今日は、在日外国人教育関係の某セミナー&祝う会。
「「私には浅田先生がいた」をめぐって」というテーマの講演です。
ん〜…。すごくよかったです。
ただ、ものすごく考えさせられたことも、また確かです。
はたして、「わたしには◯◯先生がいた」と、わたしに言えるのだろうか。もちろん、わたしに大きな影響を与えてくれた先生は少なからずいました。でもやっぱり、高校時代、自分自身のことについて「わたしには◯◯先生がいた」ということが言える先生はいなかった。
それは裏返してみると、私が「私」という徴を持ってはいなかった、あるいはその徴をかたくなに出していなかったからでしょうね。そういう意味では、わたしは「◯◯先生」を拒否していたとも言えなくもないかもしれません。
でもその後、「わたしには◯◯さんがいた」と言えるたくさんの「◯◯さん」と、わたしは出会ってきました。その出会いこそが、わたしにとってものすごく大切なものなんですよね。
そういえば、康玲子さんもあとがきの中で「もしもその後たくさんの人と出会っていなかったら、「わたしには浅田先生しかいなかった」というタイトルになっていただろう」みたいなことが書いてありました。そうなんだろうなぁ…。
それと、わたしは子どもたちにとって「浅田先生」たり得ているかどうか。まぁ、本を読むと、まさに「あの頃の学校」における「あの頃の教員」と「あの頃の生徒」の話であって、とてもではないけど、今の話には置き換わらないです。それでも、時代を越えて共通することがあることもまた確かです。そういう意味で、わたしは、「今」の浅田先生たり得ているかどうか。厳しく問われるなぁ。でも、「浅田先生には康玲子がいた」のであって、そういう生徒ときちんと出会うことが、たぶんわたしをまた勇気づけ育ててくれるんだろうなぁ。
にしても、康さんって、文章うまいわ…。
私は文をまとめるのが苦手で上手に書けないですが、私には先生がいましたよー!! もし在日外国人に自分の身分を告白されたらどうする?などの授業を、本当にたくさんしてくださいました。
差別も何も知らなかったのになんで先生そんな知識わざわざ教えるの?と質問したことがあります。先生は、知ってほしいとみんなが言ってるからや、とおっしゃったのは今でも覚えています。
私は何かあったら、絶対真剣に聞いてくださる先生だと、あの頃から思っていました。 当時は恥ずかしくて相談もできなかったけれど。いつも向き合う姿勢でいて下さっていました。 その時のクラスメイトも、現実問題、親から大反対でしたが、在日外国人と結婚されましたよ。先生のお話が大きかったって言ってはりました。
私にも彼女にも、先生は「私には先生がいた」、です。長文でごめんなさい!!
ども、「92年度卒業生」さん、ありがとう〜\(^o^)/
なんか、ほんとうにいろんな人に「支えられている」ということを実感しますよ。
あの3年間もおもしろかったよなぁ…。
図書館に「私には浅田先生がいた」が入ったので、読んでみました。題名からして、もっと「浅田先生」が出しゃばって(^_^;)くるお話かな?と思っていたら、違ってた。先生の「これ以上やったら出過ぎ」の半歩手前くらい?の絶妙な距離感、ナイス。
にしても。隠していても、表に出しても、いずれにせよ人間カンケー難しいですね、特にマイノリティは。私にゃ、ドコにも「浅田先生」はいなかったなぁ…