帰りの車の中のニュースで…。
安倍氏が総裁選出馬表明とか。「美しい国、日本」その内実として「自由と規律を知る凜とした国」「他国から尊敬される国」。なんかいろいろ言ったらしいです。
こわい…。
「美しい」の中身は誰が決めるの?「規律」の中身はだれが決めるの?「尊敬」って誰がするの?
あまりにも形容する言葉が多すぎます。形容詞の中身は、人さまざまだし、その自由度が認められるものだと思うのです。でも、それを一般化してしまう動き。こわすぎます。
「規律」ひとつとっても、先日の校内研修ですら論議がありました。わたしなんて、全員がきちんと前を向いて静かにしている教室*1よりも、みんなが数学について教えあいながらワヤワヤやっている教室*2の方が、はるかに規律があると思っている。でも、ウチの学校でも大半の教職員は前者が「規律」と思っている。たぶん、「規律を知る」となると、わたしなんてつぶされるんだろうなぁ。そういう教育改革を「上から」やるわけでしょ?しかもそこに「自由を知る」なんてある。完全な矛盾だと思いますけど…。
「尊敬」。誰かから尊敬されるのって、「尊敬されよう」と思ってできることじゃないと思うんですけど。自分がしなくちゃならないと思うことを淡々とやった結果として、もしかしたら尊敬されるかもしれないです。でも、そんなことは自分が望むこととは別に、副次的にくっついてくるかもしれない結果でしかありません。
再度掲載です。
庭上一寒梅 (テイジャウノイチカンバイ)
笑侵風雪開 (ワラフテフウセツヲオカシテヒラク)
不争又不力 (アラソハズマタツトメズ)
自占百花魁 (オノヅカラシムヒャッカノサキガケ)