この1ヶ月、すごく長かったです。
やはり4月〜5月は大変。でも、ようやく来ました。給料日(笑)。
でも、また長い1ヶ月が待っているんだよなぁ(;_;)
月: 2008年5月
まぁええけどな
今年のわたしの掃除監督の場所は「トイレ」。また微妙です。
てか、生徒のトイレって、両方ともそれなりの汚れ方をします。だって、1日に延べ人数数百人が使うわけですから。もちろん、汚れない使い方をしてくれたらそれはそれでいいのですが、そういうヤツばかりじゃないのがつらいところです。
あと、女子トイレの方は、これまた「突然やってくること」があったりして、こういう時は、しゃーないと言えばしゃーない。まぁ、本当は自分で処理をしなくちゃいけないことなんだけどね。
で、今日の掃除の一コマ。
「先生!終わった」
「ん、便器とかまわりの床とか汚れてへんかった?」
「場外やろ?汚れてへんかった」
「ほかにもあるやん。「突然きたやつ」の跡とか」
「キャハハ〜。なかった。ところで、先生もあるの?」
「そんなもん、干上がっ…。ちゃう(笑)。うるさいわい!」
「キャハハハハ」
そういうのが日常会話ですわ。
しかし、あそこは
「ねーよ、んなもん。うらやましーだろ(笑)」
と返すべきでした。修行が足りませんでした。
まだまだ続く…
昨日寝たのが1時。当然眠いです。朦朧としながらも、とりあえず起きあがってお弁当づくり。
今日は覚悟して職場に行かなくちゃなりません。というのは、昨日の出張が問題でして…。
出張って、行っている間、職場でやらなきゃならない雑務はとまっています。誰かがそれをしてくれるわけじゃないです。さらに、雑務って増えてます。てことは、帰ってきたら普段の1.5倍程度の量の雑務が待っているわけで。
で、職場に着いたら、やっぱりそうでした_| ̄|◯。
しかも今日は放課後職員会議。てことは、完全に詰め詰めでやらなきゃならんやんか。
夜の仕事
今年度は、高座は土日と夜を基本にしようと思っておりまして…。
でも、そんなことを考えていたら、夜の仕事が入ってきまして…。
てことで、毎年行っているここのワークショップに行って来ました。
ここ、50分×3で構成されていて、わたしがそのうちの2コマを担当します。しかも、1コマが高座、もう一コマは質疑応答。って、きついです。だって、いらん話ばっかりするもん。なので、いつも2コマ目の途中まで話してしまいます。これでもマシになったんですけどね。
で、公には3時間でおしまいなんですが、わたしが行く時は4時間目まである。しかもこれが一番長いんですよね。今回は4時間目まで参加された方が6人もおられて、すごく盛況。なんかわたしも熱く&また〜りと語ってしまいました。
でも、おかげさまで最終電車に遅れてしまいましたよ(笑)。
人権教育をめぐる講演
今日は、某人権教育研究団体の総会。こんなんばっかしです。もっとも、この団体は職場の団体なんで、完全な仕事ですけどね。
で、午後は記念講演。大阪大学の平沢安政さんが講師です。
この人の話、前に聞いたことがあるんですけど、その時は、あまりにも流ちょうすぎて、「なるほどなぁ」とは思いながらも、「ちょっとうますぎるなぁ」という感じもしました。でも、今回はよかった。というか、こなれていた。まぁ、こんなことを言うのは失礼にあたりますが…。でも、考えが身体化していた感じがありました。
もちろん、平沢さんは研究者ですから、具体的な実践をご自分がしておられるわけではありません。なので「ここはこうしたらいい」というような話ではない。でも、さまざまなヒントをもらえたかなぁ。
いいレジュメだったから、そのエッセンスを一部紹介。
1、「反差別」から「人権文化の構築」へ
1)90年代以降の人権教育改革の視点
1、人権を「自分の課題」としてとらえるような学習の促進
2、人権教育学校をつくる
そのためには
→「社会の多様な資源(人、モノ、コト、運動)と連携し、協働する
2)「世界中に豊かな人権文化を築く」
1、「いつでも、どこでも、だれにとっても」=人権文化の普遍性
2、「反差別」から「人権文化」へ=否定形から肯定系へ
3、つくりだす人権文化
2、わたしの人権観
人権は普遍的な問題→共通する4つのレベル
1)個のレベル
自尊感情・自己実現
(あなたは自分のことが好きですか?)
2)他者関係のレベル
多文化共生
(あなたはさまざまな他者といい出会いを重ねてきましたか?)
3)社会関係のレベル
社会的承認・社会参加
(あなたはこの社会に対してよいインパクトを与えていますか?)
4)自然関係のレベル
持続可能な開発、地球環境との共生
(あなたは自然の恵みに感謝し、謙虚さを大切にしていますか?)
3、人権教育とは
1)人権教育の4つの側面
1、人権についての教育
2、人権としての教育
3、人権を通じた教育
4、人権のための教育
2)「力と資質」=知識・スキル・態度
知識=ex.リテラシー
スキル=コミュニケーションスキル
態度=水平的関係・自他の尊厳を大切にする・社会へのコミット4以下省略
一番「ふぅん」と落ちてきたのが2番だな。
言葉
一昨日の自己紹介でのトラブルって、「言葉」をめぐる問題なんですよね。
ある「言葉」をめぐって、それが差別的表現であるか否かということ。あるいは、それを指摘するか否かということ。さらには、指摘を受けた側のこと。
そんなことがあったわけで…。
次のようなケース、どうなんでしょうかねぇ。
- かつて、Aさんが「X」という言葉を使った。
- それをBさんが「差別的表現だよ」と指摘した。
- Aさんは「なるほど」と思い、自分が使うのをやめただけじゃなく、他の人が使った時も指摘をした。
- それから数年後、Bさんが自らをさして「自分はXだ」と言った。
- それを聞いたAさんは、「かつて自分に言ったことはどうなっているんだ」と言った。
まぁ、よくあることですよね。
Bさんにとっては、自らをさす「X」という言葉の意味は、自分の中で変化をしているんだと思います。かつては、きわめてパターン化された形でとらえていたものを、文脈の中でとらえるようになった。でも、「かつて指摘をされた側」にとっては解せないことなんだと思います。
じゃぁどうすればいいんだろう…。
ふと思ったのは…。
一番はじめの段階で、単に「差別的表現だよ」という指摘をしたことの雑さがよくなかったんじゃないかなぁ。「X」という言葉は、いかようにも使われます。それの使い方を考えながら、「その言葉」ではなく、「その言葉の裏側の意識」を顕在化させることが必要だったんじゃないかなぁ。
もう少し具体的な話をするならば、
「その言葉は差別的に使われることがある。でも、そうではない時もある。今の使い方についてはわたしは「う〜ん」と思ったけど、別の場面ではそうではないかもしれない」
「もしもわたしが言うことに共感してくれるならば、Aさんも一律に「使うべきではない」というのではなく、それぞれの使い方の裏側にどういうニュアンスがあるかを考えて、「あれ?」と思ったら指摘してほしいなぁ」
みたいな感じかなぁ。
まぁ、これもよくある結論か…。
でも、難しいけどね。
雨あられ
朝、身体が動きません…。
そこのところを「自業自得」と割り切って身体を動かすのが「仕事」っていうものです。
職場に着くと、山のような仕事が待っていました。
あとは、ひたすら左の仕事を右へ、右の仕事を左へ。上から来る仕事を横へ流してとやっていると、あっという間に定時が来ました。
でも、まだまだ残っているぞ…。どうすんねん。
で、ダウン
で、宴会
総会後、近くの中華料理屋さんに移動。約15人の大宴会。ものすごいペースで紹興酒がなくなっていきます。でも、料理がうまい!なかなかのヒットの店でした。
某外国人教育研究団体の総会
最悪の体調ではありますが、出なきゃならないのが悲しいところ。
にしても、みなさん歳をとったなぁ…。最後までつきあっていたのが3人だけ。10年前だったら全員だもんなぁ…。
それでも約3時間、熱のこもった論議をやって、無事総会も終了。