障碍学における社会モデル

朝、とりあえずなんとか新幹線に乗って京都に向かいます。○緒さんが
「あこがれの新幹線出勤」
とか言っておられましたが、ほんまにもう…。
で、なんとか職場に到着。もうろうとする頭でひたすら雑用を片づけます。にしても眠い…。
午後からは、人権教育研究会の研修会です。講師は世人研の松波さんです。
人権教育の世界で障碍を取りあげるの、実はけっこう難しかったりします。いや、いちおうやってはいるのですが、おそらく「障碍ってなんだ」ということを深く考えてやっている人は少ないんじゃないかと。なぜかなぁと思うと、それはきっと、教員、とりわけ高校教員の世界のまわりに障害者がほとんどいないからじゃないかと思います。
普通高校って、特別支援学校と完全に別世界にあります。いちおう同じ府立高校なので「なかま」ではあるのですが、やはりそこには分断がある。さらに、特別支援学校のとりくみは、ある意味「自立生活」というスタンスと相反するところもある。で、障碍学とかは、やはり自立生活の思想の中から出てきているように思います。
となると、どうしても障碍学とふれあう機会が少なくなってしまいます。
幸か不幸かわたしは松波さんやリビングライブラリなんかとのつきあいの中で、「顔のわかる形でのつきあい」をさせてもらっていて、そういう人たちが自分自身のことをどうとらえ、どう活動していくかということとふれあう機会もあります。でも、やっぱりそれを普遍的な形で教材かできるかというと、それはまだまだ難しい。
今回は、そういうわたし(たち)に一石を投じてもらいたいと思って、松波さんに来ていただきました。
いや、おもしろかったです。
松波さんが具体的に出会ってこられた人々の話や、「きらっと改革委員会」で論議されている内容など、具体的な事柄に基づきながら、障碍学でいったいなにが論議されているのかというあたりを、すごくわかりやすく伝えてもらえました。
ただ、おそらくいろいろ複雑な気持ちで聞かれた方もおられるかとも思います。そこはこれからわたしたちの間で論議をしなくちゃならないことなんだろうなと思います。

障碍学における社会モデル” に2件のコメントがあります

  1.  なるほど、ほんとに別世界なんでしょうねえ。高等学校まで行けばなおさら。特別支援学校の先生にはどう聞こえたか。ゲリラ的にでも橋が架けられるといいんですけどね。

  2. そりゃねぇ。インクルーシブがまったくすすんでいない。というか、輪切りがすすむなかで、反対方向に行ってますからねぇ

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