あの日、ニュースを驚きとともに見ました。あの映像とともに、その瞬間「キター」と思ったことは忘れられないし、忘れてはならないと思います。そして、あの時を境に「世界」は確かに変容しました。
君たちが自分のまわりの細かなことのみに気をとられている間にも、君たちはまるでベルトコンベアーに乗せられたかのように、流され続けている。
将来、「こんなはずじゃなかった」と思わないために、自分のまわりだけじゃなく、世界を見つづけることが必要なんだ。
これが今日の授業の最初の言葉でした。
たとえ数が少なくても、それでも聞いてくれる子に伝えよう。くじけそうになるけど、あきらめないと、あの日に決めたんですよ。
競技スポーツは、究極的な男女二分制ですからね。
今回の件で、大勢の人が、そのことに疑問を抱いてくれると、よいのですが・・・。
たしかにたしかに。
性別によらず参加できる競技だったら、こういうことは起こらないんですね。
考えてみると、競技スポーツって、ほとんどが「女性が劣る」競技ばかりな気が…。そういえば、100kmマラソンだったら女性の方が強いとかいう話がありましたっけ。
>競技スポーツって、ほとんどが「女性が劣る」競技ばかりな気が…。
それは、競技を考案し、オリンピックに採用したのが男性だからです。女性が考案したら、かなり違ったものになっていたかも。
> それは、競技を考案し、オリンピックに採用したのが男性だからです。
いや、もちろんそれをわかってのうえで書いています^^;;
にしても、「女性の方が強い競技」を「男性」が考案したら「しゃもじ競争」だったりして…。
たいへんご無沙汰していますm(__)m高橋みずきhttp://blogs.mobile.yahoo.co.jp/p/blog/myblog/mytop?bid=ftmtgmizukiです。
西洋史の中で、「速いこと」はもともと弱いこと、逃げるという卑怯なこととされ、「速い人」の価値は高くなかったらしいです。
しかし、今や、速いことは強いことと並んで価値あることになっています。
強いということは「男性」的な価値観だと思いますが、速いことは男性的な価値観なのでしょうか、女性的なそれでしょうか。
女子フィギュアスケートでの美しさは間違いなく女性的なもの。男子フィギュアスケートでは、力強さが多分採点材料になるのかしら? 男子フィギュアスケートで、美しさ、華麗さ、しなやかさなどが評価されたらいいのにな☆少なくとも、力強さを競う男子フィギュアスケート種目と、美しさを競う男子フィギュアスケート種目があったら、うれしいなと思います。
「ニューハーフ」さんや女装子さんの出場が増え、スポーツの男女二極化から「多様化」に変わっていくのかなと思います(^^)d
アタシも若かったら、胸元の開いたウェアで地方予選ぐらいは出たいかも(^-^)/
女性ばかりだったら、そもそも世界中から集まって何かを競おうなんて考えなかったかもしれない。
集まって、いろいろおしゃべりはするだろうけど。
> 女性ばかりだったら、そもそも世界中から集まって
> 何かを競おうなんて考えなかったかも
そうそうっ!皆さまの議論?を見ていて、一番感じたのはそれでした。「競技」なんだから、競うことが好きな男性原理に支配されてトーゼンじゃん、と。女性はそもそも競技なんか考えないヒトの方が多いような…
なんか、ドラスティックな方向へ話が進んでいますね。
でも、確かに考えてみると、女性による競技スポーツのコーチって、ほとんどが男性ですね。そのあたりにも、男性原理に支配された女性スポーツという在り方があるのかもしれないですね。