といっても教科会議ですが。
あ、高校の評価って、基本的には「担当者」→「小教科会議」→「教科会議」→「職員会議」→「校長」という流れで決まります。でもまぁ、最後の方になって担当者が出す原案がひっくり返ることは、まずありませんが…。でも、教科会議レベルまでは、まだまだ論議があります。
てことで、いよいよ天王山となる教科会議です。
いろいろデータを準備して、頭を下げる時は下げるだけの理由も準備して、必要な根回しもして、会議に臨みます。で、約2時間の論議の後、ほぼ評価は確定。
これで、ヤツらとの1年間の闘いが終わったわけです。ふぅ…。
評価って、そんなに複雑な仕組みで決まっていたんですね。知りませんでした。私ゃてっきり、担当者の勘と気合いと情実で決まっているのかと…
そういや、高3の時や中3の時。定期試験の結果からはあり得ないほと評価良かったんですけど。よくよく思い返してみると、あれのおかげで都立高校に入れたし、大学では奨学金受給資格の基準にギリギリ届いたのでした。
あれは、先生様方の温情だったのかしら…
もしそうなら。私のせいで損をしたヒトがいてた、ということ?(私立高校を受けるひとは、中学の成績は関係ないからそゆヒトから回して貰ったり。実家が豊かなヒトは奨学金とか関係ないから、高校時代の成績をそゆヒトから回して貰ったりしてたのかしらん?)
だとしたら複雑な気分ですね…
樹村さんの頃はどうかわかりませんが、少なくとも今は、かなり成績のつけ方はドライだと思いますよ。
でも、あ、そういえば、わたしが推薦を受けた時は、見たこともないような点がついていたなぁ。
まぁ、高校は「絶対評価」なんで、ありでしょう…。
私の勤めていた学校では中学からの調査書に「この生徒は問題児であり、教師の言う事を全く聞かなかった」とか有りましたが、こういう事書く人は教員としてどうかと思いましたね。
> 樹村さん
追加です。
まぁ、成績って、もしかしたら、時として、「必要とする人」のところに再分配されるものなのかもしれないです。
> 恵さん
それはそうですが、中学校からの申し送りを聞きながら「ふぅん、ということは、この子はこういう子なのね」とか思ってしまうわたしもなんだかなぁと思う今日この頃です。
で、たいていその予想は裏切られて、とってもいい子だったりするわけです。いろんな意味で(笑)。