アンペイドワーク・考

今朝、あることがあって(;_;)、「アンペイドワークってなんだ?」ということを真剣に考えはじめました。
柏市の参画eyeキーワードから転載です。

無償労働と訳され、賃金や報酬が支払われない働き方や活動を指します。その代表的なものは家事や育児、介護、ボランティア活動などですが、自給自足的な生産活動や途上国での水汲みや食料調達などの生存維持労働も含みます。これらの大部分は女性のアンペイドワークによって担われてきました。そして対価をもたらさない労働は労働とみなされず、労働統計にも計上されず、「見えない労働」として不当な評価をうけてきました。

ふむふむ。これくらいのことはさすがのわたしも知っています。
続いて…

1975年の国際女性年をきっかけに、生活のあらゆる領域での女性の労働の価値を再評価し、男女の不均衡な役割分担を見直そうという動きがでてきました。1980年以降、 女性のアンペイドワークの貢献度を目に見えるものにすることが不可欠であるという認識から、国連の機関を中心に、その貢献度の測定と評価のためのデータ収集が進められました。
日本でも1997年から経済企画庁が「無償労働の貨幣評価」を発表しています。無償労働の範囲は、炊事・洗濯などの家事、介護・看護、育児、買い物、ボランティアなど社会的活動の5項目にしぼられています。それによると、1996年の無償労働の評価額は国内総生産GDP)の23.2%を占め、その84.5%は女性が担っており、男女の役割不均衡を如実に表す結果となっています。

問題は項目なんだな。その中でも「ボランティアなどの社会的活動」。こいつの範囲はどこからどこまでなんだろう。
PTA活動は、たいていアンペイドワークに含まれているみたい。地域活動も同様です。じゃぁその「地域」ってどうなるのかな?居住地近辺はたぶん含まれる。じゃぁ、釜ヶ崎の炊き出しは入るのかな?まぁボランティアっぽいです。でも、主催団体によって違うかもしれない(笑)。某基督教団体あたりが「慈善事業」と銘打ってやると「ボランティア」という臭いがしますが、釜日労の越冬闘争の支援だと「ボランティア」という感じがしない。
わたしも参加している、某在日外国人教育研究協議会関係の活動はどうなるんだろう。
例えば、某キリスト教青年団体が「国際交流」とか銘打って大学生を集めて子ども達の交流会をしたら「ボランティア」臭がプンプンするけど、「京都・在日外国人生徒交流会*1」とか、「ボランティア」という感じがぜんぜんない。どちらかというと、個人的には「趣味」だし、外から見たらもしかしたら「宴会」かもしれない。昔ある人からは「特定の党派の活動」とか言われたことあるし。
トランスジェンダー生徒交流会」は子どもを対象にしているから、それでも「ボランティア」っぽいかもしれない。でも、大人を相手にしている「玖伊屋」は、まったくボランティアじゃない。まぁ、内実はどちらも「宴会」だからまったくボランティアじゃないですけどね。
てことで、wiki

ボランティアは、古典的な定義においては自発性、無償性、利他性に基づく活動とされてきた。しかし近年ではこうした定義への再検討が加えられている。まず無償性に関しては、有償ボランティアという存在が出現し受け入れられていることで、ボランティアの定義から外れつつある。

一方、先駆性、補完性、自己実現性といった新たな概念がボランティア活動の特徴として指摘されるようになっている。先駆性とは、ボランティア活動が既存の社会システム中に存在しない役割を担うことが多いということから指摘されるもので、こうした先駆性を持つ存在をチェンジエージェントと呼ぶ。ボランティア分野のチェンジエージェントとしてティーチ・フォー・アメリカなどが挙げられる。補完性とは、既存の行政システムでは対応しきれないニーズを満たす性質のことである。自己実現性とは、ボランティア活動がそれに参加する個人の自己実現の場の役割を果たす性質に注目した概念である。

ふむ。
てことは、これを「玖伊屋」にあてはめてみます。
「自発性→△*2」「無償性→◯」「利他性→△*3」「先駆性→◯」「補完性→◯」「自己実現性→△*4
てことで、少なくとも×はひとつもないので、「だいたいボランティア」だな(笑)。
てことは、わたしのアンペイドワークの時間は長大なようです。

男女平等社会とは、男女が有償労働と無償労働をバランス良く担える社会であるということが、いまや世界の共通認識となってきています。国レベルでの支援策のもとに、住み良い社会を目指して私たち一人ひとりの意識改革が必要だと思われます。

なんか、結論と違う気がする^^;;
まぁ、パートナーとわたしの関係においては「男女」じゃないのでかまわないのか(笑)?

*1:3月14日4時〜15日午前・東九条でやります。暇な人はのぞいてください。冷やかし大歓迎です

*2:スタッフという強制力がある程度働いている。そのスタッフも自由意志かというと、あなかちそうとも言い切れない。あぁややこしい

*3:自己実現性という部分を含む以上、完全な利他性とは言えない

*4:利他性という部分を含む以上、完全な自己実現性とは言えない

エネルギー保存の法則に反するもの

そういえば「肩こり保存の法則」というのもありますね。
肩が凝っている人の肩を他の人が揉む。すると、揉んだ人の肩が凝る。で、損失分を考えると、世界全体の肩こり量は増加していく。みたいな…。

でも、「エンパワー保存の法則」ってあるんだろうか。
誰かの話を聞いて「エンパワーされた!」と感じます。そのことをスピーカーに伝えたら、スピーカーもまたエンパワーされます。もちろん「搾取された」という思いの時もあるだろうけど、そればかりじゃない。
互いに互いをエンパワーしていくという作業は、もしかしたら、世界全体のエンパワー度の増加につながっていくのかもしれない…。

そういえば記念日

そういえば、1922年の今日、岡崎公会堂で全国水平社創立大会があったんだ…。
はたしてあれからこの国はちょっとはマシになったんだろうか…。
少なくとも「差別はいけない」ということは浸透したな。ふむ…。

国民という呼称の氾濫

なんか、小沢の秘書がタイーホとか…。
まぁそれはそれとして、政治家もマスコミも、ひたすら「国民への説明責任」と連呼しています。
「国民」なぁ…。
てことは、在日外国人への説明責任はないということかなぁ。
「国民」という言葉は、自動的に「国民でない人=外国人」を除外する言葉なんですよね。
最近、総選挙をにらんでか、やたら「国民」「国民」と連呼しています。それを聞くたびに、知りあいの在日外国人の人たちの顔が浮かびます。前はこういう言い方、少なくともマスコミはあまりしなかった気がするけどなぁ。
そういえば、マスコミはかつては「北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国」と言っていたのに、今では平気で「北朝鮮」だからなぁ。
どこかで歯止めをきかせないといけないし、そのためには、ひとつひとつの言葉の意味をていねいに考えながら使っていかないといけないような気がします。

待合室のセンス

右手が梅雨の頃から荒れていて、「そのまま治るだろう」と放っておいたのですが、ぜんぜん治る気配がありません。どちらかというと悪化している感じ。
なので、半年以上経って、ようやく皮膚科に行くことにしました。
とりあえず、今日診察しているのかどうか電話。
「皮膚科を受診したいのですが…」
「どうぞどうぞ!」(えらい歓迎されてるなぁ…)
「あの、夜なんですが、何時までですか?」
「7時までです」
「受付が7時で終了なんですね」
「いえ、7時に終わりますので、6時40分ぐらいには来ていただきたいのですが」(やる気ないやん(笑))
てことで、6時半に行くことにしました。ギリギリだわ。
待合室に到着すると、待っている人は誰もいません。なるほど、早く帰りたいわけですわ。
保険証を出して待合室の奥にある本棚を見たら…。噴き出しました\(^o^)/
いきなり目の中に飛び込んできたのが『屠場文化』。こんなもの置く医者がどこにおるねん!
そう思ってズラズラと見ていくと、『とりかえばや、男と女』とか『連合赤軍あさま山荘」事件』とか『東電OL殺人事件』とか、なんかそそるような本がいっぱい並んでいます。しかも「貸し出しいたします」とまで書いてある!
にしても、待合い時間0分の待合室に似つかわしくないですよね。
なんか、この医者、これから行きつけになりそう…。

友だちがいるとやっぱ緊張するなぁ…

今日はA住町の人権問題研修会とのことです。
会場に到着してしばらく友だちとダラダラしていると、「あの〜」と言いながら入ってこられた方がおられました。阿波木偶箱廻しを復活する会の方です。
おどろきました。だって、前にお会いしたのは宮崎全同教の時でして、それも瞬間お会いしただけでしたから。そんな、わざわざあいさつに来られなくても…。ほんとうに恐縮です。でも、機会があったら「木偶」を見に行きたいなぁ。
さて、いよいよ時間。午前中にムラを案内して下さった方もおられます。それだけじゃなくって、徳島のお友だちが何人か観客席に座っておられます。ちょっと緊張です。まぁ、「真っ正面」に座らないだけ優しいんですけどね(笑)。
なんでも今日は町の婦人会の研修講座も兼ねているそうです。年配の女性の方々がけっこうおられます。こちらのほうは「話しやすい」パターンですね。
で、はなしをはじめたら、きちんきちんと要所要所でウケてくださいます。さすがは四国の中の関西圏。
おかげさまで、気がついたら1時間半があっというまに終わっていました。
終わってから、いろんな人がこられて、ごあいさつ。こんな活動をされている方もおられるんだ…。
あとはバスに乗って家に帰って風呂入ってご飯食べて寝るだけです。

布団に入って携帯を見たら、今日の話を聞いて下さったお友だちからのメールに気づきました。

自分の感性くらいって詩を思い出し…

という一節がありました。

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難かしくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感性くらい
自分で守れ
ばかものよ

「自分の感性くらい」(茨木のり子)

読みながら涙が出てきました。
わたしの話が直球であったとしたら、それをまっすぐ投げ返してくれる友だちの存在が、ほんとうにうれしい。

番外編・豆玉

お昼ご飯はムラ中のお好みと行きたかったのですが、あいにく日曜日でどの店も閉まっています。まぁ、そのあたりもムラらしいといえばそうなんですが(笑)。
なので、チェーン店に行くことにしました。
メニューを見ていたら、ありましたありました。豆玉。
徳島のお好みの中には甘納豆を入れるものがあると聞いていたのですが、まさに目の前のメニューにあります。これは頼まないわけにはいきません。
出てきたのがこれです。

たしかに甘納豆が入っています。
お味の方はといいますと、甘い(笑)。
でも、生地のフワフワ感とあいまって、これはこれでいけるかもしれないという気になります。さらに、紅ショウガ*1の味がいい感じで、甘納豆の味とマッチします。もしかしたらいいかもしれない…。
さらに、サイドメニューはフィッシュカツです。

これ、お好みにトッピングをする場合もあるらしいですが、今回は鉄板であぶってそのまま食べました。ほんのりカレー味がなかなかいいです。
てことで、今回は番外編なので、dataとかはなしです。

*1:といっても、あの真っ赤な刻みショウガじゃありません。

ここにも銀座があったのか

ムラのある場所って、それぞれの街特有の配置があるように思います。
徳島の場合も、考えようによっては「銀座」とでもいうような感じで、すごく特徴的な形で配置されているように思います。もちろん、ムラの成り立ちや生業がそこに大きく影響しているんでしょうけどね。
今日の午前中は、ムラの人やムラの学習会にかかわった人が、ご自分のムラをていねいに案内をしてくださいました。
わたしが知っているのは、基本的には都市部のムラです。農村部にあったとしても、農業を生業とする経済的に比較的豊かなムラはあまり知りません。
今日案内して下さったムラは、ひとつはそれなりに豊かな感じでした。ただ、それよりもなによりも、そのムラの教育にかける思いに、ちょっと胸に来るものがありました。子どもたちが学べる環境を、自分の能力を発揮できる環境を、ムラの人々がほんとうに真剣に考えつくってこられたことが、ムラの中をまわっていると伝わってきます。そして、それを支える教員たちの心もまた伝わってきます。
徳島の同和教育の分厚さを感じたひとときでした。

久しぶりに見た、あの眼(まなこ)

夜は徳島の仲間たちと呑みです。ちょっと突然だったけど、M口健司さんに電話。「いま、徳島にいます。今晩呑みです」。M口さん、「じゃ、行きます」即答です(笑)。で、「本は持ってこないでくださいね」とクギを刺しておきました(笑)。
三々五々集まって呑みはじめたのですが、徳島っていいなあ。おいしいものが安い!もう、机の上に乗りきらないくらいに食べ物が出てきます。おいしいなぁと思いながら呑んでいると、M口さん到着。はじめはちょっと控えめだったんですが、徐々に出てきます。あの「暑い」しゃべり。なにがいいっていうと、「過去の子ども」の話じゃないんです。「今の子ども」を語り続ける。暑苦しいのは相変わらずだけど、考えようによってはサウナみたいな暑さなんですね。
そうやって話を聞きながらM口さんの顔を見ると、あのぎょろりとした「目」が帰ってきていました。
数年前にお会いした時は、なんとも言えない疲れた背中で、目にも力が入っていませんでした*1。一体この人はどうなるんだろうとちょっと心配していたのですが、この夏お会いした時にはかなり元気になっておられました。そして今回、あのぎょろりとした大きな目が、でも澄んでいるんですよね。「完全復活!」という感じでした。
話をしながら、「また本送るから。中に振込用紙を入れておくから」とのこと(笑)。完全な「押し売り」です。まぁでも、今日持ってこられなかっただけでも「よし」としましょうか。本が送られてくるの、楽しみにしていますよ。
てな感じでワイワイ呑んでいたのですが、あしたもあるということで、9時過ぎにお開き。いい感じですねぇ。

*1:わたしは勝手に「哀愁のプーさん」と呼んでいましたが^^;;