からの社会的強化を最大に引き出すこと

「○○ができない」ということを「性格・素質・遺伝」と考えると「変えられないもの」となってしまう。でも、「人づきあいのコツを知らない」と捉え直すと、それは獲得できるものになる。で、そのコツを具体的に練習することで身につけることが可能になる。そういう考え方のようです。
で、身につけるための一連の流れを「ソーシャルスキルレーニング」というわけです。
その流れは
「アセスメント→ターゲットスキルの確定→SSTの実施→SSTの評価」
となり、さらに「SSTの実施」は
「インストラクション→モデリング→リハーサル・フィードバック→定着化と般化」
となります。ここで「モデリング」と「強化(フィードバック)」が出てくるわけです。
アセスメントでは、実際の行動を観察して、不足しているスキルを検討します。で、ターゲットになるスキルをピックアップして、そのターゲットスキルの「コツ」を検討します。その際気をつけることが
1、観察可能
2、第三者からも同じように観察可能
3、主観的ではなく具体的な言葉での記述
4、否定形ではなく肯定形
で、その「コツ」の中でも対象となった人間にふさわしいものをピックアップします。
「コツ」を伝える部分がSSTになります。センセはここで山本五十六の言葉を引用されました。
「やって見せ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ」
らしいです^^;;。
インストラクションは「言って聞かせて」らしいです。つまり「なにをするか、これをすればどういういいことがあるか」ってことを伝えるみたいです。この部分、わたしはあまり好きじゃないんです。でも、「宮崎大学派」は一連の流れをカッチリやるので、ここも重要視するとか。
で、モデリングは「やって見せ」。ここで「いい例とよくない例*1」をやる。
で…。
ここで本日はタイムアップでした^^;;。

*1:悪い例とは言わないらしい