某MLで流れている投稿をつらつら見ていて、「はぁ…」と思いました。
曰く「女装とGIDは違う」
曰く「一緒にされたくない」
なんなんだろう…。
自分の中に「女装フォビア」があるかどうかというと、それは「ある」なんですね。それはわたしには抜きがたくある。
でも、それはわたし自身の問題なんですよね。わたし自身が、そういう自分が持っている「フォビア」とどう向きあい、どう折りあいをつけていくかということなんです。
というか、「女装者」から「GIDなんかと一緒にされたくない」という声があがるという可能性を*1まったく度外視したこういう考え方に、わたしはどうしても違和感が残ります。
*1:実際あがっているんじゃないかなぁ
あがってますね。
少数ですが直接聞いたこともあるし、わたしの参加してるトランス系SNSで、まさにそういう意見を聞いたところでした。
>「女装者」から「GIDなんかと一緒にされたくない」という声
新刊の『コスプレする社会』(せりか書房)掲載の拙稿「変容する女装文化」の中で、GIDと距離をおきたい女装者の声を取り上げました。
私としては、GIDの女装フォビアにこそ、ある種の「病理」が潜んでいると思っています。
次の論考では、「差別者としてのGID」を取り上げる予定です。