今日は人権教育の研究会です。
午前中は分科会。今年は久しぶりにレポートを出すことにしました。さてさて、今後どうなることやら^^;。
で、午後からは全体会。記念講演は岸政彦さんです。どんな話が聞けるのか楽しみです。
基本的には2010年に岸さんがおこなった大阪市内にあるH地区*1の実態調査と、2000年に大阪府市が行った生活実態調査の比較から、都市部落のありようを考えようという話です。で、キーワードとして「貧困化・高齢化・流動化」の3つをあげられます。
このあたり、京都の都市部落に関しても外川さんなんかが早くから指摘しておられたし、わたしも感覚的には感じていました。とくに、前ふたつは最後の「流動化」によってもたらされます。「部落における人の流入出」というと、古くは「差別から逃げるために流出する」というふうにとらえられがちでしたが、実際には、もっと生活レベル、主として住居の問題かなと思います。これが、法律がなくなった時点でさらに加速されているということも感じていました。
岸さんの講演の中でこのあたりが実際のデータとして出されたのですが、まぁ驚くべき数字です。特に10年前の数値との比較において、より深刻化していることがよくわかります。
で、岸さんの主張として、従来部落問題は「身分的地域的差別の問題」としてとらえられてきたけど、そこに実際には「経済的貧困」が重なっているということ。まぁこれだけを言うと
「いやいや、行政闘争の中で指摘してきたことやん」
ととらえられがちですが、もう少し微妙な感じなんですね。おそらくは、過去の運動は、どちらかに振れてきた。つまり、「差別の問題」という時には「経済の問題」を少し退け、「経済の問題」を指摘する時は(差別は経済から生まれるという形で)「差別の問題」を少し退ける。でも、実際には複合した問題なんだということなんでしょうね。だからこそ「貧困の受け皿」としての都市部落のとらえ方がでてくる。
で、おもしろいなと思ったのは「アイデンティティの動員を含む総合的貧困対策としての部落解放運動と同和対策事業」というとらえ方です。これ、「部落のアイデンティティってなんだろう」ということと密接な関係があります。部落解放運動と言えるかどうかわかりませんが、少なくとも教員になってすぐの頃のわたしは「同じ」という主張を生徒たちに伝えてきました。でもその後部落史を勉強する中で「違い」を見いだしてきました。それは、「日本人ではない」ということではなくて、「日本人の中にもさまざまな違いがある」というあたりまえのことでした。そう考えた時、いろんな学習会で「同じ」という主張と「違う」という主張が同居する妙な場面があったことに気づいたりもしました。ここのむずがゆさこそが、「部落のアイデンティティってなに?」ということ、さらにそのことを通して「アイデンティティってなに?」というあたりを模索する、ひとつの提案があるなじゃないかなぁと、ふと思ったりしました。
*1:(笑)
わたしの実家は渋谷の今は繁華街になった場所にあります。
おしゃれなレストランやブティックが立ち並ぶ場所です。
その実家の通りの向かいに50〜60m四方で部落になっている場所があります。
そこがどんな風景になっているかを書くのは軽率の謗りを免れないと思うので
あえてここで触れませんが両親からはそこが部落であるということを聞きました。
昭和20年3月10日の東京大空襲のときちょうどその場所までが燃えてしまい、
戦後その土地に引き揚げてきた人たちが地権者との合意無く住み着いて
部落になったということでした。
その部落の人たちとはまったくお付き合いはありませんでした。
わたしの祖父や親戚がそこに土地を買ったのが昭和のはじめごろでしたので
わたしたち自身も新参者だったからかもしれません。
(その当時は豊多摩郡渋谷村といって大半は森とか牧場とかでした)
興味深い話をありがとうございます。
関西で言う「部落」とはずいぶんと成り立ちが違う気がしますが、「忌避/排除される場所」ということであれば、同じようなテイストがあるのかもしれませんね。
東京の部落は「ないこと」にされているので、わたしはよく知りません。また、おそらくは混住がかなり進んでいるであろうことから、ますますややこしいかなと。
> 混住がかなり進んでいるであろう
現在もその土地は引き続き同じ地権者の所有なので混住は進んでいません。
また地権者がその土地へのインフラ(ガス 水道等)整備を拒んでいるようです。
わたしが子どものときと変わらない風景です。
(ここから「その土地だ」ということが目で見てわかる)
公の目に触れる場所にはこれ以上は書けない感じです。
> 部落になっている場所
&
> 地権者との合意無く住み着いて部落になった
うーーーん。なんか「部落」っていう言葉の使われ方がヘンな気が… いつきさまが本エントリで書かれている、いわゆる「被差別部落」とは、それ、まったく別物ですよね。
地域性の薄い言葉で、渋谷のを言い換えるなら、「貧民窟」じゃないでしょか。「貧しい人々が住み着いた、往々にして、戦後のドサクサなどで不法占拠した地区。不法占拠なので、地主さんは怒っていて、インフラの整備などを妨害する」という。
そう言うものなら、私も実家(東京区部)の近所でも幾つか見たし、就職して転居した神奈川県でも1箇所見たことがあります。そのうち幾つかは再開発で無くなってしまいましたが、幾つかはまだ残ってるかも。
でも、それらって、いわゆる「被差別部落」とは別物のような(少なくとも、私が見たものは別物。渋谷のは、私は見てないので断言しませんが)。
一番大きな違いは、不法占拠され困っている地主さんと、その仲間のお金持ち以外の人には、別段、差別感情がないことかしらん。
例えば、ウチの親は山陰出身で、山陰の部落(いわゆる被差別部落)に対しては差別意識をあまり隠さない人でしたが(自分が差別意識を持つことに対し、少し恥ずかしそうにはしてたけど)。東京に移住してから、そゆ貧民窟の人たちとは、別段何の差別意識もなしに親しく付き合っていましたからねぇ。あ、これはウチの親に限らず。
また、そこの子も、別に誰からも差別を受けてなかったと記憶します(むしろ私の方がイジメのターゲットになってました苦笑)。