夕方は子どもの発表会

上の子ども、なぜか転校して「演劇部」に入りました。で、今日はコンクールか何かだそうで、サッカー観戦のあと、下の子どもを連れて見に行くことにしました。残念ながらウチの子どもの分を含めて2本しか見られなかったのですが、なかなかおもしろかったです。正直言って、中学生とは思えませんね。てか、うちの高校3年生のつくる芝居より、はるかに高度だと思いました。まぁそりゃそうですわね。やる気のある子が集まって、長い時間かけて練習するんです。夏休みには合宿までしているんだから。
途中からパートナーがやってきて一緒に観劇。その後、「お腹が減った」というパートナーと下の子どもと3人でミスド*1でブランチ。下の子どもは待望のソフトクリーム。まぁ、のんびりしてていいけど。

*1:マクド」がマクドナルドで、「ミスド」はもちろん「ミスタードーナッツ」です。

素直にうれしい

久しぶりに朝は8時過ぎまで寝ていました。これは、素直にうれしいです。しかも、ふとんの中でメールチェック。素直にうれしいです。応接間に行ってバッハを聴きながらコーヒーと新聞。マジで素直にうれしいです。
で、今日はウチの学校のサッカー部が、全国高校サッカー京都府予選決勝に出ることになっています。これに勝てば、去年に引き続き2年連続3回目の出場です。こんな機会は滅多とないので、下の子どもを連れて見に行くことにしました。
総合運動公園近くの駅について、まずコンビニへ。子どものお茶とわたし用には寒い時用の携帯コンロ入りの飲み物を仕入れておきました。で、球技場に到着すると、すでにキックオフの直後。一進一退の攻防が続きます。前半はウチの学校の方は風上。相手側のゴールキックハーフウェイラインまで届きません。風上の有利さの間に点を取ってほしいのですが、なかなか相手のゴールネットを揺らすことができなくて、結局0−0のままで前半終了。ふと、去年の国立のイヤな思い出がよぎります。
やがて後半。風下になって苦しい展開が続きます。ほとんど自分たちの陣内でゲームが続き、いつゴールを割られてもおかしくない状況です。で、後半25分くらいに、とうとうその時が来ました。たまたま相手陣内に深く入り込んでふわりとあがったボールに反応した選手が、これまたふわりと浮かしたボールが見事にゴール。予想に反して1点先取。もう、えらい騒ぎです。ところが、相手のチーム、こっからカサにかかって攻めてきます。左のサイドラインを使って中央にあげる。これが見事にはまり始めて防戦一方。そして、たまらず反則。フリーキックが大きくあがってゴール前へ。キーパーがはじいたところに相手選手が反応して、ゴール。1−1です。これまた去年の記憶が蘇ります。ここから、相手チームはますます元気になって、こちらは防戦一方。こりゃぁだめです。とにかく逃げ切って延長か。延長だったらさらに分が悪いと思っていたその時、たまたま相手陣内にはいってスローイン。これがまたゴール前にうまくあがって、選手が反応。なんと、ロスタイムにはいって2−1。もしかして、あとは逃げ切るだけ?と、相手ボールをことごとく跳ね返しているうちに、ピピピーと笛。もしかして、勝ち?優勝?全国?相手チームはがっくり、こちらのチームは跳ね回っています。ほんまに勝ちのようです。
てことで、今年の年末も東京のようです。お金の算段がたいへんじゃ…。
家に帰ってパートナーに「勝ったけど、東京やねん」と言うと、「あ、行ってきて行ってきて。ついでに上の子ども、アキバに連れてって」って、あのね…。

ちょっとジマソプレイ

今日、5時間目は数人の人権教育関係の人たちが授業見学に来られました。この人たち、忌憚のない意見を互いに言える人たちなので、事後研の時にどんな話が出るかなぁと楽しみにしながら、いつものとおりまた〜りと授業をしました。
そうそう、一般的に言って「研究授業」ってのはしょーもないことが多いんですよ。まず、教案を出さないといけない。まぁあんまりおもしろくないですわな。授業なんて、ハプニングから思わぬ展開があって、それが授業を豊かにするんです。あらかじめ決められたコースをたどれるかどうかなんて、そんなん一番おもしろくないことです。で、事後研究の時は「◯◯センセイの授業は素晴らしかったです*1」か「この教材の教授法は、こうあるべきじゃないかと思います*2」とか、まぁ、しょーもない話しか出ない。だから、「時間の無駄」ということでやりたがらない人がほとんどなんです。
でも、わたしは基本的には「授業は公開しよう。みんなで互いの授業をみながら互いに研鑽しよう」とは思っているんです。で、あとでみんなで感想を言いあう。必要なことは、数学の話じゃないんです。わたしの場合は「数学をネタ」とするのですが、大切なことは「子どもたちが学びに向かったか」「学びの空間を、どうつくったか」ということなんです。それだったら、数学以外の人たちも話しあいに参加できるんですよね。
で、事後研。「いつきさん、ずっと笑っていたよね。すごく楽しそうだった」「黒板をすぐに消さなかったよね。写すのが遅い子がいるのを確認して、ちょっと待ったよね。子どもがやる気を失なわかったよね」「宿題がわからなかった子どもに『あの子がわかっているから、あの子*3に教えてもらえ』って言ったら行ったよね。そういう関係ができているんだね」。
うれしかったです。ふだん気をつけていることをわかってくれて、キチンと評価してくれて、逆にそのことでわたしがさらに意識化できる。自分は間違っていなかったんだろうなぁという確信がもてる。だから、明日からの授業も自信をもってやることができる。エンパワーメントの授業研でした。
でもね、そういう授業ができるのは、生徒のおかげなんですよね。数学は苦手だけど、もともと「学びたい」「やらなくちゃ」という思いは持っている子どもたち。その子どもたちからどうやる気を失わないようにするかということが、この半年間の留意点でした。そのことを、子どもたち自身がきちんと受けとめてくれているからこそ、そういう授業が成り立つ。受けとる子どもたちが、実はすごいんです。だから、ジマソできるのは、「そういう子ども達といっしょに毎日遊んでいるんだぞ〜、いいだろ〜」ってことです。

*1:単なる常套句

*2:えらいセソセイが言うんだけど、「それ、教育実習か新採研の話やんけ」みたいな話。だいたいそんなもん、教科が違ごたら話に入れへんやんけ!

*3:この子、クラスで一番数学が苦手な子

ガクブル

朝、ちょっと寝坊をしたので急いでくるまで通勤している途中、京都市からそろそろ出ようかとした時、ふと気がつきました。「携帯、忘れた…」。とっさに思ったことは…。こわい…。
で、学校に行ってさっそく友だちに「携帯忘れたんやわ」というと、「それこわいで〜。どうする、家に帰って『なんでこの人だけ着信音が違うの?』とか言われたら」「こわ〜。そやなぁ、メールの着信とか見られた日にゃぁ…。アドレス帳とか見られた日にゃぁ…。こわいよ〜!」
で、さっそく家に電話。「今日、携帯忘れたし」「あ〜あ」「(平静を装いながら)まぁ着信とかあっても放っておいてくれたらええし」「ん、わかった」ホッ。じつは、うちのパートナー、機械に弱くて、たぶん機種が変わっただけで操作方法がさっぱりわからない人なんで、なんとかやりすごせるかな、と。
で、ないならないでいいのが、携帯ですね。緊急の連絡もどこからも入らず、静かな一日でした。
家に帰ったら、メールが1件。不在着信が4件。留守番電話が3件でした。いずれも、別に緊急でもなかったみたい。てことは、そんなに必要ないってことだなぁ…。

近代の公衆衛生と部落問題

10月から、京都部落問題研究資料センターが昨年に引き続き「部落史連続講座―近代京都の被差別部落 Part2―」というのをやっています。第1回は10月21日にあったのですが、事故の直後の金曜日ということで、泣く泣く参加を断念しました。で、今日が第2回「近代の公衆衛生と部落問題」というテーマで小林丈広さんが話されました。
と書いていますが、朝まで「あしただ」と思っていました。というのは、友だちに「明日行く?」とメール打ったら「何時から?」と聞いてきたので、時間を調べてみたらついでに香だということがわかったという次第です。
で、話の内容。
今回の話は、明治の中期までのコレラの発生とそれへの対処の中から、いかにして近代の「部落」が形成されてきたかということを、メインテーマにされました。
いや、メッチャクチャおもしろかったです。ていうか、うちのめされました。なので、質問すらできませんでした。久しぶりです、こんなの。
明治期には5年に一度くらいコレラが大流行します。ところが、コレラにかかった人たちの居住地を見ると、部落であるかないかはあまり関係ないんですね。どちらかというと、部落内は少ないくらい。
ところが、「コレラ騒動」が京都で最も激しかったのが、京都府内にある部落であった。ここには、「情報の少なさ」や「コレラ感染者を管理する人たち*1が部落の人々にとってよそ者であった」ことなんかが関係しているという指摘がされました。こんななかで、「部落はやっぱり遅れている」「部落の人間はこわい」などの風評がたちはじめます。
一方、行政としては、コレラの発生源となるであろうところを見込みで「衛生化」をしていきます。ではどういうところが発生源とされたかというと、木賃宿に代表される「生活困窮者の集住地域」です。実は、明治初期にはこれは必ずしも部落とは一致しません。ところが、こうした集住地域を行政が転々と移転させる*2なかで、最終的には「京都市*3」へ追い出していきます。そして、市内と市外の境界にある部落の周辺に追い出された人たちが入り込んでいき、やがて、部落を中心とした「生活困難層の集住地域」としての部落が形成されていきます。
こうした状況が、「コレラ騒動」の話と相まって部落をコレラの発生源としてみなす行政の動きとなっていきます。
このようにして、さまざまな符丁がピッタリとあうように、部落は生活困難層の集住地域として成立すると同時に、まわりから卑賤視される地域として成立していきます。
いままで、経済の面から部落の形成史をとらえていましたが、うすうすわかってはいたものの「衛生観念」から形成される過程を細かく聞いたのははじめてだったので、ものすごい刺激になりました。
次回は「喜田貞吉と部落問題―京都を中心に」と題して吉田栄治郎さんが話されます。これまたすごい期待されますね。楽しみだわ〜。

*1:警察・医者・戸長

*2:木賃宿については、東海道の終着点がもともとの場所だけど、木賃宿の経営を許可制にする中で、このあたりは営業許可を出さなくして、大仏前とか一貫町に移転をさせます

*3:これ、当時の「市外」です。今で言う中京・下京以外のことです

飯山電気が民事再生申し立てかぁ

そういえば、はじめて買ったノートが飯山電気のだったなぁ。その前に使っていたエプソンのPC286Lという286を使っているような名前のくせにV30を使っていたというのを使っていて、あまりにも遅すぎ*1たんですよね。で、家用にTOMCATのVirtual98を搭載したのを買って、その後、互換機路線を走りはじめたんです。で、職場用に買ったのが、飯山電気のノート。まわりはみんなNECのPC386とかで、画面は640×400の白黒なのに、わたしひとり486DX2、640×480のカラーを使っていて、みんなびっくりしていました。たしか、メモリは16M積んでいたっけ。HDDは200Mだったっけなぁ。当時はみんな80MのHDDだったから「そんなでかいHDD、なにに使うねん」と笑われていました。OSはPCDOS5.02/Vでしたね。使っていたアプリは、まずは、FDとVZ。あとは松Ver.6とdbXL。どうしても必要な時はCubic Calc。それとLSIC86を入れてたかなぁ。V-Textを使って、12ドットフォントで「画面が広い〜!」と喜んでいました。その後、石は486DX4に、メモリは20Mに増設。HDDも1.3Gに積み替えて、win95を導入して、やがてその役目を終えました。
ある時野外に持っていきたくなって、自動車についているインバーターにつないで電源を入れたら画面がいきなり真っ暗。で、飯山電気に電話しました。あのときの対応もおもしろかったです。完全に技術畑の人が出てきて「なるほど。つないじゃいけないとは書いてありませんからしかたないですね。でも、お客さんの使い方もあまりほめられたものじゃないですよね〜(笑)。だいたい、DC→AC→DCって効率悪いし、今度DC→DCコンバーターをつくってみましょうか」とか言っていました。2度ほど修理してもらったけど、全部タダだったような気がします。
その後、家のパソコンもノートも2世代代替わりをしました。飯山の次のsharpのノートでは、IEradicatorかなにかをぶち込んで、IE4を削除してopera5を導入したっけ。でも、これまたあまりの遅さに音を上げてやんぺ。その後、職場でもデスクトップを使うようにして、ノートはやめて、持ち運びはLooxというふうに移行したんですよね。
振り返ってみると、純粋に互換機路線を進み始めたのは、飯山電気のノートパソコンだったことは間違いないですね。マニュアルは全部英語。どないすんねんと思いながらも、しゃぶりつくした感じがします。なんか、最近そういうことがなくなってきて、ちょっとさびしいなぁ…。

*1:FEPに松茸を使っていたんだけど、長い文節だと変換するのに10秒ぐらいかかる

いよいよ勝負の時(笑)

まずは、身長体重の測定。身長167.5cm、体重54.9kg。まぁええ線です。続いて、視力と血圧。視力はコンタクト入りで1.5と1.2。血圧は117/76。これもまぁええ線です。
続いて、検尿の提出。ここで質問がひとつ。「これ、大丈夫ですね」指先に視線を落とすと「生理中・妊娠中」と書いてあります。まずは、1勝(笑)。
次に、気合いのはいる心電図。入るといきなり「ストッキングははいておられませんか?」「ブラジャーのホックははずして下さいね」。これで2勝目(笑)。
血液検査はとくになにもなし。最後の難関が内科医による問診です。いよいよ緊張が最高潮に達する、聴診器をあてる瞬間です。「ブラジャーを着けたままでいいので、上着の裾をまくって下さい」これで3勝目(爆)。
あとは、デザートの聴力検査。まぁなにもなしです。てことで、3戦全勝という、過去にない大勝利を収めました。去年は負け続けだったからなぁ…。
そうそう、バリウムですが、アンケートに「イヤです」と書いたら、それが通ったみたいでありませんでした。家に帰ってパートナーから「なんで受けへんの!タダやのに!」ともっともな非難を受けましたが、イヤなものはイヤなんです。てことで、胃部検診は不戦ということで…。

準備だよ、準備!

あしたは待ちに待った…、わけじゃなくて、一年間のなかで最も嫌な日のうちのひとつである「職場健康診断」の日です。
なにが嫌かというと、バリウム!あのまずいのを一気に飲んで、しかも発泡性のある薬を飲んで、ゲップができなくて、こぼれたらこびりついて、しかも下剤を飲まないとえらいことになって、しかもそれを効かせるためには大量の水が必要という、あのバリウム。それだけじゃありません。あの恥ずかしいかっこう(笑)!右手をあげたり左手をあげたり、体をくねらせて七転八倒。やりきれません。
そうそう、血液検査なんていうのもありますよね。でもね、この間かなり詳しいのをしたところなんです。肝臓の値がちょっとあがっているのは、わかっているんです。12月にはホルモン値もわかります。だから、これ以上血を抜かなくてもいいんですけど。まぁ、期待できるのは、この間のバイク事故のけがのおかげで白血球の値があがっているかもしれないという程度ですか…。
あと、勝負所というと、内科検診ですね。聴診器が下から入るか上からはいるか(笑)。
てなことで、まぁ「たしなみ」として、心電図の時のためにむだ毛の処理だけしておきましょう(爆)

やっとだよ…

今日、病院に行って、ずっと聞きたかったことを、とうとう聞きました。「あの、足をあげてお風呂に入ってもいいですか?」なにしろ、いままでは単に「お風呂に入っていいですか?」と聞いていたのですが、一貫して「まだですね」だったんです。でも、もう我慢ができないです。すると、「じゃぁ、足にビニールを巻いてぬれないようにして下さい」という答え。でも、それって、いままでだってそれならOKやんか…。とは思ったものの、とりあえずワクワクしながら(笑)、家に帰りました。
まぁ、体が汚れきっているでしょうから、もちろん入るのは最後。
久しぶりに湯船に体を沈めると、やっぱり気持ちいいですね。で、洗い場で体をゴシゴシ。メッチャさっぱりしました。
てことで、睡眠も快適…。

大阪府立大学社会福祉学会公開シンポジウム

しかし、大阪府立大学って遠いです。交通費をケチるため(笑)、地下鉄→阪急→地下鉄と乗り継ぎ、最後はリハビリ*1も兼ねて歩いたのですが、2時間ほどかかりました。でも、キャンパスにはいると、落ちついた感じで「いいなぁ」と。
打ちあわせの場所に着いてしばらくすると、続々とシンポジストの方が来られました。で、打ちああわせ。実は、今までは好き放題させていただいていて、「打ちあわせ」っていうのをしたのははじめてなんです。打ちあわせのなかでわかったことは「時間がタイト」ということでした。かなり緊張感が走りますね。
打ち合わせが終わってしばらく雑談していると、あっという間にシンポジウムのスタート。
まずは、山中さん・東さんの「セクシュアリティの基礎知識」みたいな話です。わたしは実は又聞き程度の勉強しかしていないので、結構勉強になりました。
で、シンポジウム第1部。トップバッターが、尾辻さん。自分史も交えながら、コンパクトに話をされました。あれだけの内容を30分で、すげー!という感じでした。てか、実は25分なんです。「わたしと同じくカムアウトをされ議員になられた方が…」ということで登場されたのが、上川あや*2さん。話を聞いていると、「おいおい、かぶってもたやんか」みたいなところが多々あって、困ったなぁと。ただ、お二人の話を聞いていると、「『制度を変える』と『社会を変える』の両輪があって、自分(たち)は『制度を変える』ことを政治家としてやるんだ」というニュアンスがあったので、じゃぁ、わたしは「社会を変える」という観点で話をすればいいんだと、一安心。
で、わたしの話。しょっぱなからマニアックでしょうもないネタ*3を振ってしまって、あたるかどうか不安だったんですが、数人が大爆笑をしてくれて、なんとか軌道に乗りました。あとは、「「隠す」社会から「語れる」社会へ」ということで、どこかに書いたネタをたどってみました。しかし、途中に友だちが入ってきたのが見えて、思わず「あ、RZつぶれたねん」とか、わけのわからんことを口走ったりしてしまい、冷や汗をかきました。それでも、なんとか31分で終了。
質疑応答では、「病院などのように、必要な性別記載欄もあるのでは」というのが出てきました。尾辻さんからは、「公的書類の不必要な性別記載欄削除は、不必要なプライバシーを行政に渡さないという意味づけがある」という説明があり、なるほどな、と。で、わたしからは「病院などでは、自分の身体のケアのために必要な情報を提示する。それは、かならずしも性別だけで語れるものではないはず。しかし、性別だけで語ろうとするあり方や、それすら語れない社会のありようが問題」と、自分なりの意見を述べました。
第2部のトップバッターは、こちゅかるさん。介護する側される側を問わず、「女性」のおかれたセクシュアリティにかかわる状況について説明をされ、さらに「障害者のジェンダーを問う前に、介護する側のジェンダーを問うことが大切」という話をされました*4。とてもわかりやすく、かつ切れ味の鋭い話でした。
続いて、横須賀さんの話。SV(セックス・ボランティア)にかかわる話だったんですけど、会場からはすごいきつい話が返されました。わたしは「性的に抑圧された「障害者」がそこから解放されていく途中経過の話かなぁ」とボンヤリ思っていたのですが、あるフェミニストの方からは「まずは権力構造そのものを問う必要がある」と厳しい意見が続出しました。
で、第3部。もちろん打ちあげです。20人くらいの人たちが参加。わたしと上川さんが隣同士。上川さん、熱かったです(笑)。やがて、上川さんは東京へ。そこへ、先ほどのフェミニストの方とか尾辻さんとか東さんが来られて、「いま、なにをアジェンダとするかなのよね〜」と語りあわれます。わたし、ふんふんと聞きながら「むずかしくて、よくわかんね〜!」と心の奥底で叫んでいました。
充分飲み食いして、9時半。そろそろ帰らないとヤバイということで、お開き。みんなで地下鉄に乗って、打ちあげの勢いそのままに話。でも、いい大人が床の上に座って話し込むのはやめた方がいいと思う。けど、かっこよかったよ…。

*1:右膝がいまいち曲がらない

*2:なぜかフルネーム・笑

*3:トランス業界は、刺すか刺されるかの吉野家みたいなところで…

*4:と思う