孤独の万有引力

クィアな会」という謎のグループがあります。ここ、不定期に「孤独の万有引力」という集まりをしていて、そこで「話をしろ」ということになりました。
それにしても「孤独の万有引力」!なんというかっこいいネーミング!同僚や生徒にこの名前を言うと、みんな「おぉ!」ってなってました。
で、ここ、またテーマが難しいんです。
「闘う理由のない日本において、どうやって違和感を表明し、どう表現し、どう仲間とつきあっていくのか」
んな難しいことをどう話せと(;_;)。
いろいろ考えて、結局自分史を語る以外ないなと。それも「オフィシャル」の、もうほんの少し内側にあるものを語る以外ないなと思いました。
自分史って、おそらくそれを言葉や文字にした瞬間に「オフィシャル」になってしまいます。逆に「オフィシャル」にすることによって言葉化や文字化ができるのかもしれません。
で、今回のチャレンジは、いままでさまざまな形で「オフィシャル」にしてきた、それは印刷物になったりお座敷で話してきたというだけではなく、例えばメールでやりとりした内容であったり、どこかのメモであったり、呑み会での会話であったり、あるいはブログで書いたりしてきたことも含むと思うのですが、そういうさまざまなものを拾い集めることで「オフィシャル」のほんの少し内側を出すことができるんじゃないかと思ったのです。
さてさて。はたしてそれが成功したのかどうかはわかりません。
でも、話しながら自分の中にある言葉をまさぐり、そしてパズルにピースをはめこむように内容を組み立てていくという作業は、しんどくもあり、でもとてもスリリングでもあります。返ってくる質問もわたしの内側に深く入り込んできます。まだ言葉化しきれていない言葉は、その質問に耐えきれないこともあります。でも、その姿をさらすこともまた表現といえるのかもしれません。そしてそれが許される空間は、とても優しい。
なんだかとても刺激的なひとときを過ごすことができたんじゃないかなと、みなさんの顔を見ながら、なんとなく思いました。

そうそう。「孤独の万有引力」の意味は、孤独は孤独を寄せ集める。そして、より孤独を深めてしまう。そういう万有引力を持っている。その負のスパイラルからどう脱出できるのかって話だったんです。
あとから聞いて、それもまた「なるほど!」と…。