今日は総括討論の日。
考えてみると、全同教大会でも論議の時間は1日半。全外教大会だと1日しかありません。それに比べて、日教組教研って2日半あるんですよね。えらい長いですが、それだけに濃いぃ内容になる可能性を秘めています。で、両性の分科会は、濃いぃんです。「家族」「働くこと」「性」「意識・慣習」といった、まさに「生きること」にかかわるさまざまな論議がかわされます。
総括討論の日は月曜日なので、ふだんはなかなか参加できないんですが、今年はたまたま休みがとれたので参加できました。
参加してよかったと思いました。
1時までの4時間。参加者の皆さん、ふだん思っていること、今回の教研で感じたことを、まだまだ納得いかないけど、それでも時間の許す限りしゃべり続けたんじゃないかなぁ。
分科会が終わったら、互いに「ありがとうございました」と笑顔であいさつを交わすのも、この分科会のいいところです。レポーターも傍聴者も司会者も助言者も、そして会場責任者も、みんなでこの分科会をつくっているということがよくわかります。
ある方から「昨日の呑み会、楽しかったです。ひさしぶりに大学生になった気持ちでした」と言われました。そうなんですよね。そういう時間が必要なんだ*1。
「また来年!」
「また夏の両性研で!」
とあいさつを交わしながら、会場の出口へ。
*1:もっとも、わたしはしょっちゅう大学生みたいなことやっていますが(笑)
実は、わたしも、11年間、日教組の一員だったんですよね。もちろん、一回も、日教組の教研大会などには行ったことはありませんが。
大阪府立大学の専任講師、助教授であったころ、大阪府立大学教職員組合の組合員でもありました。新任教員のアテ職として、執行委員にさせられてしまいました。日教組に上納金を払っている関係で、日教組から、某大なビラが送られてくる。それを配布するのが役目。ビラなど1行読んだだけでイヤになるようなものばかり。それをメールボクスに入れるのが、わたしの任務。「なんで、オレはこんなことをしなければならないのか?」嫌で、嫌で。
先任者からの申し送り事項は、「徹底的にサボリなさい。社会党から選挙にでも出て、国会議員にでもなりたいのならともかく、まともな研究者になりたいのなら、この仕事は必要最小限で結構です。」
ただ、大学の組合の一員としては、スキーなど、懇親会系の行事には、比較的まじめに出席した。
理系の学部では、多くの人が、生涯、助手どまりの人生を余儀なくされる。教授になれるのは、ほんのごく一部である。組合行事のスキーの際などに、宿で、そうした方々とお話をした。
妻も子もいる。それでも、生涯、「助手」である。ご家族には、どのように説明されたのであろうか。
わたしは、赴任当初から、「講師」である。大学が厳しい身分社会であることを実感させられた日々であった。
しかし、公立大学の助手はまだ恵まれているのである。すくなくとも飢えずにすむ。私立大学の非常勤講師というはるかに厳しい状況があることを、後に知ることになった。まさに、餓死するかどうかという状況である。
> 今回だけは匿名さん
貴重なご経験、ありがとうございます。
組織が大きくなればなるほど、徒労とも言える(てか、まんま徒労)業務が膨大になりますね。
うちの組合は「限界集落」状態なのですが、それでも役員の方々はすごくたいへんだと思います。わたしとしては、そういう人たちの「はしご」をはずさない思いだけは持ち続けたいと思っています。