1日おいたらやっぱり呑み

ちょいとお座敷がかかったので、サクッと一席語らせていただいて…。
その後呑み。
一緒に呑んで下さった方は、『屠場文化』の執筆者のうちの1人とか。えらい*1人と呑むことになったなぁ\(^o^)/と思いながら、いろんな話をグダグダ。
8時過ぎには終了。今日は間違って降りないぞ!っと(笑)*2

*1:「おもろい」の意

*2:山科の人も今日はいないしなぁ(笑)

ふかーつ

最悪の体調だった昨日。
9時過ぎに布団に入って、パソコンをいじりながら「ウトッ」と来るのを待って、来た瞬間に爆睡したら、見事に6時に目が覚めました。しかもすっきり!
いつものように、お弁当をつくって、さっさと出発。
自分の身体がおそろしい…。

伝えることの難しさ

ここでちょっと訂正しましたが、ずっと心の中に小骨のようにひっかかっていたことがあります。それは、昨日の学習会の最後の「〆の言葉」にかかわることです。
わたしはあくまでも「当事者には権力がある」ということだけを伝えたかったんです。
ところが、「〆の言葉」では、それを特定の当事者団体について援用されてしまいました。
わたしが言いたかったのは、「当事者も支援者も、そのことを心に刻む必要がある」ことだったのです。にもかかわらず、「〆の言葉」では、それを特定の当事者団体への批判として使われてしまいました。そのことが、ずっとずっと心にひっかかっています。
どうしてわたしはあの時「ひっかかっている」と言わなかったのだろう。いや、それよりもなによりも、そういう伝え方しかできなかったのだろう。
せめてそのことについて、ここで再度書くことにしなければ、なんか心の中のもやもやが晴れない気がします。いや、書いたとしても、「あの時・あの場で」言わなかったもやもやは決して晴れることはないだろうけど。

わたしがあそこで話したのは、なによりも、「当事者と支援者の共依存」の話でした。そして、その時のわたしのターゲットは、「支援者」に向かっていたのです。なぜなら、あそこにいた人たちは、「支援者」としてあの場にいるだろうと考えていたからです。もちろん、わたしも含めてです。
「権力」って、それを持っている人単独で存在するのでしょうか?おそらくは「違う」と思います。その権力を認める関係の中に存在をしているのではないかと、わたしは思います。つまり、権力「関係」ということでしょうか。
当事者が持つ権力性は、誰よりも支援者がよくわかっています。そして、支援者はその権力性を「当事者−支援者」という関係の外部に向かって、往々にして発信をします。まさに、「当事者の持つ権力」を、支援者は「利用」するわけです。しかし、その「権力」は、当事者の存在によって担保されています。そして、その「権力」を外部に対して保持し続けるためには、「当事者」は当事者であり続けなければなりません。となると、「支援者」こそが「当事者」を必要としていることになります。
ここに共依存の関係があらわれてくるのではないかと思うのです。
「当事者」としてのわたしは、「支援者」に「当事者の権力」を行使していないか?
「支援者」としてのわたしは、「当事者−支援者」の外部に対して「当事者の権力」を利用していないか?
そのことを、「自戒の念」を持って意識し続けなければならないのではないかということを、あの場で提起をしたかったのです。

わたしたちが過去の運動から学ぶとすると、それは特定の運動団体に対する批判としてあらわれるのでは決してないのだと思います。そうではなくて、ある「当事者」とされる人と、そこにつながる支援する人たちの「関係性」の中から学ばなくてはならないんだと思います。
例えば、部落問題について考えるならば、解放同盟のみが悪者になっている昨今の風潮には、わたしは強い違和感を感じます。部落問題を通じて、部落の当事者と支援者の間にどのような関係があったのかということを考える必要があると思うのです。その支援者とは、例えば解放同盟を支持する人たちであり、例えば全解連を支持する人たちであり、例えば同和会を支持する人たちであり*1、例えば同和行政に携わる人たちであり、その他、わたしの思いつかないところにいるであろうさまざまな人たちなわけです。
そうした「支援者たち」こそが、実は「当事者(団体)」との間に共依存の関係をつくり、「当事者の持つ権力」を利用してきたのではないだろうかという提起なんです。

トランスジェンダーの子どもたちにかかわる支援者として、あるいは部落の子どもたちにかかわる支援者として、あるいは在日外国人の子どもたちにかかわる支援者としてのわたしは、そのことを心に刻みながら「支援者」としてのわたしの立ち位置を考えていきたい。
そういうことを、あの場で言いたかったんですよね。
と書いても、すでに時遅しかなぁ…。

*1:例えば、選考採用と言われるものは、いずれの団体にもありました

奇跡だな

ネットカフェを6時にスタート。始発の新幹線は6時20分。
京都駅で降りて地下鉄に乗りかえて、いったんお家へ。小雨がぱらついています。最悪です。
でもとりあえず、バイクに乗りかえて、職場へ。
始業5分前に到着。マジ、奇跡ですわ。

そうは問屋がおろさない

ウトウトとして、ふと目が覚めました。「あ、乗り越す!」と思い新幹線を飛び降りました。
と、そこは新横浜。走り去る新幹線。帰れませんorz。
しゃーないので、H井さんに電話。「今晩泊めていただけませんか?」「いいですよ〜、新宿まで来て下さい」
とりあえず、品川までもどります。
と、ちょっと待てよ?東京に今晩泊まったら、あしたの朝、仕事に行けへんやん…。
再度H井さんに電話。「やっぱり名古屋まで行きます」。迷惑なヤツでした。
品川で名古屋行き最終のひかりに乗ります。
で、名古屋到着。まずは腹ごしらえです。ちょうど吉野家があったので、牛丼を食べます。もちろん、ビールは入りません(笑)。
続いて今夜のねぐら探しです。ありましたありました。ネットカフェ。1575円で一泊できます。よかったよかった。
明日は始発の新幹線だな。

今日も呑み会\(^o^)/

「一緒に呑もう!」と約束していたH井さん@リビングライブラリー事務局と連係プレーをしながら、参加者の人たちを呑み会へと誘います。その甲斐あって、10人以上の宴会!
おいしい焼き鳥を食べながら、さっきの話の続きとか、全然違う話とか。みなさんとははじめて会ったのに、こんなにも話が盛りあがるのかと、ほんとうに幸せな気持ちになりました。
でも、今日中に帰らないといけません。だって、あしたは仕事だものね。
てことで、8時半頃にお開き。H井さんとMづきさんと3人で東京駅へ。
「20分ほど時間があるね」
「じゃぁ呑みましょう」
と駅のベンチで缶チューハイを飲み始めたヤツが2人いましたよ(笑)。

でも、最終の新幹線に無事間にあって、京都へ。

大移動→日本教育学会

某所で「なにが高座だよ」と言われてしまったので(笑)、新エントリ「お座敷」にしてみました。

今日のGID学会の内容、若年層問題とか学校の話とか、ピンポイントに関心があるのがてんこ盛りなんですが、どうしても抜けなくちゃなりません。すみませんすみません。
てことで、起床は7時。
今回は、気のあうものどおしで民宿で雑魚寝です。シャワーを浴びたいけどどうしようと思っていたら、洗面所にドライヤーを発見。シャワーを浴びることにしました。気持ちいい!
で、Sんちゃんに車に乗せてもらって、8時過ぎにスタート。目指すは長崎空港です。
9時40分にフライト。空路を羽田へ。モノレールと山手線で駒込をめざします。
今日は日本教育学会の関東ブロックの学習会だそうな。
同じくGID学会を途中で抜けて来られた北海道のお友だちも一緒です。
さて、会場についてしばらくすると、ありえない人がおられます。あんた、大阪から来たの?
なんでも、「今日が一日ぽこんとあいたので、もったいないから来てみた」とか。まいりましたよ。
てなことで、学習会の開始。
内容は、

  • 「日本の教育における性的マイノリティをめぐる言説状況」小宮明彦(女子栄養大学栄養科学研究所客員研究員)

主として同性愛についての歴史と現状かな。医療化をしていったGIDと脱医療化をしていった同性愛。もっとも、同性愛の場合は、医療によって「異常・逸脱」とされていたわけで、当然脱医療化をめざしますよね。一方、GIDはどうなんだろう…。

話そうと思って、うしろを見たらびっくり。この方も来ておられました。でも、ヒントがあったのね(笑)。
いつもとはちょっと違うネタなんですが、でもまぁ、笑いがとれてよかったよかった(笑)。

  • 「総合『性と生』で『多様な性』について考える生徒たち」水野哲夫(大東学園高校・総合「性と生」主任)

このとりくみ、すごいです!というか、うらやましい。生徒たちの層はうちの学校とあまり変わらないんだけど、性と生にガッツリと子どもたちが食いついてきて、そこからほんとうによく考えるようになるんだなぁと、感心しました。あと、講演会を放課後にやるというのもびっくりです。それも5回。これ、「最低ひとつは聞かなくちゃならないしれポートを書かなくちゃならないけど、それ以上聞きたい人が聞けるようにする」ためみたいです。

  • 意見交流

まぁ言いたいことを言わせていただきました^^;;。すみませんすみませんm(_ _)m。

GID学会が来た!・終章

懇親会の後は、当事者交流会。やっぱりちょっと人数が少なめなのが寂しいです。でも、幹事さん達一生懸命準備もされて、盛りあげようとされていました。なんで、わたしも及ばずながら協力。
「じゃぁ、グループアピールの時間です。どなたか?」
誰も手をあげない…。しゃーないので
「はい!玖伊屋です。〜」
「続いてどなたか?」
誰の手をあげない…。しゃーないので
「はい!まんまるの会です。〜」
「続いてどなたか?」
誰も手をあげない…。しゃーないので
「はい!トランスジェンダー生徒交流会です」
「続いてどなたか?」
ネタが切れました。てか、estoの宣伝、わたしできへんし(笑)。
その後、2次会というか3次会というか、そういうの。なんか、参加者の方々、半分壊れかけていました。まぁお疲れなのか、ストレスがたまっているのか。でも、こういう場は大切なんだろうなぁ。
てことで、就寝は2時。
あしたはどうなる?

GID学会が来た!・実はこちらが本編(笑)

で、懇親会。
いつもは食べずに呑んでばっかりなんですが、今回は、4時ぐらいからお腹が減っていたので、まずは食べるところからスタートしようと。ちなみに、針間さんはいつものように、テーブル横の好位置キープです。で、乾杯の合図とともに、まずはビールを飲み干して、食事へ…。あれ?いつものようにテーブルに群がる感じがぜんぜんないです。今回は、もしかしたら、かなりのんびりできるのかな?
で、いつもの通り、あれやこれやとしょーもない話をしていたのですが、ふとひとりでおられる中塚さんを発見。酔いも手伝って、ちょいと質問。
「あの、ホルモンの量って、先生は何を目安にしておられますか?」
「MTFの場合は、血中のアンドロゲンの量です。だいたい1pgくらいでいいと思っています」
目から鱗でした!その通りですね!
結局、エストロゲンがどれくらいあるかじゃなくて、アンドロゲンがどの程度抑制できているかということが大切なようです。そうすることによって、自動的にエストロゲンが効いてくる。
「でも、それって案外知られていないんじゃないですか?」
「これ、前から言っているんですけどね。過去の演題を見ていただければわかります。そのためにも、今回学会誌を出したんです。過去の演題の内容を散逸しないことが大切なんだと思います」
さすがやなぁ…。