今日は久しぶりの滝井参り。
待合室に行くと、うるさいヤツらがいます。まんまるの会の連中です。まぁ、まんまるの会の立ち上げの目的は「待合室を楽しく」だったので、いいんですけどね。にしても、診察が終わっている*1のに、暇つぶしの場所に待合室を使うのはどうかと思いますがね。でも、それもまたいいことなのかもしれません。
で、今日はあっという間に診察室へ。
「あの文科省の通達、どう思われます?」
って、いきなりそこから来るのか(笑)。
「いやぁ、M日新聞のT野さんから原文見せてもらいましたけど、めっちゃええ加減ですねぇ。「配慮しろ」と書いてあるだけで、現場としては「ほんならどうせい」っちゅう話ですよね」
「そうそう」
とまぁ、いつもの診察風景ですわ。でもまぁ、今日はちょっと話があったので、珍しく近況報告です。
「いやぁ、最近ね…」
「ほうほう、なるほど、そうですか」
ってことで、無事診察終了。チッ、今日は診察費がいつもより高いぜ(;_;)
*1:人によっては診察日じゃない
いつもですけど、「まんまる」という言葉が韓国語の発音でのそれに聞こえて、違和感が… それはさておき。
> 出典は順子姐さんだと思いますが
順子さんも言っておられますか?私は、ボイトレの桜庭さん(ST = 言語聴覚士。GID学会にも、何度も出席・発表しておられる方)が力説していたのが印象に残っています。
あぁ、桜庭さんも言っておられるのですか。
基本的にはボイストレーニングって、社会的なものですから、社会的な性=ジェンダーを意識しないといけないというのは、ある意味、あたりまえの話なんだと思います。ところが、それが単純に「声の高さをあげる」ことだけに終始してしまっている感じがして、なんだかなぁと。
もっとも、声の高さを上げることもせず、しゃべり方も考えていないわたしってどうよというツッコミがどこかからか来そうですが(笑)。
遠い昔、そんなことを桜庭さんにレクチャーした記憶が・・・。
まあ、誰が言ったっていいです。世の中じゃあ当たり前のことだから。
でも「音程絶対主義」のGIDの人には当たり前じゃないのでしょうね。
「自分の声は女声じゃない」と思って、しゃべることすらできなくなったり、無理してしゃべってかえって不自然な感じになっている子を見ると、なんか、こちらがしんどくなるんですよね…。