午後は、奈良県のある部落のフィールドワークと部落史にかかわる講演でした。
いま、フィールドワークをして「被差別の実態」を直接的に感じることとができる部落は、ほとんどないかと思います。この町も、そんな部落です。でも、昔と今を比較することや、「いま」をほんの少し深く掘り下げることで、部落の中に凝縮された「現代社会」の諸矛盾や、部落を社会が必要としている現実を感じることができます。また、「より昔」を知ることで、部落差別の本質に迫る糸口を見いだすことすらできます。たった1時間だったけど、とても有意義なフィールドワークでした。
そして、部落史の講演。「部落の人たちは異能者集団だった」という話はとても刺激的でした。また、文書の中から、近世以前においては、部落の人たちは必ずしも貧困ではなく、また、周辺の人たちとも頻繁に交流をしていたこともわかることが、指摘されました。そのあたりを、講演のレジュメのまとめから引っ張り出すことにしましょうか*1。
S地域とT神社の神事について
- 呪術的(神話や陰陽道を駆使した神事)な猿田彦、皮引ねり、皮的張りなどは、素人に命じられるものではなく、それなりの伝統に裏づけられたもの(異能者)であり、近世に担任させられたものではないと考えられる。
- 近世には氏子から排除されていたが、神社祭祀には異能者として参加していた。
- 社会の常態を維持するための異能者の存在は、社会的に認知される存在であった。
- 近世後期には畏怖されながらも、異なった集団として観念的に異端視されるようになった。
- 近代以降も、神事執行の呪術性に対する畏怖は立ちがたく、1915年(大正15年)まで続けられていた(地区内では、異能者としての自負と、異なったことはやめようという意識が相克していた。一方、周辺地区では部落民を神事祭祀から排除したいという思いと、神事の伝統的な呪術性から異能者を畏怖する意識が葛藤していた)。
S地区の経済力について
結局、問題になるのは、近代以降だし、「異能者に対するまわりの人たちのまなざしの変化」を読み解いていく必要があるのかなと思いました。ただ、地区内・周辺地区ともに、「葛藤」があったことはすごく興味深く聞きました。
で、しめくくりに「意識面の差別をなくすためには、いままでのやり方をすべてチャラにして、一からつくりなおしていく必要がある」ということを力説されていました。その通りやなぁ。
*1:講師の方、すんません。わたしの力量ではまとめきれないんです。って、ここは読んでおられないでしょうけど…。