今年の1年生は、いきなりなんとなくリラックスムード。これ、よくもあり悪くもあります。でも、今後のドライブ次第ですね。
さて、問題は、わたしのことをどう認識しているかですね。
これについては、まずは「勝手に決めるな」ということを主張し続けるしかないかなぁ。だって、みんなが「自明」とし、されてきたことに対して「ちゃうで」ということなんだから。
こういうことを、授業の中にどう織り込むか。単純なトピックスとしてだったら、ある意味授業の私物化になります*1。そうはならないように、数学という教科の中のトピックスとして織り込んでいくことが大切かな。
まぁ、おいおい書いていきますわ。
*1:まぁ、授業なんてものは教員の私物であるという話もなきにしもあらずだけどね。でも、昨今の状況だと、教育が権力者の私物になるという話も…
数学で話すとなると、微分か積分か、というあたりか。
> 昨今の状況だと、教育が権力者の私物になるという話も…
政府の意識だと「教員の私物になっている授業を、国民の手に取り戻そう」なのかも。
教員側の意識だと「かつて国家・当局の私物になっていた授業を、教育を、一般国民の手におき続けよう」というカンジでしょうか?
政府も教員も、どちらも「自分たちの方が民意に近い」と思っていそうで、面白い(あ、面白がってスミマセン)
微積で話すとなると、2年生ですね。
それ以外に、集合のところとか、順列・組合せとかでも話ができます。さらに、一番はじめにやる「整式の計算」にかかわるところでも可能ですよ〜。>annojoさん
「民意に近い」という確信がどこから来るかというと、教員の側は「自分は民である」であり、権力者の側は「選挙の結果」というあたりなんでしょうかね。どちらもうさんくさいなぁ。
わたしとしては、「私物化している」ということに対して自覚的であり続けることがとても大切かなと思っているのですが…。
> 教員の側は「自分は民である」であり
あと「自分は一番現場に近い」というのもありそう。なんというか、田中知事時代の長野県知事と県議会・県庁の対立にも似てるような。「自分たちは現場を知ってる!」という議会・県のお役人と、「オレは選挙で選ばれたんだっ!」という知事と。
> どちらもうさんくさいなぁ
ですね。でも、どちらも自分たちが民意を体現しているって信じているから、充分自らの主張について(一般国民に対し)説明しないし。「言わなくても分かるでしょ?」って。説明しても、自己論理のコトバで説明することが多いから、考えの共通する人に対する共感力はあっても、考えの異なる人に対する説得力が足りない。
> 自覚的であり続けることがとても大切
そうですね。
微分=微かに分かる
積分=分かった積もり
関数=関わりの無い数字
(笑)
うまい!>わらしべさん