さらに宝箱

以上は「秋号」だったのですが、「夏号」もあったので、パラパラ。特集「女性とスポーツ」です。この春、熊本で「2006世界女性スポーツ会議くまもと」が開催されて、それの特集号のようです。
すごい!
このひとことです。スポーツ界の潮流が、いまこのあたりにあるんだということをあらためて知りました。
この会議は「IWG(International Working Group on Women and Sports)がやっているようです。はじめて開催されたのが、1994年のイギリス・ブライトンでの大会。そこで決議されたのが「ブライトン宣言」です。その中の、「原理・原則」を引用します。

B. 原理・原則

1. 社会とスポーツにおける公平さと平等
a. 国家及び政府組織は、スポーツに関わる組織や団体が、国連憲章、世界人権宣言、そして女性に対するすべての差別を撤廃する国連条約の定める平等条項に従うようあらゆる努力を行なうべきである。

b. レジャーやレクリエーションから健康づくりや高度な競技スポーツに至るまで等しくスポーツに参加し、それに関わる機会は、全ての女性に与えられた権利であり、人種や肌の色、言語、宗教、信条、性的嗜好、年齢、婚姻の有無、身体障害、政治的信念や政治団体への所属、国籍や社会的素性にかかわるものではない。

c. 資源や権力及び責任は、性別によって差別されることなく公平に分配されるべきだが、その分配方法は、男女それぞれが得る利益の不均衡を是正するものでなければならない。

すげぇ…*1。てか、これがあたりまえのことであって、日本があまりにも当たり前ではないだけか…。

続いて、JOCの冊子から引用。

基調講演1「男女の固定的な役割分担を超えて」
講演では、「伝統的に周囲から求められている固定的な役割があり、それにしばられることは男女を問わず個人の能力を狭めることになる。ジェンダーの平等と女性のエンパワーメントを実現するために、固定的な役割分担を変える必要がある」と語り、その視点はスポーツ界にも必要であると指摘した。

原題は「Challenging the Order Gender」です。
まず冒頭に、「「男女の固定的な役割分担」とは簡単に言えば、男女の役割、責任、活動、貢献をめぐって社会が構成される、そのありかたです。まず認識すべき重要な点は、「男女の固定的な役割分担」は帰ることができるという事実です」というところからはじまります。原文と訳文を読み比べていると、「ん?」と思うところもないわけではないのですが*2、まぁ、「英語力の欠如」で全文が読み切れないというのが情けないです。
再びJOCの冊子から引用。

分科会4「スポーツにおける女性の倫理的問題」
カナダ女性スポーツ振興協会のロフストロム理事長が、同性愛者への理解が進んでいるカナダでもスポーツ界では以前偏見が強いと指摘。周囲との関係悪化を懸念して、同性愛者ということを隠すアスリートが多いためで、周囲が理解を深め、差別が改善される環境作りが重要と訴えた。

分科会でこういうのが論議されるわけで、ブライトン宣言が「お題目」ではなくて、それを実現していくためのプロセスをきちんと踏んでいるということなんでしょうね。他にも「第8分科会「HIV-AIDSに関するスポーツ界のとりくみ」」とか「第10分科会「セクシュアルハラスメントと暴力から解放されるスポーツ文化の創造」」とか、おそらく日本だけのクローゼットなところでやっていたら無視されているような内容の分科会が並んでいます。

IWGのサイトはこちら
プライトン宣言の全文はこちら
2006世界女性スポーツ会議くまもと報告書はこちらからダウンロード可能。ただし、基調講演の日本語訳が1ページダウンロードできません(涙)

*1:性的嗜好」となっているのは、もちろん「性的指向」の誤訳(東京オリンピックを目論んでいる某知事に遠慮して「あえて」か?)。原文は当然「sexual orientation」となっています。

*2:いや、高3の時の英語は赤点でした。そんなわたしでも、人権関係の流れで出てくる英単語はわかるわけで、その訳し方が「ん?」と思ってしまうということなんですよ。

そして、むずかしい箱

続いて、こんなページも…。

心ない人々から「人見は男ではないか。セックスチェックをしたらどうか」などと中傷もされた。

「セックスチェック」の問題はさておき…。むずかしいところですな。大切なのは、これに続く

しかし、人見選手は講演の中で女性競技界の広がりや進歩を訴えつづけていた。

というところなんでしょうね。

ゴミ箱

今日は、避難訓練。避難したあとの集合場所は、体育館です。まぁ、諸事情がありましてね。で、そのあと引き続いて防犯講演会だそうです。
わたしはというと、いつもの通り体育職員室*1でダラダラ。
と、そこで見つけたもの。JOCの出している『OLYMPIA』という雑誌です。パラパラとめくっていると…。こんなページを発見。

1936年(昭和11年)のベルリンオリンピックに日本人として出場したマラソン金メダリスト、孫基禎選手も足袋で走った。

ん?そりゃぁ、当時朝鮮半島は日本の植民地化にあったから「日本人として」はある意味間違っていませんが、孫基禎さんは国際オリンピック委員会の記録の「日本選手記載」の変更を2002年に亡くなるまで求め続けていたわけで、これはあかんと思いますがねぇ。この記載、もしも孫基禎さんが生きておられたらどう思われるだろうか…。
やっぱ、抗議か…?

*1:「体育教官室」っていう人もいますが、わかっている人は「体育職員室」って言いますね。