排除する学校・排除に抗する学校

今日は校内の人権研修会。講師は大阪府立大学の西田芳正さんです。
実は元々は「エフェクティブスクール」についての知識的な話を話してもらいたいなと思って、その道の第一人者と交渉をしていたのですが、どうしても都合がつかず、なくなくあきらめたと。で、途方に暮れながらもいろいろ探していたら、西田さんに行きあたりました。で、どんな研究をしておられるか、最新の本を読んだんですが、これがおもしろい!早く先が読みたくて、結局、一日で読んでしまいました。
てことで、今日の研修は大期待です。
西田さんの話のキモを、あえてひとことで言ってしまうと「学校万能論も学校無効論も違う」「学校にできないことはたくさんあるけど、学校にしかできないことがある」ということかなと。で、「排除に抗する学校」であるためには、学校が何をどのようにして排除してきたのかを考える必要がある。
ということかなと。
で、それを具体的な事例をあげながら説明されるのですが、まさに「いるいるいる!」という感じなんですよね。実感と研究がピタリと一致している感じなんです。だからこそ、そこで最後に出てくる結論に説得力があります。
にしても、もちろん簡単な道じゃないんですけどね。

ちなみに、帰り、校門まで送っている時に
「排除する学校というタイトルはエキセントリックかもしれないけど、誰かが言わなければならない。少なくとも欧米の研究ではごく一般的なのに、誰も言ってこなかった」
と言われました。なので
「いやぁ、ムラに入った教員は、ごく当たり前に親から言われてきたと思いますがねぇ」
と答えました。西田さん、笑っておられました。

透明な存在としてのわたし

今日は、午後に「国際理解教育」なるものがあります。これ、実はうちの職場では人権担当の仕事じゃなくて、別のセクションがやっています。まぁ、もともとが留学生なんかとの交流っぽいことをやっていて「異文化を英語を使って知る」みたいなところからスタートをしていたので、当然といえば当然なんですけどね。
でも、基本、そこから人権を考えるというスタンスはやっぱりあるわけで、そういう意味では「いろんなセクションが人権を担当する」といういい方向なんだとも思います。
で、今日はゲストを招いての講演会。講師は坂本達さんです。
それはどーでもいいんですけど、わたしとしての関心事は「なにをするか?」なんですよね。それにともなって必要な機材が変わってきますから。
で、教えてもらったところによると、パソコンでスライドショーをするから、プロジェクターがほしいと。なるほど、じゃぁスクリーンもいるわけね。で、パソコンから音を出したいと。なるほど、ミキサーもいるわけね。って、フル装備じゃん。うれしいです(笑)
てことで、3時間目から準備開始。授業をはさんで、昼休みに機材セット。そのまま坂本さんが来られて調整開始。
で、いよいよ本番。とは言え、第一声が出る瞬間までは緊張です。
無事講演が始まってホッとひと安心。それから昼ごはん。って2時かよ!食べ終わったらすぐ授業。授業が終わったら撤収。終了したら4時。
ちなみにわたしは今日の講演会の実施要項の役割分担には入ってません(笑)。でも、一番肉体は使ったよなぁ。まぁええか。それが放送スタッフ。透明な存在としてのわたしです。

あ、講演そのものはお弁当食べて授業があったので、まったく聞けませんでしたよ(笑)。

頭は動かなくても、動く場所はある(笑)

先週、あるお友だちから
「話があるので会おう」
というメールが入りました。で、今日がその日。もちろん「コーヒーを飲みながら」なんてことはありえません。
実は、今日を設定した時、
「どうせ前日は…」
とか、不安がよぎりはしたのですが、まぁええかと。で、不安はあまりにも当然のように的中して、メッチャ眠いのですが、たぶんビール呑んだら目が覚めるでしょう。
てなことをその友だちに話したら
「医学の常識を覆してますね」
と言われてしまいました。
「まぁ、ふだんから覆してるから、いまさらこれくらいたいしたことないですよ」
と、お約束通りの返事です。
で、なぜかいつもの居酒屋へお友だちと、もうひとりのお友だちの3人で入りました。

ひとつのテーマ性を持って呑むのはおもしろいです。もちろん「話がある」くらいですから、決して軽いテーマではありません。というより、どちらかというとかなりしんどいテーマではありました。でも、そのテーマを通して、「語る」とは何か、「つながる」とはなにかなどなど、あらためて考えさせられるひとときが持てました。
「もうひとりのお友だち」の存在も大きかったです。わたしだけでは考えもしないことが出てきます。さらに、話が深まるにつれて、互いが今まで話してこなかったようなことまで出てきます。「3人呑み」は、実は苦手だったんですが、今日は大正解。
ここ数年、「アウトプットばかり」というふうに思っていたのですが、こうやって語りあうことでインプットもできるし、熟成もできる。
きっと「そのシチュエーション」を、自分がどう捉え、どう活かすかなんでしょうね。
そういう意味でも「話す相手」に選んでもらえてうれしかった。

なぜ今週は忙しい?

なんか今週は「せわしないなぁ」と思っていたのですが、やっとわかりました。先週頼まれていたことを、先週サボっていたからでした。
なんせ、月曜日に
「あれ、どうなりました?」
「あ!」
昨日も
「あれ、そろそろ…」
「あ!」
みたいな感じでしたから。
でも、それぞれなんとかこなして、最後の頼まれ仕事を30分ばっかでやっつけて、今日の「頭」はフィニってしまいました。もう、一歩も動かんわ(笑)

警報の中大阪へ

研修会が終わったら、大阪へ。なぜか会議です。
実はこの会議、研修会の最中に
「警報出てるから中止」
って連絡があったんです。でも、即座に構成メンバーから
「中止はまかりならん!」
との激しい怒りのメールが入って、
「中止は中止」
になった会議です。まぁ、わたしは行けさえすれば、あとは野となれ山となれな人ですから、もともと行くつもりでしたけどね。
で、2時間会議をしたら、警報は解除。雨もほとんど降っていません。
「行きますか」
「行きましょう」
ってことで、いつもの居酒屋へ。お店の方、完全に覚えておられて
「お待ちしてました」
と、予約もしてないのに席をとっといてくれるのはいったいなぜなんだろう。
当然話は今日の中止の中止の話になるわけで、
「まかりならん!」
と怒った人は、ここでも
「這ってでも来い!」
とか、怒りまくりです(笑)
でも、
「それがオレらの仕事やろう!」
というひとことに、ただならぬプロ意識を垣間見ました。それに触れられるのがうれしくて、わたしも「この場」にいるんですけどね。
てなことをやっていると、あっという間に終電の時間。前回の二の舞にならないために、今日は立って帰ることにしますか。
てことで、無事帰れました。が、あした持つのか?

インクルーシブ教育

今日は人権関係の研修会。午後は講演です。で、実はわたしは「聞かされ役」にはなりません。というのは、わたしが「聞きたいな」と思う人を推薦してて、たいていみんな通してくださるからです。うれしいな。
で、今日の講師さんは常磐会大学の掘智晴さん。たぶん、ドストライクの人ではないかと。ただ、講演聞いたことないから、わかりませんけどね。
折しも警報が出てる中、講演開始です。
当初は2時間の予定でしたが、急遽1時間半にしてもらったのがまずかったのか、
「これで終わります」
と宣言されたのが、話しはじめられて40分後です。やばい!
ところが、ここからがうちらの研究会のすごいところです。質疑応答の集中砲火です。
そりゃ、
「高校でもインクルーシブ教育をするべきだ」
しか言ってくださっていないわけで、わたしらとしては
「んなもん、現状では無理ですやろ!」
となりますよ。
でも、ここからがおもしろかった。答えがいちいち不器用で、だから本音が伝わってきます。
たぶん、インクルーシブ教育を実現するって、単なる制度改革ではすまなくて、高校の中に根源的にある「適格者主義」を根底から覆していかなくちゃならない気がしました。
で、高校の適格者主義の要請はどこから来るかというと、もちろん教員自身の中にあることは前提ですが*1、それだけではなく「出口=進路」からの要請があります。簡単に言えば、進路先の大学も企業も、基本的には適格者主義です。だから、適格者を育てることが使命にならざるを得ないし、それができない高校は「ダメ」の烙印が押される。教員はその烙印を避けるために必死で適格者主義を守ろうとするし、適格者に育てられる可能性の高い「ほとんど適格者」をほしがる。
インクルーシブ教育を実現するということは、そういう社会のあり方を根底から覆してしまうものなのかもしれません。
そもそも、「適格者」とは誰なのか?「適格する」とはどういうことなのか?根源を問う可能性を持つよなぁなどと感じました。
結局、講演終了から50分質疑応答があって(笑)、講師の方の
「そろそろやめましょうか」
で終了。そりゃぁ質疑応答は疲れますよ。
でも、帰りに何人かに
「どうでした?」
って聞いたら
「最初はどうなるかと思ったけど(笑)、最終的にはおもしろかった」
って返事が返ってきたから、成功だったんでしょうね。

*1:教員のほとんどが適格者主義の中で成功をおさめた適格者である

突然つながる

今日のおべんきょは、デューイ。今は、ギリシャ哲学へのデューイの考え方について本を読み進んでいます。
ギリシャ哲学においては、世界はすべて秩序だって完全であることをめざしていた、と。ふむふむ。まぁ、調和ですね。
「でも」
と、ふと思い質問。
「もしも、秩序にあてはまらない存在が出てきたら、どうしたんですか?」
で、答え。
「排除しました。ひとつの方法は「殺す」でしたが、もうひとつの方法は「聖なるもの」としての排除でした」
はー!なるほど!聖と賤ですな。てか、賤民の成立を彷彿とさせます。いや、「秩序だった世界」って、江戸時代の身分制「分をわきまえる」とすごく似てないか?
そう考えた時、ギリシャ哲学の世界観が、かなりピンときたりしました。
まぁ、邪道かもしれませんがね。

タスク管理

でも、トド狩りの最中にジャマが入ることがあります。イレギュラーな仕事なら、それはしかたありません。でも、わたしが自分のペースでやっている時に、、他の人がその人のペースでわたしにタスクを入れてくると、これはきつい。
ちなみに、わたしは他の人にタスクを入れることはほとんどないし*1、仮に入れる時は
「ごめん、ちょっといい?」
と、とりあえずひとこと言います。
それがないと、わたしはきついなぁ…。

*1:簡単に言えば、ひとりで仕事をしてるってこと

今日も淡々とトド狩り

わたしはスケジュール管理に職場の年間行事計画の縮小コピーをしたものを使っています。そこにいろんな色のボールペンで書き込んでいくわけです。いろいろやってみたけど、これが一番確実。ただ、たまにこれを忘れることがあるので、備忘のためにジョルテを使ってます。
これはこれでいいんですが、トド管理がしにくい。やはりポストイットがベターな感じがします。で、いろいろ考えて、スマホに「付箋メモ」なる、一番簡単なポストイットのアプリを入れてみました。これいいですねぇ。画面にメモをはりつけるだけ。で、できたタスクはキーボードつかって消せばいい。
で、この「消す」という作業がまたいいです。「トドを狩った!」という実感がわきます(笑)。
てことで、夕方には時間がかかる3つのトドが残りました。って、これ土曜日から残ってるやん(笑)!

今日って日は…

朝起きると…。ん?家じゃない…。そうか、東九条ですか^^;;
おかしいな。今週は東九条泊まりじゃないはずだったのに…。
それでも、9時頃にはすべて撤収。とにかく身体が疲れています。家に帰りましょう。

家に帰って、しばしゴロゴロ。そうこうするうちに、おべんきょ先から借りている本に目がとまりました。で、いきなり読書開始。読んだのは『排除する社会、排除に抗する学校』という本です。
なんというか…。おもしろい。自分のとらえ方がすごく浅かったというか、一面的だったというか、そんなことがよくわかりました。と同時に、なんとなく自分のとらえ方に対する違和感があったのが、見事に納得したという面もありました。
でも、じゃぁ「どうすればいいのか」というところについては、一定程度の「答え」はあるにしろ、まだまだ雲をつかむような感覚があります。いずれにしろ、著者の西田芳正さんは今度の金曜日に研修できていただけるので、そこでもう少し話をしてみることにしましょうか。
にしても、あまりにもおもしろくてぐいぐい引き込まれたので、結局読み切ってしまいましたよ。

晩ご飯の時に、上の子どもが
「今日は父の日やし、買ってきた」
と言って出してくれたのがお酒。
なんかうれしい…。