勝負!

某学年の授業、今年は敗北感でいっぱいでした。このままでは、ほんとうにどうしようもありません。
てことで、とうとう「生まれてはじめてパターン」をやってみることにしました。まぁ、はじめての試みは、いつでも「生まれてはじめてパターン」なんですけどね(笑)。
まずは、教室は移動。
理由は
1、いらないものを持ってこない
2、席を自由に設定できる
です。
考えてみると、わたしたちは教室に行く時不要なものは持って行かない。でも、子どもたちは不要なものに囲まれています。だから、あえての移動教室です。
あと、今回は首にひもが掛かっている子どもたちを対象に授業をしようと。となると、そういう子どもたちが自分の意思で前に座って授業を受けることを可能にしなくちゃなりません。ふだんは、
「勝手に席を動くな」
っていわなくちゃならない。で、動かすにしても、誰かをどけなくちゃならない。それはかなりめんどくさいです。てことで、
「自分で勉強できるヤツは後ろでやっとけ!」
みたいなことをやろうと。
さて、どうなるか…。

ふたを開けたら、見事にはまりました。
てか、これだけやって乗ってこなかったら、さすがにアウトやろ。

ある妥協

朝、パートナーに
「ワイヤーがささって痛いねん」
というと、パートナーは躊躇なく
「そういうのはな、抜くねん」
と教えてくれました。
ワイヤーがつきだしていて捨てようかと思っていたのからワイヤーを抜くと、見事に復活。そして楽!
もう後もどりできないです。妥協ってこういうことなんですね(笑)。

某研究会にて

午後から出張で某研究会へ。
後半は分散会にわかれてレポートを聞いたのですが…。
なんというか…。

某私学のレポートなんですが、がんばっておられるのはわかる。それも、すごいおもしろいことをやっている。うらやましいほど。
でも、それが「いい生徒」をとることにつなげているのがありあり。それがねぇ。結局パイのとりあいにしかなっていない。いや、私学の経営を考えたらそういう方向に走るのはいたしかたないところがあるのはよくわかります。ましてや、底辺層を引き受け続けてきたから、そうなるのはわかる。でも、そういう自分たちに
「なんだかな」
と思いながらやっているという躊躇感がほしいなぁ。
ま、うちも一緒か…。ひとのこと言えないな。

某市立のレポートなんですが、がんばっておられるのはわかる。でも、そこに行っている子どもたち、京都府全域から集めた超エリートでしょ?保護者もしっかりしているし、卒業生もしっかりしている。
生徒指導をしたら保護者から文句が来たり、地域の人たちから石が飛ぶような苦情が来たりというところでは、はっきり言って、ない。たぶん教育委員会とかあちこちからふんだんにお金も出ている。
まぁ、しっかりやって、エリート層を育ててくれと。うちと比べた時、京都の教育が、日本の教育がどこを目指しているのかよくわかりました。

はぁ…。
でも、この中でやるしかないか。

朝起きたら

朝起きたら、「なんかもう」な状態です。
とりあえず、モーニングチューハイをプシュ!元焼きたてのパンをもしょもしょ。おいしいです。
そうこうするうちに、みんな起きてきました。
あちことでプシュ!という音が聞こえます。最低です。
そのうちK野さんがうどんをゆではじめます。で、できたのが釜玉とか生醤油うどんとか。やはり、釜玉は食べなくちゃなりますまい。ん、うまい!
てなことをしながら、食材を消費していると、あっという間に昼前です。てか、動く気配ないけど…。そうこうするうちにMちゃん初登場。なにげに違和感なく混じるあたりがすごいです。
しばし昼下がりの宴会を楽しんだところで、今日は久しぶりの「わかば」へ。やはりK野さんにここのすじ肉を食べてもらわなくちゃなりません。
てなことで、気がつけば朝から夕方まで宴会です。みんな、なんの躊躇もなく呑んでます。すごい人たちです。
でも、わたしはMちゃんがちょっとしんどそうなので、お先に失礼。いや、実はわたしもしんどかったんですけどね^^;;
まぁ、みんな放心状態で呑んでたから、たぶん時間の問題だな。

まだまだ続く

で、向かったのは東九条。今日からあしたにかけて、在日外国人生徒交流会卒業生の会の新年会です。新大阪からの参戦組は、わたしを入れて4人。当然わたしが守山まで乗り越さないためのガード役です。てか、まだ9時やって。
で、会場に着くと、5人しかいない。しかも、うち3人はさっきまで新大阪にいた人たち*1です。いや、徳島から交流会に遊びに来るのも大概ですがね。でも、会のメンバーはIローとその妹のふたり。ダメじゃん。まぁいいや。とりあえず食べ物つくって呑みましょう。
そうこうしているうちにT―マスとNぎちゃん登場。
あまりにも人数が少なすぎます。さっそくT―マスはBんちゃんに電話。
「今日は強制や」
向こうでなにやらベタなギャグを言っています。みんなで腹を抱えて笑います。ダメ人間の集まりです。
12時をまわった頃、さすがにわたしはダウン。

*1:K渕さん、K野さん@徳島、K原さん@徳島

いっぱいいるなぁ

交流会が終わったら、交流会をサポートしてくれた人たちと打ちあげ。軽く10人は越しています。これでもずいぶんと帰られた。
わずか5〜6人の中高生の当事者のために、これだけの人が集まる交流会になったんだなぁ。その気持ちを、きっと子どもたちは感じてくれていると思います。
「世間や学校の理解はまだまだ」
という意見もあります。でも、わたしはそうは思わない。これだけの人が集まるところまで来たんだと思っています。そしてこの人たちは確信犯です。ぜったいにもとにもどることはない。だから、身近なところで理解を広めていってくれます。そうやって理解は広まっていく。
そんなことを思いながら、心地よい「酔い」を楽しむひとときでした。
てことで、9時に撤収。

新大阪へ

朝、6時起床。外へ出るとこんな景色。

笑っちゃいました。
でも、とにかく帰らないといけません。雪道を延々とドライブしてお家へ。
にしても、なんで一番混んでるのが京都市内なんだ?そりゃぁ、道はまだ薄く凍結してるさ。そんな日にノーマルタイヤで走るのはやめようよ。スクーターはあかんて。タイヤがつるつるやし。ほら、自転車こけた。こわっ!

で、新大阪へ。今日はトランスジェンダー生徒交流会です。
最近大人の人の参加も多いのですが、それはそれでいいかと思いはじめました。いや、かつては大人の参加は極力絞っていたのですが、みなさん、「手伝いたい」と思ってくださっているんですね。そして、余計な口出しをされない。どちらかというと、子どもたちを見守りたい人たちなんです。だから、来てもらえばいいと思いはじめました。
で、交流会をまわすのは、20台くらいのサポーターの人たちです。子どもたちの会話をつなげるために、いっぱいいっぱい子どもたちに声かけをしてくれます。ほんとうにありがたい。で、わたしがやっているのはビールを呑むことと、チヂミを焼くことと、餃子の皮をつくることくらい。どんだけ楽やねん。
と思っていたら、やっぱり20台の人には深く心をえぐるツッコミはきついみたいです。こういう時が年季の入った人間の出番でしょう。
「で、君はこれからどうしたいの?」
とツッコミを入れます。
こんなところに来て「どんな音楽聴くの?」は必要ないです。いや、スタートとしては必要なんですが、15時をまわってそれは必要ない。じゃなくて、
「いまどういう状況に自分はいるのか」
「自分はなにに困っているのか」
「自分はこれからどうしたいのか」
「それをするにはどうすればいいのか」
「でも、あきらめることはできるのか」
そんなことを、言葉としてまとめながらみんなに向かって発することが大切なんだと思います。そして、聞いている人間はそれに返すこと。特に先輩たちは、自分の経験を語ること。そうやって継承がされていく。
それは1対1の関係ではできないことです。交流会だからできることだと思います。

今日も最後の1時間はハードでした。でも、これをくぐった時に、子どもたちの表情が柔らかくなり、笑顔が見えてきます。その笑顔を見るために、交流会を続けています。
ちなみに、わたしも身体がぐったり。いや、けっして飲み過ぎなんかじゃありません(笑)。

総括

講演会終了後、F市の友だちを交えて4人で軽く呑み。石谷さんは「ちょっとやったら呑んでいい」らしいです(笑)。
飲み屋では、お互いの「病気」についての報告をしたり、なんじゃかんじゃといろいろ話。それにしても、F市の友だち、おもしろいというかすごいというか。フットワークの軽さとネットワークのつなげ方の軽さがいい感じです。
でも、講演が終わったのが9時前。店の閉店が11時ごろ。
あっという間に終了です。
で、店から出るとこんな景色。

おいおい、さっきまで雪のかけらもなかったやん。
あした、朝が早いのにどうしよう…。

障碍とともに生きる 心の病とともに、あるがままの自分を生きる

夜は京都府北部のF市でおこなわれた人権研修会を聞きに行きました。
タイトルは「障碍とともに生きる 心の病とともに、あるがままの自分を生きる」。講師は統合失調症の当事者と、精神障害の人たちの支援をしているNPO法人おりーぶひらのの理事長のおふたりです。
ちなみに、なぜこの研修会に行く羽目になったかというと、紹介したのがわたしだったという(笑)。
話の内容がおもしろそうだったので、せっかくだからここにアップすることを決意しちゃいました。
以下、ちょっとツダり風。

座っている位置がね。
男性が前、女性が後ろ。なんでだろう…。

オリーブひらの理事長 森本克子さん
オリーブの活動紹介と障碍の基礎知識
平野区大阪市の南東。精神障害者の人たちの生活支援、就労支援。
平野は150年前の建物が焼け残っている。建物の保存もしている。
オリーブのパンフレット。
地域で暮らす、働くために。
年齢層は20〜67歳。男女同じくらいの割合。共通点は精神科に通院している。

病名が増えている。うつは理解が進んできた。でも、統合失調症の人が増えてきた。
社会に出るための準備期間としておりーぶで過ごしている。手持ちぶさたなのでいろいろなことをやっている(軽作業)。フルタイム(9時〜3時)で3000円〜5000円。

一般で就労したい人。去年と今年6人ずつ成功。見守りさえあればぜんぜん大丈夫。
芸術家が多い。給食サービスをやっている(ボランティア、ヘルパー、利用者)。などなど

統合失調症について
どこに心?どこに精神?実は脳の不具合。オーバーヒート状態。
陽性症状、陰性症状、認知の障碍、   。
三障碍の人口比(挙手)
200人にひとり
よくまわりを見ると「親戚にいたわ」みたいな。

でも、平野区にはセンター2つ、クリニック4つ。精神のケアには不足。
1000人中身体が28人、精神が21人、知的が4人
22万39000が精神の在宅、32万9000が知的の在宅(施設をやめようという方向)
国民の5%が障害者。
いまからどんどんそうなっていく。だから、ひとりひとりが支援者に。

統合失調症の人は100人にひとり。ありふれた病気。慢性肝疾患とよく似ている。なのにあまり知られていない。それは不幸な歴史。座敷牢。「精神病」「狐憑き」など。
うつは1999年には440000人。2008年には104万人。9年間で2.4倍。対策を練らないといけない。自殺者も30000人をキープ。わかるようになっている。早期治療を。

統合失調症について
オーバーヒート。治療は活発になりすぎた状態を沈めるために薬。地域差はない。治る。薬は飲み続けないと行けないけど、治る。
前兆期…ここで気づいたら、言葉をかけてほしい。急性期にならずにすむことがある。
急性期…不安になりやすい、眠れない、幻聴、妄想。うしろふたつが誤解。でも、本人が一番つらい。
休息期…治療によって静まる。眠気が出たりだるかったり。これもつらい。数ヶ月単位の休息が必要。
回復期…必要なことはたくさんある。自信を持つことが大切。急性期の記憶が自分を責めることがある。まわりが「病気やったからしかたないね」と言ってあげること。
「路上生活をせなあかんと思ってた」とか。回復期の人に声かけを。

「幻聴なんて効いたことない」「これからも聞くことがない」と思う人がいる?
この先聞くことがあるかも。雪山登山なんかでは遭難したら正体不明の声を聞いたという証言。不安・孤立・過労・不眠が幻聴。白血病なんかで無菌室に入ると聞こえることがある。
受験に失敗した、引っ越して誰もいない。こんな時に聞くかもしれない。別世界の話ではない。たいてい幻聴はいいことではなく、悪口、おどし、命令、行動の先取りが聞こえる。不快、誤解(好きな人が悪口)→妄想。「自分のことを知っている」「町の人が悪口」「盗聴されている」「嫌がらせをされている」。幻聴は苦しめる。
どの状態かを把握することでアドバイスできる。(図参照)。

治療の基本
受診・服薬・休養・楽しむこと・仲間をつくること
幻聴はおつきあいできる程度。実際の声じゃないということがわかると楽になる。気分転換のマニュアル(音楽とか)。薬だけでは不十分。日々の暮らし

子どもの頃から発病した人の事例。20越えておりーぶにきた。どんどんよくなった。いま就労の道を歩んでいる。恋いもした。家族ばかりはよくない。移動支援をピアヘルパー(石谷さん)と一緒に。
石谷さんは3年前にヘルパーの資格。

石谷さん登場

統合失調症という病にかかっている。
わかったきっかけは、10年前に東京で飛び降り自殺。「なんでこんな無茶なことをしてしまったんだろう」と思った時に、「精神科を読んでくれ」と病院で言った。それで統合失調症という病名をつけられて自覚した。今年で10年目に突入した。

飛び降りた影響で顔にプレート。歯も抜けた。滑舌が悪い。でもよろしく。
精神障害もあるけど、肉体的にも後遺症。正座ができない。助かってからの人生を考えていなかった。

東京の病院に1年間入院。24歳〜25歳。不安と孤独。過労や不眠は薬でカバーできていたけど。「これからどうするんだろう」。築いてきた人間関係。友だちにどうやって打ち明けよう。ふさぎこんでいた。

身体が治って「退院してくれ」と言われた。病室にいられなくなった。実家の和歌山に帰った。28歳までなにもできないまま。

都会に出ないとなかまに巡り会えない。田舎は不利。精神障害ということを家族は近所に知られたらまずい。外出は車に乗って買い物ぐらい。閉じこもりがちに。

26〜28。実家。30前に家にいると。父親が切れた。「30前にゴロゴロして。怠けているだけ」。毎晩、晩ご飯の時とかに言われて。いられなくなって、7万円もって家出。

福祉マンションを見つけて奇跡的に入居できた。それが平野区。そのうちアルバイトも見つかった。工場のアルバイト。身体障害で身体に力が入らない。運動もしていなかった。通いづらくなってやめた。でも、給料は12万ほどもらえた。

その時におりーぶに出会えた。「うちに来て」。精神の人たちの就労支援。
「ワンクッション置いてリハビリしない?」

最終的にホームヘルパー2級の資格を取れた。大阪に来たら友だちもできた。
携帯は上野駅のコインロッカーに放り込んで飛び降りた。
大阪の専門学校に通っていた。
同窓会を開いてくれた。友だちが復活。大阪に来てよかった。

福知山と聞いて思い出した。綾部に期間工派遣社員)として働いていた。その時23歳。幻聴。自分を励ます声じゃなく、自分を卑下する声。妄想。人間関係がうまくいかなくて3ヶ月でクビ。今は懐かしい。

お金を持って東京に行った。精神状態がボロボロ。携帯なんかのちょっとした仕草が、じぶんのことを監視している気持ち。つらくなる。どこに行っても、電車に乗っても街を歩いても公園に行っても、四六時中見張られている気持ち。それで飛び降りてしまった。信じられないかもしれないけど、おこってしまった。

健康な状態で働いている友だちもいるけど、会社を首になりかけている、ストレスが来ている友だち。「大丈夫か」「間違えたらオレみたいになってまうぞ」「無理するな」という一声をかけてあげてほしい。僕みたいに飛び降りたりしないですむような気がする。

シナリオ、まとまってないので、べらべらしゃべっている(笑)。

いま薬を飲んでいる。
バレンタインデーに精神病院の通院やった。薬の説明書。
効果
寝付きをよくする。不安やいらだちを押さえる。熟睡するようにできる薬。気分を落ち着かせる薬。精神安定剤。の5錠。10年間呑んでいる。この先も。寝る前に呑んでいる。毎食後の人もいる。違う悩み。薬を飲む時まわりの目が気になる。「咳止めや」とか、ウソをついたりする。

障害者デビューが10年。今後の10年どうしようか。

薬を飲むのも大切だけど、精神科の医者とのかかわり方も大事。自分は主治医と10年変わらなかった。医者がチェンジした時、あうのかどうか。不安もある。
薬さえ飲んでいたら働ける人もいる。これから先も無理をせずにがんばっていきたい。

ピアヘルパー。
ピアは仲間。障害を持っている人をピアヘルパー。
精神障害を持っている人に付き添って外出をしたり、案内役をしている。女の人も高齢の人も若い男の子も対応したことがある。

こだわりが強い人が多い。ひとりだったら行きにくいけど、一緒ならいける。利用者の方が道を知っているけど。気をつけていることは健康状態とか、薬を飲んでいるか、水分とっているか。

自分が東京の病院でお世話になった看護師・理学療法士が参考。これをやっておいたらよくなるためのステップ。方向は一緒。方向を、その人たちに習ったように、その人のよりよい生活の質をあげられるように手助けをしている。

看護師さんの話。
東京の文京区の病院。飛び降りたのは文京区。搬送された病院が救命救急病棟がある病院。出会った看護婦さんによくしてもらえた。

「自殺する時に自分の荷物コインロッカーにぶちこんだまま。心配なんやけど」「わたし、上野駅行って、駅員さんに聞いてくるわ」

両手両足ギブス。でも、あちこち行くのが好きやった。
車いすに乗せてもらって外出させてもらった。根津神社に連れて行ってもらった。ほんとうにお世話になった。

東京に行くとその病院に行った。2年ほど前に行ったらシステムがかわって病棟がなくなった。看護婦さんもいなくなっていた。新潟出身。新潟に帰ったのか?別の仕事をしているのか?そういう出会いもあって、介護という仕事を目指す気持ちになった。

森本さん
H11年にボランティア講座で話をしてくれる当事者を探していた。彼女は50台。チャーミング。苦しいのに人生を楽しむことを忘れない。

急性期。「生まれ変われ」という声。大阪城のお堀の上へ。はだかにならなあかん。叫んでた。警察が来て、やっと病気ってわかった。
「でも、若い頃でよかった。今の身体やったらみせられへん」。笑いを忘れない。
ほんとうに優しくしてもらえた。骨折した時もご飯を持ってきてくれた。誤解を受けているのが悲しい。

ボランティア講座に30人ぐらい募集。半分くらい残った。
「旦那さんの介護が終わって、自分の人生を生きてこなかった。この電話をかけたら自分の生き方が変わるかも。勇気を持って電話をかけた」。
南部さん(さっきの50台の彼女)も勇気を持って話をした。

石谷さんみたいに講演してくれる。貴重なお話を聞いていただいた。

口コミが大切。ボランティアがどんな活動をしているか。

本人が病院に行きたくない。お母さんがまず行くのもあり。
専門家じゃなくても、みなさんひとりひとりが。

漫画の紹介。

治療が必要ということ、啓発が進んでいなかったために、治療へのアプローチが遅れた。

病気のことよりも家族のことを知りたいのでは?漫画がいい。

通院にどう導いたらいいだろう。
声をかけるのは、「病気ちゃう?」ではなくて「眠れてないんと違う?いい薬あるよ」孤独である気持ちにより添う。

でも、急性期が激しい時は傷つけるため、保護もある。

ヘルパーさんに向かって灰皿を投げた人もいる。ステーションとしては派遣できない。でも、ほんとうはヘルパサーさんの向こうに見えている怪物からヘルパーさんを守るため。
テレビを壊した。アナウンサーがこわいから。
知れば知るほど、支援があれば、家族も本人も困らない。

冊子の朗読。

今日は石谷さんの34歳の誕生日。

パチパチ