で、月島に移動して懇親会です。とりあえず「2次会コース」で9時45分〜11時45分。ビール→ワインと呑みはじめます。当然話の内容は映画の話とか、次回以降の上映会の話になるわけですが、もう一個、あしたからはじまる「GID学会」にも及びます。なんだかんだと話をしているうちに、あっという間に2時間が経過。でも、ぜんぜん足りていないUITトリオとかO島さんがいるわけで。さらに、某K西医科大学のO田さんも最後の方に合流です。
てことで、お店に
「残留させろ」
とお願い。席は変わったものの、無事残留できました。もちろん、
「ぜったいヤバイ」
と思われた聡明な人は帰られたわけですが…。
で、結局5時頃までなんだかんだと呑み。店を出ると、すでに明るいです。
さて、どうするかな…。まぁO島さんと合宿か(笑)。
日: 2011年6月3日
で、謎の上映会
その後谷川さんと一緒に電車に乗って、京都駅で別れます。まぁ電車の中の話は、いろいろディープでしたけどね。で、わたしは新幹線に乗って移動。到着したのは江東区です。
今日は「coming out story」の正式版の上映会です。とはいえ、バージョンはふたつあるとか。今日はwetバージョンかな。
会場に到着したら、交流会をやっておられます。顔ぶれを見ると、
「ありゃまぁ!」
という感じの人が何人か。いやぁ会えてよかったです。
で、しばしセッティングをして上映開始。
基本的には45分バージョンと同じ流れですが、最大の違いはA久◯さんの登場シーンがガッツリあることです(って、それかい!)。
それにしても、上映直後のみなさんの反応は、前回もそうでしたが、「沈黙」なんですね。いったいなんでなんだろう。たぶん単純に「暗い」という話ではないような気もしますが…。もっとも、映画のことを忘れたようにだベルよりははるかにいい反応だと思いますが…。
人権学習
てことで、今日は3学年一斉の人権学習です。1時間目と2時間目があいていたので、ここでいろいろ仕込みをします。で、3・4時間目に授業をして、ここから一気になだれこみます。特に2年生の1学期は部落問題についての講演。今年の講師は昨年と同じく谷川栄一さんです。
それにしても、うちの生徒たち、人権学習の講師については、ほんとうに幸せだと思います。1年生は具志アンデルソン飛雄馬さん、2年生は谷川栄一さんで、3年生は中倉茂樹さんです。かなり豪華としかいいようがないですよね。
谷川さんの講演は、ある意味とりとめがないんですよね。メインテーマがどこにあるか、あまりはっきりしていない。でも、それこそが魅力なんです。
つまり、ひとりの人間の生い立ちは一本の道であらわされるものではなくて、さまざまに寄り道をしながら、いろんなことが重なりあって、今に至るんじゃないかと思います。そして、その複合的な結果「今やっていること」にいたります。なんというか、「これがあったからこうなった」ではない。それがおもしろい。
だから、もしかしたら生徒たちにとってわかりにくいかもしれない。でも、それを越して谷川さんの話には魅力があります。その魅力を引き出すのは、実はわたしたちの仕事なんだと思います。
月曜日の授業で
「いやぁ、谷川さんの話聞いたけどなぁ、わたしは◯◯と思ったわぁ」
と生徒の前でふとした感想を言うことで、子どもたちになにかが伝わると思うんですよね。
講演が終わってから小部屋でふたりで話をしていると、やんちゃ坊主がやってきました。
坊「バイク、なに乗ってるんですか?」
谷「スカイウェーブ」
とたんにやんちゃ坊主の目が輝きます。
坊「やっぱり改造してるんですか」
谷「うん、◯万円ぐらいかかってるよ」
坊「チームとか入ってるんですか?」
谷「30過ぎてチームはいってたら恥ずかしいやんか。でも、ツーリングチームには入ってるよ」
坊「オレも将来スカイウェーブ乗りたいんです」
もう、やんちゃ坊主、キラキラしています。まぁそんなもんですわ(笑)。
企画側
うちの職場の人権学習、基本的には担任さんがそれぞれのクラスでやるスタイルです。わたしが着任した頃は
「話す内容に違いがあったらまずい」
という名目で、人権担当*1が体育館で講義をしていたみたいですが、わたしが担任をしはじめた頃に、「自分のクラスで自分が好きなようにやる」というスタイルに変わっていきました。というよりも、当時の先輩の「命」を受けて、わたしが切り込み隊長でそういうスタイルをやっていったんですけどね(笑)。で、その後20数年間、そのスタイルでやっているわけです。
ただ、わたしが担任をしていた頃と大きく変わったことがあります。それは、「好きなようにやる」人が減ったということです。
かつて自分が担任をしていた頃って、人権担当の人がいうのは
「自分を語れ」
のひとことでした。なので、必死で自分を掘り下げて、自分の中から言葉を見つけて、自分の言葉で生徒たちに語っていました。でも、それがわたしにとってはとてもよかったと思います。なぜなら、わたしのクラスでは、わたしにしかできない授業が展開できる。それは隣のクラスも同じ。そういうのが、実は大切なんだと思います。
昨日の講師の話を借りれば
「経験的に蓄積した差別観念に対して、知識で対応しようとするとミスマッチを起こす」
ということになるのでしょうか。
もちろんみんなでいろいろ探してきて「共通教材」を使ったりすることもあるんですが、その料理法はそれぞれにまかされていました。
ところが、現在は全クラスが同じ教材を使います。しかも、ワークシート。そして、解説・解答付きです。これはなぁ…。
でも、そういうふうにしてきたのもまた、わたしなんですよね。
自分が担任をしていたら、隣の担任とフラットな関係で情報交換できるのですが、「企画側」になると、そうはいかなくなるんですね。いろんな人がいろんなことを言ってくる。なので、リファレンスみたいなのを出してしまったんです。これがいけなかった。去年出したものは今年も使わざるを得ません。こうやって、膨大な量の印刷をしなくちゃならなくなってしまうという。
こういう状況を、「企画する側」としてはなんとかしたいと思うのですが、まわりはじめた歯車のまわり方は、そう簡単には変わりません。
てことで、「やる側」もしんどいけど、「企画する側」はかなり前から気が重いという話です。
*1:当時の同和部