今日は府立高校の人権教育研究会の総会です。
午後からは記念講演。上杉聰さんの講演「部落差別はなぜ今あるのか? −部落史が変わったPart2−」です。
いやぁ、おもしろかった!とりあえずレジュメを紹介します。
1 部落差別はたいへんに古くから存在してきたものだから
「穢れた血筋」(異民族)「着座飲食拒否」「部落は残忍」等偏見の古さと継続性
2 明治4年の賤民制度廃止の際、適切な処置がとられなかったから
賤民廃止令(≠「解放令」)が実現したもの
賤民制度の廃止、法の下の平等
職業の自由(≠「一片の布告」)
欠けていたもの
「過去の差別は誤りだった+今後差別してはならない」の宣言
経済的な補償(華族・士族は国家予算の3割分の秩禄を長期に)
身分制再編成と差別緩和(「四民平等」の語は不在)→部落差別の制度的容認へ
伊藤博文が留意した3点「天皇」「華族」「郷党」 近代の身分図式
3 賤民廃止令の不充分さにより解決が遅れ、近代の差別と結合したから
壬申戸籍 肩書きは「平民」「農」などとし、続柄(血縁)に差別を記載
戦前の差別判決 判決の背後にある近代的身分(血縁・家」)精度の強化と天皇制
就職差別 大企業は日露戦争後から身元調査→部落地名総鑑
4 戦後に生まれた解放のための新しい条件
1946年 日本国憲法の制定と第14条
「すべて国民は、補の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係に置いて、差別されない」
(後略)
1については、簡単に言えば、去年の10月にあった話の復習です。部落の起源は室町・平安にまでさかのぼるという話を、資料にあたりながら話されました。
2以降が今回のテーマ。特に、賤民廃止令についてこってりと話されました。なにより重要だったのが「欠けていたもの」というところ。
賤民廃止令は
穢多非人等ノ稱被廢候條 自今身分職業共平民同様タルヘキ事
辛未八月 太政官
穢多非人ノ稱被廢候條 一般平民ニ編入シ身分職業共都テ同一ニ相成候様可取扱 尤地祖其外除■ノ仕来モ有之候ハ丶引直方見込取調大蔵省ヘ可伺出事
辛未八月 太政官
というやつです(ここからいただきました)。
上杉さんが話された最大の問題点は「今日からは平民と同様ですよ」としただけで、「今までの差別制度は間違いでした」としなかったことである指摘されました。また、「同じですよ」としただけで、「差別しちゃいけない」とも言っていない。では、政府はもしも差別事件が起こったらどのような態度をとるのか。このあたりについても、資料にあたって解説をされました。で、簡単に言えば「まぁ、しゃーないからほうっておく」という態度だったとのことです。
昨日まで「アウトカースト」だった人々が、いきなり「カースト」内に入ってくる。当然混乱が起こるわけです。その混乱に対して、「混乱するのはしかたないし、まぁその人らにまかせておきましょう」となったようです。こういう姿勢が、やがては町村合併時の部落の排除や、部落学校の設立を余儀なくされるというところにつながっていくわけです。
さらに、「過去は間違いではない」→「元穢多というのは間違いではない」という論法から壬申戸籍がつくられていきます。このことが高松結婚差別事件*1での論法「かつての身分を偽るのはよくない」「かつての身分を話さないのはよくない」というのにつながっていく。こういう形で部落差別が維持されてきたということです。
で、法制度上、はっきりと差別を否定したのが日本国憲法であったと。当時の議会の速記録から、「社会的身分」が部落を指すことを明らかにしながら*2、ここをスタートにするべきではないかという提言があって、話は終了しました。
わたし個人としては、明治期以降に部落差別は新たな形で強化されたのではないかと漠然と考えていたのですが、わたしの予期しない形でそれを実証的に話されたという意味で、かなり勉強になりました。