で、35周年記念パーティー開始です。
なんかわたしは「講師陣」ということで、「1番テーブル」に放り込まれたけど、知っている人もぜんぜんいないし、てか、知っていても「えらいさん」ばっかりですわ。
とりあえず、乾杯だけすませて、しばらくまわりの人と話をして、放浪の旅に出ます。何人かの知りあいや事務局の人と話したりしながら、ビール*1→焼酎とレベルアップしていきます。やばいです。
やがて、すごく楽しみにしていた「凸回し」のはじまりです。今日のこのために、徳島からわざわざ来られたそうです。恵比寿さんの踊りや顔を見ていると、生きている以上に豊かな表情を見せられます。すごいなぁ…。
てなことをしているうちに、パーティーは中締め。お客さん達は帰って行かれます。

って、わたしはお客さんじゃないのかい!という話ですが、やっぱり事務局スタッフの人たちと呑みたいし話をしたいわけで。てことで、軽く「打ち上げ」をして、会場の片づけを手伝います。スタッフの人数少ないし、よくこの人数で準備をしたなぁと思います。なんでも、経費削減で、もっとスタッフが少なくなる可能性が高いとか。どないなるんだろう…。
片づけも一通り終わったところで、近くのガード下の店へ移動。とりあえず、終電まで呑みます。なんか途中からオネェトークになっていったのはご愛敬っていうものですね。

で、なんとか終電に間にあって…。う、環状線、大阪まで乗り越してしまった。てことは、終電アウトか?京橋にもどって…。やっぱりアウトです。しかたないので、事務局の友だちに連絡をとって、鶴橋まで移動。ここで合流したはものの、もう、体力は限界です。元気なKり本さんはチゲを食べながら呑んでいますが、わたしは奥の座敷で一眠り。やがて呑み終えたKり本さんと一緒にKり本さんの家に移動。そのまま崩れるように寝ちゃいましたよ。

35周年記念集会

で、会場へ移動。
まずは、沖浦和光さんの講演「大阪の「悪所」について 〜色町・芝居町・被差別部落〜」です。
沖浦さんの話は前から聞きたいと思っていたのですが、やっと聞くことができました。しかも、「ディープサウス」についての話です。
お好み焼きを食べていた関係で、ちょっと遅れたのですが(笑)、無事会場に到着。友だちのI岡さんがとっておいてくれた席に落ち着いて、話に集中です。話自体は、あっちへ飛んだりこっちへ飛んだり、わけがわからないわけですが、でも、子ども心ながら「当時の空気」を吸ったことのある沖浦さんにしかできない話です。たしかに「名講義」でした。でも、最終的になんの話だったのかよくわからないわけですが(笑)。
講演のあと、質問に行きました。
「色町には男娼やMTFもいたと思うのですが…。そうした人々もおそらくは被差別民として存在していたのではないかと思うのですが、そのあたりについてはご存じですか?」
答えは「わからない」でした。やっぱりなぁ。なにせ文献がないらしいです。やはり、わたしたちの先輩についての思索は、順子姐さんが頼みの綱なんだなぁ。

分科会は「組織・社会変革につながる人権の学びを! アメリカ・ADL(反名誉毀損同盟)の多様性教育プログラムに学ぶ」というもの。
う〜ん。この手の「学び」って、参加体験型学習とかワークショップとか、そういうのが多いんですけど、わたし、基本的には苦手なんです。「精神」はわかるんですけど、それを具体化する時にどのような手法をとるかというのは別のことだと、渡しは思っているんですよね。
わたしは自分が話をする時に、基本的には「参加体験型」を意識しています。というか、そうならざるを得ない。「新しい知識を知る」という「だけ」なら、別に参加体験型を意識する必要はありません。ではそういう「講演」がつまらないかというと、わたしは自分の知的好奇心が刺激されるので、すごく好きなんです。まぁ沖浦さんの話がおもしろかったというのが、その象徴なわけで。でも、わたしの話は「知識をつける」という話ではありません。では、何を刺激するかというと、やはり参加意識を刺激したいわけです。じゃぁ、参加意識は「みんなで動いて」という手法だけかというと、それは違うと思っています。
「聞く」という行為には、受動的な「聞き」と能動的な「聞き」があるんだと思っています。「受動的な聞き」は、スピーカーと自分との関係を固定化して考えるものかなぁと思っています。そこではスピーカーは「他者」として存在します。それに対して、「能動的な聞き」は、スピーカーの語りは自分の語りとパラレルに存在します。スピーカーは「他者」ではあるのですが、それを触媒として「自分のストーリー」が自分の中で語られます。なので、スピーカーの語りは絶対化されない。「体」は動かないけど、「心」が動く。そういう語りをしたいと、常に思っています。きっとそこに「参加体験型」という「手法」は必要とされないんだと、わたしは考えています。
てことで、分科会の意図は充分に感じながらも、どこかに違和感を感じながらの分科会でした。てことで、あまのじゃくなわたしを許してくださいね>ファシリテーターのみなさんm(__)m