10月は2学期の人権学習があります。いちおう担当として担任さんたちと相談をしながら学習をつくるわけで。でも、大筋は4月の段階で提示してあって、それに従って担任さんが実行するという感じです。
で、3年生の担任さんとの話。
3年生は「結婚差別」がテーマです。2時間担任さんがしゃべらなくちゃならないので、いちおうプランを提示します。導入部については「従来型パターン」と「イレギュラーパターン」の2種類を提示しました。
「従来型パターン」は、まぁ言ってみれば部落差別の中で語られる結婚差別から入っていくパターン。よくも悪くも従来型の導入方法です。それに対して「イレギュラーパターン」は結婚制度そのものを問うところから入っていくパターン。
結婚差別についての学習をやっていて、いつも思うのは、「結婚できればいいのか?」ということです。というか、結婚制度そのもの、あるいは戸籍制度そのものを問うことなく、「結婚」について語ることができるのかと、いつも思っていました。でもそれを「担当」として教材化することは、なかなか難しいんですね。というのは、あまりにもその問題意識が共有できていないからです。いや、仮に自分が担任であれば、おそらく10年ぐらい前にはやっていたと思うのですが、それが「担当」だとできないんです。で、今回あえてチャレンジをしてみたわけで。
ところが、担任さん達から出てきた解答は、
「「結婚差別」あるいは「結婚」そのものを扱うことが困難である」
というものでした。
理由は、
「いまや子ども達の間で「従来の」結婚というもののリアリティがどれくらいあるのか」
ということだったんですね。例えば両親のどちらか、あるいは両方がいない子どももいます。両親がいたとしても実質崩壊している場合もあります。子ども達の実態が、すでに「結婚できればいい」というところにはないということなんです。
かといって、だから
「何ならできるか?」
というわたしからの問いかけには答がありません。完全に行き詰まってしまいました。
で、職場からの帰り道、ずっと考えていました。ずっとずっとずっと考えて、やがて、小さなヒントの芽が出てきました。結局「結婚」以前の問題だったんだ。ちょっと時間がかかるかもしれないけど、やってみよう…。