92年度卒業生の思い出

おとといのコメントに触発されて、「あの頃」のことを少し…。
わたしがはじめて担任を持ったのが、「92年度卒業生」のみんなでした。
それまで新採から4年間、担任を持てなかったんですよね。まぁ、諸事情いろいろあったんだけど、念願かなってようやく持てた担任でした。こんな頃ね(笑)。
このときの担任団はすごかった。
それまでは、「校長様」の「お覚えのいいお方」のみを担任にしていたのに、突然「やけくそか?」とみんなで顔を見あわせるほど自由奔放な人ばかりで構成された学年団でした。まぁ、後から考えてみると、そんな人間にしか担任できない子どもたちだったという話もチラホラありますが(笑)。なにせそれまでは、まぁ「ええ子」が多かったんだけど、この学年、中学校時代に番をはってたとか、高校になってから暴走族とつきあっていきなりデビューしたとか、けっこう元気な子がいましたから。
でも、なんだかんだ言って、89年ですから。まだポケベルもなかった時代ですから。のどかなもんでした。
今でも覚えているのが、はじめての同和学習の時間。同和部から「各担任が自分の思いを2時間語れ。以上」という教案(笑)が出され、みんな「何を語るねん」ととまどいながらも、これから3年間の同和学習への思いをみんなで必死で語りあいました。
ある担任は、得意のギターを持ち出して「手紙」を歌う。ある担任は、自分の見合いの時、親が興信所を使ったことを語る。わたしはというと、それまでの4年間たまりにたまった自分の思いを語ったような気がします。
そうそう。ウチの学校ではやっていなかった「全戸家庭訪問」もやりました。
ウチの学校では、夏休みは保護者を学校に呼んで三者面談をします。でも、それではおもしろくない。なので、どれだけ「迷惑や」と言われようと、みんなの家をまわりました。すると、いろんなことがわかってきます。家の中でのその子の立ち位置や、親との関係。家の中の雰囲気。そんなことはもちろん、その子が育ってきた背後にある「地域」なんかに触れることもすごく楽しかったし、必要な情報だったなぁと思います。ですから、夏を過ぎると、ある子どものことを考える時、家のたたずまいや家のまわりの風景、そんなものがトータルで頭の中に思い出されるようになりました。
一方、ある在日朝鮮人の子どもの「わたし一人でなくてよかった」という言葉と出会ったのもこの年でした。その言葉をきっかけに、在日朝鮮人の子どもたちが集まるクラブをつくりました。ムラの中で学習会を本格的にはじめたのもこの年でした。そして、その学習会に集まった子どもたちのうち3人ほどを「全国奨学生集会@水上温泉」に連れて行きました。一人は、わたしのクラスにいた「中学校時代に番をはっていた」ヤツ。なんでも、「木津川河川敷の決闘」という、ごく一部では有名なことを中学校時代にやっていたそうな。
家庭訪問にしろ、クラブにしろ、学習会にしろ、全奨にしろ、そういう場所で出会う子どもたちは、学校の普段の姿とは全然違います。そういう子どもたちの姿との出会いが、わたしを育ててくれたような気がします。

一方、わたしがスキーにのめり込んでしまったのもこの年。
たまたまいつも行っているスキースクールから「今年はスタッフで来い」と言われ、「タダでスキーができて、もっとうまくなれるな」とスケベ心を出したのが運の尽きでした。結局、シーズンの最後には資格もとることになってしまいます。まぁそこまでスキーに行くとどうなるか…。次の年、思いもよらないことが起こるのですが、それはまた…。

92年度卒業生の思い出” に2件のコメントがあります

  1. 思いもよらないこと・・・なんだろう。私もスキーを始めたのは、映画「私をスキーに連れてって」で白いウェアで始めたけど、転んでも助けてくれる人はいないわ、同じく「彼女が水着に着替えたら」でダイビングを始めたらお財布の中身がすっからかんで遊びに行けなくなるわ。散々だったわ。(笑)

  2. 思いもよらないこと…。
    まぁ、たいしたことはありません…。いまとなっては(笑)。
    さて、続編はいつのことになるだろう。

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