「感じる」ことと「考える」ことと

「aとbか3の倍数⇒a+bは3の倍数」
「⇒って、見たことあるな?」
「ならばや」
「そう。これ、命題や。命題は、偽であることを示す時は反例が必要だった。では、真を示す時はなにが必要とおもう?」
「…」
「証明や」
「えー(T_T)。証明ー(T_T)」
「あのな」
てことで語ってしまいました。

証明って、ほんとうはやらなきゃならないことなんや。
君たちが話す時「なんとなく」とか「〜と感じる」とか「〜と思う」って言うやろ。でも、それは人との対話にはならんのや。なぜなら、「なぜ」に答えられないからや。
それに対して「〜と考える」は違う。これは「これこれこうだから、こう考えた」と言うことができる。だから対話が成り立つ。
つまり、「感じる」「思う」と「考える」には大きな違いがある。そして「考える」ことが対話を成り立たせるために必要なんだ。そしてその中にある「なぜこう考えたか」というところのことを「証明」というんだ。証明するためには、いくら実例を並べてもダメなんだ。でもその代わり、一般化したものをひとつ示せばいい。
そして、それが「感じる」「思う」と「考える」の違いなんだ。
いいかい、「証明」を学ぶことは、人との対話の手法を学ぶことなんだ。
じゃあやるよ。

もちろん元本はこの本です。ありがと!K田さん!

はきだめ

別に、なにがどうということではないのですが…。
いや、たんに数学の教科書(カリキュラム)のことです。
今年から高校数学は新カリの先行実施で、今までなかった分野が入ってきています。まぁ、もどってきたとも言うのですが^^;;。
それにしても、見事にバラバラ。いや、今のカリが「どこかでこけても、それが次以降に影響しない」というスタンスでつくられているのはわかっているんですがね。でも、そうすることで系統がなくなってしまう。それってなんだかなぁと思うわけです。
3学期に残しておいたのが、整数問題と図形。前半は整数問題をやります。
おもしろいですよ。確かに。でも、「整数とは」からはじまって、「約数と倍数」みたいな話をやるわけです。
「それ、前にやったやん」
そのとーりです(笑)。しゃーないから
「数学っちゅうのはな、螺旋階段でな」
ってごまかすわけです(笑)。
でも結局あれやろ。「数学A」って、他のところでやらなかったことをポイボイ放り込んだだけのこととちゃうん?「特定不能の〜」みたいに。
まぁ、そういうところが必要なのはわかってはいるんですがね…。
ま、せめてこの部分、楽しませてもらいましょうかo(^^)o

日常がはじまる

すでに日常ははじまってはいますが、それでもまだまだ昨日まではリハビリモードでした。でも、今日からは本格的にリハビリモードから脱出して、日常モードに突入です。
とはいえ、子どもたちはまだまだリハビリを必要としている感じだし、そもそもわたしもリハビリが必要(笑)。
てことで、今日は軽くこなすことにしました。

もっとも、「雑務」は佳境に入っています。今日も大切な仕事ひとつと、雑務をひとつ終了させました。でも、雑務はまだまだ山積みやな(T_T)。