流儀の違い・全同教2日目

朝起きると軽く頭痛。これはきっと風邪の影響がまだ残っているのでしょう。とりあえず朝食を食べたら、それでもけっこう体調は回復。
てことで、分科会へ。
今日も思わず発言しまくりです。もっとも、わたしよりもっと発言している人はおられましたが…。

ところで、それぞれの地域の置かれた状況で、子どもへのかかわり方の「手法*1」はそれぞれ違うと思います。すごくシステマチックにやるところもあれば、ベタベタのかかわり*2をするところもあります。また、高校なんかだと、校内のポジションによっても全然違います。たとえば担任だとクラス運営をしながら子どもたちにかかわるだろうし、それ以外の分掌だと、ピンポイントで課題のある子にかかわることになります。そんなことを考えながらも、やはり「流儀の違い」みたいなものが気になったりします。
ちなみにわたしは…。
おそらくいくつかの「時代」があったように思います。
まずは「ベタベタのかかわり」をしていた頃。あの頃は、担任を持たせてもらえず、教科でしか子どもとかかわれなくて、それでも一生懸命子どもと「話」をしていたなぁ。
続いて担任をはじめた頃。あの頃は、おそらくすごく熱いかかわりをしていたんじゃないかなぁ。「非行は宝」と心に刻んで、「謹慎上等!」みたいな感じでした。家庭訪問の件数は学校の中でずば抜けて多かった頃ですねぇ。
そして担任末期。この時が大きな転換点でした。「子どもを変えるのは子ども」ということがわかった。それを教えてくれたのはMという生徒をはじめとするクラスの子どもたちでした。わたしがやったことは、子どもたちのネットワークをどうつなぐかということ。子どもたちがどう動くか。その動きをじゃましないようにしながら、その動きを側面からサポートする。どのことどの子をつないだらどうなるかということを意識していたし、どのことどの子がつながっているか、その関係が変化しているかを、常に見ていました。そうして、子どもたち同士がつながっていった。
現在は…。とてもではないけどシステマチックにできるような状況ではありません。そこへ持ってきて、担任をしていないから、自分の「実験場」も持っていません。とりあえず、それでも自分が「実験」できる場としての授業から、子どもたちのネットワークづくりをどうしていくかということかなぁ。そんな中で、しんどい生活をかかえている子や、ともすれば脱落しそうな自分を叱咤激励しながら疲れてしまった子や、学力をつけてこられなかった子や、あんな子やこんな子が、それでも自分なりに学べる空間をどうつくるかということ。そこに、「学び」をコーディネートする人間として存在したいなぁと思っています。そうとう難しいですけどね。
そしてもうひとつは、学校の外に「場」をつくること。「場」と「場」の出会いをコーディネートすること。子どもたち同士が話せればいいんですよね。わたしはそこにいるだけで、たぶんいいんです。「わたし」はいるけど、「わたし」はいない。そんな感じ。
どんどん存在は引いていっているけど、仕掛けは前より増えたんじゃないかなぁ。

*1:作法?

*2:これはもちろんほめ言葉

流儀の違い・全同教2日目” に1件のコメントがあります

  1.  まず、前半について。

     教員と言うお仕事は、もちろん、研鑽を積み徐々に進歩することも大切ですが、目の前にいる児童・生徒とはある意味一期一会。「そのうち進歩する」「今年は失敗したけど来年こそは」が許されない厳しいお仕事ですよね… 頭が下がります。私だったら数ヶ月で胃に穴が空きます。

     次に、後半について。

     新旧どちらの市長の方が良いのかは、こちらでは十分な情報が得られないので控えますが。あれ、前市長陣営が明らかに選挙戦術ミスしているように、こちらからは見えていました。ハシズムだの、主要既成政党連合(野合)だの、「自分たちは、無難だけど、特に何もしない」と宣言しているかのように見えましたね。「アンチなになに」では魅力がない。相手のペースに乗ってしまうだけ。新市長側のアオリに乗って、大失敗したような。

     一部雑誌メディアの出自批判も酷かったし。あれも、新市長に、結果的に追い風になった?

     あと、大阪市民・府民からは
      「教員を含む公務員≒税金を搾取するブルジョアジー」
      「自分たち庶民  ≒プロレタリアート」
    に見えているのかなぁ、と言う印象を持ちました。こちらでの報道で出てくる、大阪市民・府民のインタビューなどから。で、彼らは革命を選んだ、と。中身がどうなるか?はさておき、変革を、と。

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