交流会の意味がわかる・わからないという話がどこかに書いてあった気がしますが(笑)、交流会はもちろん飲み会の意味ですよね。
で、今日は大学院の人とか今日の講義に参加していた人とか、こぢんまりとしながらもおもしろい集まりになりました。やっぱ大学生と話をするのはおもしろいですねぇ…。
その後、帰る方向が同じ先生と一緒に、京都市内のキーステーションまで移動。さらにもうひと呑みして解散。
日: 2007年6月8日
散歩
質問が終わって学生さんが返ったあと、1時間ほど時間があったので、大学の近くを散歩することにしました。
大学は大和川のすぐ北側にあります。この川、知る人ぞ知る銀座通り*1のような川なんですよね。で、大学の近くにもA香というムラがありますここ、まちづくりでも有名ですし、なんと言っても、やっている活動がおもしろいんです。なので、そこを散歩したいなぁと思ったわけです。いっしょに行きたいという学生さんがいたので、ふたりでいろんな話をしながらぶらぶらと歩きました。
実は数年前に散歩したことがあるんですが、今回歩いてみて、前には建っていなかった新しい住宅が建っていたりして、やっぱり変化していました。なにせ、昔からの家なんて、ここいはほとんど残っていませんから。というか、もともとのムラは大和川に張り出すように建っていて、1軒の家に1階がふたつあったとか*2。で、川で金魚を飼っていてそれが生業だったという話を聞いたことがあります。なので、昔からの家はすべて撤去されているわけです。でも、なんかなぁ…。そんな中、前に来た時にも建っていた家が一軒だけ残っていました。3年ほど前まで住んでいた家とちょっと似た感じなんで、「なつかしいなぁ」と。
ムラの端っこにはムラ墓があります。そこに入ってみると、旧日本軍で戦死した人たちのお墓がいっぱい建っていました。みんなすごく立派なお墓です。このお墓、どんな思いで建てたのかなぁなどと思いながら*3、あちこち見てまわりました。
このムラでは、長い間まわりの社会と隔絶されてきた*4歴史を変えていくために自分たちの設計した広い公園や立派な温泉*5があります。温泉は、ともすれば分断されがちなコミュニティをつなぎなおすものですし、公園もまた、そういうものです。その隣には、障害者施設や老人福祉センターがあります。まさに、「福祉の街」という感じです。ただ、なんとなく「それでいいのかな?」という気がしないでもないです。というのは、こういう街づくりが、新たな「隔離」を生み出してしまいはしないかということなんです。もちろん、買い物や仕事や学校の関係でムラの中に閉じこもりきりということはないとは思います。でも、その気になれば、一生をムラの中で過ごすことも可能なのではないか。ある意味わからないわけでもないけど、少なくとも子どもたちにとってそれがいいかどうかは、かなり論議の余地があるんじゃないかと思います。
なんていうことを学生さんと話しながら約1時間の散歩も終了。
大学生
今日は、年に1回あるO阪市がつくった大学(笑)で高座がある日です。
授業をすませて職場を飛び出して、どうにかこうにか待ちあわせの時間に間あいました。講義の時間までちょっと余裕があったので、しばらく大学院生とかがたまっているところでダベリ。なかなか愉快な人たちで、「レポートにWIKIを使うのは許せない!」みたいな話で盛りあがっていました。なんだかなごみますね。
で、講義。学生さんの人数は、わずか9人+先生2人。
ここで話をすると、学生さんにはウケないんですけど、先生方にはすごくウケるんですよね。というのは、先生方はともに京都で学生時代を過ごした方。しかも、お一人はわたしと年が一緒。違うのは学校ですが、それも鴨川をはさんであちらとこちらなので、ほとんど同じ文化の中で、学生時代を過ごしたことになります。なので、細かいネタのひとつひとつが「そうそうそう!」みたいな感じになるんです。
一方学生さんはというと、わたしが学生だった頃は、まだこの世には影も形もなかったわけで、1980年代の話をしても、そらウケるわけないです。なので、先生ウケをするところは、今日はさらりと流すことにしました。自分としては、なんとなく寂しかったけど、まぁしゃーないです。
講義の時間が終わったら、ひとりの学生さんが質問に来られました。なんでも、セクマイのことをレポートにまとめたいとかいうことで、いろいろ調べているそうな。わたしが話の中ではあまりしなかった「葛藤」にかかわる話とか、現在やっている活動趣味のこととかをいろいろ質問されました。
さすがにO阪市がつくった大学に合格されているだけあって、知的好奇心は旺盛ですし、答えた内容がすごく入っていくのがよくわかります。ただ、ひとつ不安なことが…。それは、「鵜呑みにしてない?」ということです。
たしかに疑問を持ち、それを聞き、理解するということはできます。でも、そこで得た答えをかみ砕いて自分のものにしていくというのは、また次のステップなんじゃないかなと思います。そのあたりができているのかどうか…。たしかに素直なんだけど、素直すぎるような気がします。例えば「葛藤」にかかわる話なんて、するりと飲み込むものじゃなくて、自分の「葛藤」と重ねながら、自分自身が揺れるものなんじゃないかなぁ、と。そのあたりが、なんとなく希薄な気がします。つっても、まぁ大学2回生だからしゃーないか。