仮にTさんという人がいることにしましょうか。
この仮称Tさん、ある意味、かつてのわたしとすごく似ているんですよね。
わたしにはすごく尊敬する先輩教員が何人かいます。そのうちのひとりの方とチームを組んで仕事を一緒にすることになりました。ところがこの先輩、実践面においても理論面においてもすごいものを持っておられます。目標にするにはあまりにも大きすぎる。かといって、
「自分は自分のスタンスで」
というには、その影響力がまた大きい。
自分のスタンスを変えて仕事にとりくみはじめるんだけど、そうなると自分のパフォーマンスが出し切れない。必然的に、わたしへの先輩の評価が下がる。ところがこの「評価」というヤツがクセモノで、他の人からの評価だったら
「フン!」
とか言っていられるんだけど、この先輩からのそれだとそうはいかないんです。なんとかしようと思うんだけど、自分のスタンスでやっていないからうまくいかない。あとはマイナスのスパイラルですね。うまくいかないことが自分自身の自分自身への評価を押し下げていきます。いわゆる「セルフエスティームの低下」ってヤツです。
結局わたしの場合は、「心」を閉ざして、「仕事のつきあい」というふうに割り切ってしまうことで切り抜けることにしました。でも、そのせいで、例えばちょっとした世間話ができない、ちょっとした息抜きができないとか、そしてなによりもその先輩の人間性とふれあうことができないという、まぁなんとも奇妙な数年間を過ごすことになりましたがね。
で、おそらくはその原因は、ひとことものすごく簡単な言葉で表現するならば、「依存」というものだったんだろうなと思います。そうなってしまったのは、最初のボタンの掛け違えみたいなところにあったんだと思います。「ボタンの掛け違え」というのはたぶんその通りで、ボタン穴とボタンの双方の「ズレ」が原因だったということです。
まぁ以上のことは、とても簡略化した話であって、それ以外にもいろいろいろいろいろいろいろいろ、山のようにいろんなことがあったんですけどね。
仮称Tさんとわたしが似ていると思ったのは、単にわたしの思いこみかもしれません。でも、もしもどこかで「あたり」にかすっているなら、まぁ今の状況を変えることも可能だし、克服することも可能だし、「やり過ごすこと」も可能だということです。
実は昨日そんなことを話していたわけですが、職場の帰りだったので車。ビールが飲めないのが残念でしたねぇ…。