隙間があるのかないのか

あしたは人権学習の日。なのに、今日は一日出張。さてさてどうなることやら。
とりあえず授業を終えて駅に向かいます。と、目の前を電車が…。まぁ、すぐ来るでしょう。とか思って駅についたら、次の電車は25分後かい!まぁ仕方がないです。かつてウトロの事務局長がはいた名言
「土方は雨には勝てん」
が頭の中に響きます。
それでもなんとか午前の会議をこなして、午後の会議の会場へ長距離移動です。

と、突然メール。
「早く来ないとラーメン伸びるよ」
あのね…。君たち*1、まだ京都駅近辺をウロウロしてるんかい!しゃーないから
「5時半頃京都駅にもどるから待っといて」
とメール。でも、結局、Tーマスから「かんべんしてメール」が入ってきたところでアホなやりとり終了。にしても、その一部始終を配信され続けていたK野さんって(笑)。

にしても、こんなことができるのも電車通勤ならではですね。
で、午後の会議。んー、自分のセクションがぜんぜん進んでないです。ヤバイです。なかなか連絡とれないんだよなぁ。ちょっと焦ってきました。

で、午後の会議も終了。あとはお家に帰るだけです。
家に帰ると誰もいない。静かでいいな…。

*1:もちろんK淵さんとTーマス

隙間があるのかないのか” に6件のコメントがあります

  1. いや、楽しかったから良いんですけどね。
    どんなに急いでも2時間はかかるので、行ったらのびるどころではなく、ラーメンのおにぎりが出来ているだろうから、行くのは諦めて一人寂しく徳島でラーメンを食べました。
    でも、ああいうメールが配信されてくるという距離感が心地良いです。K淵さん、Tーマス、ありがとう。あっもちろんいつきさんも。

  2. > プライベートとパブリック

    おっしゃるとおりですね…

    でも、私の印象では、それって最近に限らず、数十年前からドンドコ進んでいるような。

    一因として、「友達のような親」や「友達のような教員」がもてはやされたこともあるのかもしれません。プライベートとパブリックの区別を口やかましく言うような親や教員は前時代的封建的と非難される風潮が、私が当時バイトしていた塾や予備校があった地域ではありました。私が児童・生徒を注意すると、親が猛抗議しにやって来る。。。「公と私を区別しろだなんて、オマエは戦前生まれかっ!」みたいな。

    ただ、そういう風潮って、教員組合も助長していたような印象があるのですが。誤解でしょうか…

  3. みんな連日ようやる・・・

    >プライベートが保障できない家であれば、必然的にその境界はにじみます。
    そうなんですけど、家の中で習得出来るものなんでしょうか?
    私は集団生活であって集団生活でない子ども達の状況と、個別化を図る風潮がとても気になっています。大人が作る・・・のも勿論あったのでしょうけど、子供達同士vs大人の中で、外と中とのメリハリ・使い分けって必然と身に着けていったように思うんです。
    まあでも、しんどい家の中で生じる「持って行き場のない「我が家欲」」を保健室や避難室や夜遅くの学童で補っていた感は凄くあります。
    そういった居場所が十分にあるか無いかも、境界とかメリハリといったものを身に着けるのに少なからず関係してくるんじゃないのかな、と個人的に思います。

  4. >気になっています。 のあとに、
    「私が子供の頃は、そういった区別を教える環境を」が抜けてしまいました^^;あせあせ

  5. > K野さん
    いやぁ、あれがなまじ近くでやっているから、そこの引力に巻き込まれましてね^^;;

    > 樹村さん
    組合というよりも、時代背景じゃないかなぁという気がします。
    大きな流れとしては、1045年の敗戦を機に、物事の価値観が大きく反対に振れた。そして、60年安保や70年安保に代表される「権威への反発」、あるいは教育にかかわっては平和教育や同和教育なんかが大きな影響力を持っている気がします。
    ただ、だからといって、それらが「悪」ではないと思います。「永遠の正しさ」なんてありえない。それぞれの時代背景の中で、「問題提起」をしたものが、従来のあり方を否定していくのは当たり前のことだと思います。その延長線上に、いまのわたしたちがいる。だから、過去にあった「問題提起」を引き継ぎながら、さらにそれをどうしていくのかみたいな形で考えないといけないんじゃないかなぁと思います。

    > M木さん
    みんな、ようやりますわ(笑)。

    ちなみに、たぶん進学校でたぶんそのあたりの使いわけができない人間が少ない。たぶん、子どもたちの間でメリハリをつけているんじゃないですかねぇ。で、どの学校へ行くかは階層間格差と密接に関連しています。
    問題は、ある階層が集まるような学校制度をつくってしまうと、棲みわけがなされてしまって、メリハリがなくなってしまう。そんな側面もあるんじゃないかと。

  6. > 時代背景じゃないかなぁという気がします

     それはおっしゃるとおりですね。で、全般に権威の否定などがもてはやされる。この流れの中に、いつきさまが挙げておられるものや、その他には団塊さんの「奔放さ」があったり、マスコミ論調の傾向があったりする。「戦前の暴走」揺り戻しがオーバーシュートしているというか。

     ただ、その時代背景の影響の表れの一つとして、組合「も」あるかしら?と感じていました。

     ちなみに、私が塾や予備校で講師していたときの教え子の親達は、まさに団塊さんで、上記時代背景の影響をモロに受けてる世代。なので、確かにこの影響の方が大きいかも。

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