毎年、11月は東九条マダンにはじまり全同教に終わる、怒濤のひと月になります。で、今年はどうかというと、当然怒濤です(笑)。てか、せっかく某キリスト教系青少年育成団体の某実行委員をクビになって一日あいたかと思ったら、きっちりその日に会議が入ったし。ここにもあるように、結局すべての土日はつぶれました。あとは、身体が持つか、家族関係が持つかということの限界への挑戦です。
年: 2005年
抜糸の日
事故のあとの傷跡の方、どうやらほぼくっつきかかっているようです。1週間ほど前に9針中5針分だけ抜糸をしてあったのですが、今日は残り4針の抜糸でした。長かったなぁ…。「これでやっとお風呂に入れる」と思ったのですが、甘かったです。どうも、傷口が壊死をしているようで、そこがはがれ落ちて、おちつくまでダメとのことです。
しかし、まぁ秋でよかったですわ。
クラブの定期演奏会
わたし、高校の時はコーラス部に所属していました。当時は毎年定期演奏会をしていて、卒業後も招待状が毎年来ていました。ところが、ここ数年招待状が来ないなぁと思っていたら、どうやら途切れてしまったらしいんです。で、それが10年降りくらいに定期演奏会を復活させるとの情報が入ってきました。なんでも、恒例の先輩合唱もあるそうな。久しぶりに先輩達や同級生に会うのもいいかなぁと思って、行くことにしました。
開演は2時からですが、先輩合唱の練習があるので、午前には会場に入らなくちゃならない。なので、指定された時間に行ったのですが…。だ〜れもあいさつしてくれない。ま、あんまり知った顔がないので、しゃーないかと思い、受付をすませて、楽譜とバインダーを受けとりました。そうこうするうちにようやく知った顔を見つけたので「よぉ」と言ったのですが、相手は「ん?」という顔。名前を言っても「ん?」。やっぱそんなもんですわねぇ。向こうはあまり変わらないのですが、こっちはずいぶんと変わったらしいので(笑)。それでも、だんだんとしゃべるうちに、まぁそれはそれなりになんとかなってきました。
そうこうするうちに、練習→リハーサルです。で、困ったのが並ぶ位置。客席から見て前列左側がソプラノで右側がアルト、後列左側がテナーで後列右側がベースです。で、バインダーをもらったのはいいのですが、これ、前列に立つ女性用のものだったみたいです。でも、わたしが歌えるのはテナー。しゃーないので、ソプラノとテナーの間あたりをウロウロしながらテナーを歌っていました。
昼から本番。先輩合唱の出番がきました。男性・女性が2列に並んで、女性が先に出て行きます。しゃーないから残っていたのですが、まわりの人から「ほら、急いで行かんと」とせかされまして、しゃーないので「あの、女性だけどテナーを歌うんです」とだいたい本当のことを言うと、「はぁ?」という顔をしながら「確かに、声が低いね」。いや、本人としては高いつもりなんですが…。で、本番。一曲歌い終わったあとのステージの上で、隣の人が「たしかに、テナーの声やなぁ…」。いや、そうなんですよ。テナーなんです。
同年代の昔からの知りあいは、かなり固まりながらも「そんなもんか」と無理矢理理解をしたみたいですけど、先輩達には大いなる疑問符を残したみたいです。
本番の方はというと、久しぶりだったにもかかわらず、ほとんどが暗譜で歌えるという…。おそらく、「音」がわたしのDNAに刻み込まれているんだろうなぁと思いました。で、総勢100人の合唱は、そりゃぁ気持ちのいいもんでした。
本番のあとは、当然のことながら打ちあげ。家が近いのをいいことに、ダラダラと最後までいました。ちなみに、残った人たちはかなりコアな人たちでして、卒業後数十年たった現在も合唱*1をしているような人とか、現役時代の名声がいまだに残っている人とか。久しぶりに、音楽というか合唱というか、そういう空気にどっぷりとつかることができました。
しかし、どうやらわたしは強引系に弱いらしい(ボソッ)
*1:たとえば京都エコーとかで
午後は在日外国人生徒交流会
で、レポートを終えて、東九条へ。こちらでは、京都・在日外国人生徒交流会のメンバーが、11月3日の東九条マダンへ向けて、キムチのつけ込みと焼肉のタレづくり。行ってみると、卒業生とかその友だちとか、結構いっぱい人がいてなかなか活気がありました。キムチ・タレづくりと平行してお昼ご飯づくりもやっていました。メニューは、定番のチヂミと水餃子、あとは簡単なところでピビンパです。作業が一段落したのは、すでに3時頃。それからみんなで昼ご飯を食べて、いろいろ話。卒業生の在日の子が、中国帰国の中学生とけっこういい感じで話をしてくれていました。やっぱり、教員ではできない役割があることを実感したし、それをきちんとやってくれる姿に関心をしました。
昼ご飯のあとは、在日の子が持ってきてくれたチョゴリを使って試着タイム。とうぜん(笑)、生徒からは「次はいつきちゃんな!」という声がかかります。で、その声に答えて、初チョゴリ。*1これがそれです(笑)。ピンクのチョゴリにはちょっと歳がいきすぎていますが(涙)、まぁ、それはそれで…。でも、ちょっとうれしかったです。
なんだかんだで、交流会が終わったのが5時半頃。メッチャ疲れました。でも、たくさんの生徒が来てくれて、とても活気がありました。やっぱり、生徒が来るとおもしろいなぁ。
さて、次は東九条マダンだ!
*1:そのうち公開します
朝は教研
よ〜くわかったよ!
今日は、人権学習の第1週目。1年生は、プリントで日朝関係史…のはずだったけど、体育館でビデオ+教室で講話。2年生は、教室でビデオ。3年生は、講演。で、放送担当としては、1年生のビデオ上映につかなきゃならないので、集合からずっといました。
しかし、集合が遅いのはまぁいいとして、そのあとがイ(・∀・д・)クナイ!
まず、ビデオがはじまる前に教員から話。この話が「子どもの権利条約」とか、まぁ堅いこと堅いこと。のっけからビデオへ向けたテンションが下がります。これじゃなんぼなんでもと思ったので、途中マイクを奪って話しました。「まず、みんなにあやまらなくちゃならないことがあります。みんな、床の上に直接座らせてゴメンね。ほんとうは、イスを用意したかったんだけど、力不足でした」という話から「次に上映するビデオなんだけど、問題が3つあります。問題1、わたしの友だちがでてきますが、誰でしょう*1?問題2、わたしがみるたびに必ず泣くところがありますが、どこでしょう?問題3、みんなの心の中にひとつ残ったものがあったとしたら、それはどこのシーンでしょう?これらを考えながら見て下さい」ととりあえずごまかしておきました。
で、ビデオ上映。まぁまた泣くのはわかっているので、あえて見ないことにしました。
で、ビデオ終了。そのまま教室に入れて話をするのかと思ったら、また前で教員が話しはじめました。「いいか〜、お前ら、人権は大切だ〜。人間はみんな平等なんだ〜。先生もなぁ云々」ずっこけましたね。言葉が届いてこない。しかも、「人権・平等」と同時に「先生」という言葉を吐いてしまうセンスのなさ。
放課後、用事があって教えているクラスの教室に行ったら、生徒たちが何人か溜まっていたので、さっそく質問しました。「問題1と問題2、わかった?」「わかったで〜。問題1は、途中に出てくる高校の先生やろ?問題2は、在日の生徒が友だちの言葉にうれし泣きするところやろ」「その通りやわ。あ、あかん、あのシーン思い出すだけでまた泣けてきた」てな会話。「今度な、キムチつくるし、金曜日の授業の時持ってくるわ」「オッケ〜」てな会話。
人権って、日常会話でやっていかないといけないと思うんですよね。ましてや、怒りながらしたらダメ。そしたら、生徒も普通に聞くはずやのに…。おもしろいことがいっぱいあるはずやのに…。
なんしか、よ〜くわかりました。人権学習の時間をつまらなくしているのは、教員の話なんだって。
*1:「んなもん、わかるか〜」とか「オレ?」とか声あり
仕事のペース
で、今日、うちの主任と話をしたら…。「きのう、いろいろ考えたら寝られへんかった」とのこと。そうなんだぁ〜。性格の違いですね。うちの主任さんは、基本的には用意周到な人なんです。そこから学ぶこと、たくさんあります。でも、どうもわたしのスタンスは違うみたい。わたしは基本的には「時が来たらやる」とか「天から降ってきたらやる」という感じなんですね。なので、それまではひたすら「時」とか「天」を待っている感じなんです。
これ、案外工学部出身というのと関係あるかなぁ。卒論の実験とか、機械の順番が回ってくるまでやろうにもやれないです。わたしなんざ、テーマがテーマ*1だったんで、実験室に他の人がいる時は実験を許してもらえませんでしたから(笑)。で、いざやりはじめると、休憩を入れながらやるのが苦手。なので、仕事のペースに関して協調性とかはほぼ皆無です。てか、誰かとやろうとは思わない。
まぁ、わたしと一緒に仕事をしたい人も少ないと思うけど(笑)。
*1:「ガラスをひっかいた音はなぜ気色悪いか」みたいな
まつ〜りの予感
明日は、2学期の人権学習の日です。1・2年生は来週の人権学習のための事前学習、3年生は結婚時の差別を乗り越えていまを生きている人の講演です。
で、講演はまぁいいのですが、事前学習や事後学習の準備がたいへんです。いや、もしも自分が担任ならば、なんなと言いたいこと・伝えたいことをひねり出して口先三寸でやりきれるのですが、現在は「準備する側」の身。「てきとーにやってください」と言うわけにはいかないんです。なので、いろいろと工夫をしてプリントを作成して「これを使ってやって下さい」となるわけです。ところが、そうやって準備をすればするほど、担任さんは「やるだけ」になってしまい、ますます「ていねいなプリント」をつくらなくちゃならないハメになってしまいます。で、最近では部落史とか日朝関係史の穴埋めプリントをつくるハメになってしまっています。まぁ、たしかに担任さんを相手に3〜4時間レクチャーをするよりは楽なんですけどね。自分にとって勉強にもなるし。
ところが、今年のクラス、どうも「かたより」があるようで、しんどいクラスはかなりしんどいみたいです。なので、最新版のお手製の穴埋めプリントでも40分ほどのレクチャーが持たない可能性があるようです。きのうの夕方、接骨医から出た時、「ビデオありませんか?」という話が入ってきました。「でぇ〜」という感じでしたね。下手したら、ビデオの編集が必要になります。となると、タダではすみません。かな〜りあせったけど、まぁ、すでに学校を出ているので、編集するためのソースを考える手がかりすらありません。なので、「あしたはあしたの風が吹く」という感じでした。だってしゃーないもん。
日本シリーズも終わった
矛盾としての存在
この間、ふと考えたことがあります。
事故の翌々日、日常勤務のために学校に行こうとした時、パートナーに「あんた、そんなんで行くの。ええかげんにして」と怒られました。でも、仕事なんで、学校に行かなくちゃしかたがないんですね。で、まぁ学校に行ったわけですが…。てか、1日休みは結局なかったな…。
でも、よくよく考えてみると、犬でもネコでも、ケガをしたらじっとして動かずになおしますよね。それが、自然な姿なんですよね。でも、人間社会はそれを許してくれない。どちらかというと、動き続けるのが「普通の」ありかたです。動きがとまるとたいへん、みたいな。
てことは、社会と自然って矛盾しているんだなぁと。で、そういう社会をつくりだしてしまった人間ですが、やはり自然の影響から抜け出すことなんて不可能です。だから、「自然」と「社会」の矛盾した間を、それでもバランスをとりながら生きていくしかないのかなぁ。
結局は、バランス感覚なんですかね。大切なのは…。