続いて京都に移動。京都市内では、全国在日外国人教育研究集会が行われています。交流会はそこに合流して2日間の交流会の成果を発表します。また、その時間に先がけて、京都のとりくみの紹介のパネルディスカッションがありますが、なぜかわたしがそこでコーディネーターをしなくちゃならないことになっています。
ネックになったのは、甲良町から京都市内への移動です。はたしてパネルディスカッションの時間に間にあうかどうか。もしも交通事情などの関係で間にあわなければ、えらいことになってしまいます。まさに綱渡りです。
幸い特に渋滞もなく、少しトラブルはあったものの、無事料金所で子どもたちが乗っていたバスを追い越して*1全体会の会場に到着。子どもたちより後に出発して子どもたちを出迎えるという技をおこなうことができました。
到着して30分ほどしたところでパネルディスカッション。
問題は、わたしの頭の中は交流会のことでいっぱいだったために、パネルディスカッションの構想をまったく練れていなかったということです。いちおう打ち合わせは事前にしていたのですが、その時の内容も覚えていません。しょーがないので、生徒たちに「質問項目、なにやった?」と聞いて、その場でメモ。まぁなんとかなるか…。なにせ、パネラーは京都・在日外国人生徒交流会の卒業生たちですから、気心がしれているしそれなりに場慣れもしています。実際、いざパネデがはじまると、子どもたちの中から言葉があふれ出してきます。
パネデの中でおもしろかったのは、ジャマイカ出身の卒業生の話。「わたしは、ハーフじゃなくて混血なんです」。ジャマイカって、ほんとうに多民族な国で、その卒業生のルーツをたどるとあまりにもたくさんのルーツがあるとのことです。なので、「ルーツをたどることに意味がない」。振り返って自分の「発想」を捉え返してみると、かつては「(在日)朝鮮人=ある種の純血」にこだわり、その後せいぜいが「ダブル=ふたつ」あたりでとまっています。でも、その卒業生は「ふたつのルーツ」を軽々と越えたところにいるわけです。会場からは「マルチや!」というツッコミが入っていたみたいですが、聞こえませんでした。すんません(笑)。
パネデの最後で「まとめようかな」と思ったら、最後のパネラーにまとめられてしまったので、話のネタがありません。しゃーないので「しつこくしつこく誘い続けること。細々と出いいから交流会をし続けること。とにかく続けることが大切だと思いました」とわたしなりのまとめをした後「突然ですが終わります」とパネデの終了宣言。
で、いよいよ本日の公式プログラムの最後、交流会からのアピールです。会場の後ろから入ってくる100人を超える子どもたちの長い長い列を見ると、「よぅ集まったなぁ」とつくづく思いました。ステージの上に立つ子どもたちの多いこと多いこと。1993年に京都であった全国交流会を担当したのが、わたしと「全国」の出会いでした。そこから14年たって、ここまでたくさんの子どもたちが集まるようになったんだなぁと、ちょっと感慨深かったです。2日間の討論や活動の紹介を行って、会場カンパをつのって、アピール終了。控え室にもどって生徒実行委員長から終了宣言があって、ようやく今年の全国在日外国人生徒交流会が終了しました。
あとは、京都スタッフで最後の後かたづけをして、公式プログラムは終了です。
*1:ETCのおかげです♪