O阪の高校で高座

今日は、大阪市南部の高校で高座。教職員研修です。
教職員研修って、はまればうまくいくのですが、ダメな時はトコトンダメです。もう、居眠りとか内職された日には数日間復活できません。さてさて今日はどうなるのかと思ったのですが、みなさん、はじめはとても静かでした。「こらあかんなぁ」と思っていたら、だんだんと場がゆるんだ感じがしてきて、みなさんの表情が軟らかくなってきました。あぁ、助かったぁ〜。
結局2時間いっぱい、思いっきりしゃべっていました。やれやれ…。

東九条マダンにかける思い

今日は、1時間目の授業が終わったら、府立高校の人権教育研究会の研修会です。
午前は東九条の朴実さんの案内によるフィールドワーク。午後は、朴実さんの講演です。
前にも思ったんですが、やはり、そこで生まれ育った人の案内ってすごいです。実はわたしもたまぁに散歩に同行させてもらったりすることがあるんですが、もう、ぜんぜん深さが違います。たぶん、あらかじめ「何をしゃべろうか」と考えなくても、その場所に行ったらそこにまつわるさまざまな話が、自分の内側からわき出してくるんでしょうね。こればかりは、勉強してどうなるものでもないなあと思います。とにかく、何回案内してもらっても、いつも新たな発見があるし、すごくおもしろいです。
で、午後の講演を聞いて、朴実さんの話は、「単なる経験」に裏づけられたものじゃなくて、やはりさまざまな活動の中から生み出されたものであることがよくわかりました。
民族名をとりもどす話、「帰化」時にとられた指紋を取り返す話、その他、どの話もすごくよかったのですが、なかでも、東九条マダンにかける思いを聞かせてもらった時、思わず涙が出てきました。
朴実さんが、東九条マダンをしようと思った原点、そして東九条マダンにかける思いは、子どもたちなんですね。自分に続く世代がどう生きていくのか。自分と同じ思いをしながら生きていくのか、新たな価値観をつくりだしていくのか。そのひとつの答が東九条マダンの中にあるんですね。そして、確かにいま、マダンを担っている人たちの中に、朴実さんの思いはきっちりと根付いているなぁと思います。
わたしも、その東九条マダンという「場」を借りながら、自分たちの「マダン」をつくらせてもらっています。ものすごい恩義を感じるとともに、やはり、東九条マダンにつながるひとりとして、責任を感じさせられました。

作業日

今週末が、ウチの学校の人権学習。教材をつくっているのはわたしなんですが、最近ワークシート方式で学習を進めるようにしはじめました。ワークシートですすめるとなると、どちらかというとB4の紙を配るよりも、B5の紙を進行にあわせて配った方がやりやすいように思います。となると、印刷しなきゃならない紙は膨大になります。一回の学習で3学年分のワークシートを印刷すると、ザラ紙が2〆(2000枚)ぐらいいきます。
こうなると、2時間ぐらい印刷機を独占することになるので、やっぱり昼間にはしにくい感じです。なので、夕方人が少なくなりはじめた頃を見はからって印刷開始。
印刷しているうちに、だんだん頭の中は混乱してくるし、途中で嫌気がさしてくるし。でも、実は今週は出張だのなんだのがあるので、今日カタをつけないとどうしようもありません。半分煮詰まりながら、なんとか作業を終了です。
そうそう、こういう日に限って、他にも用事がたんまりあります。昼間にかかってきた電話、何気なくとると、「◯◯タイムスですが、取材をしたいんです」。
今年もそういう季節です(笑)。実は、放送部がまたまた全国に行くことになりまして、その取材です。今回の人身御供取材対象は、あちこちに出没しているMTFトランス高校生です。いい味、出してくれています。ありがとうね!

午後はダウン

家に帰ったのは昼過ぎ。冷蔵庫の中にあるものを適当に暖めて昼ご飯。と、強烈な拾うが襲ってきました。もう、立っていられません。で、ダウン…。
ほんとうは行かなくちゃならないところがあったのですが、パス。ゴメソ。
夕方、下の子どもとパートナーはホタルを見に行ったみたいです。でも、わたしは留守番。とにかく、一時でも寝ていたい。やっぱ、精神的にも疲れていたんだろうなぁ。

事前合宿2日目

朝、ちょっと早めに起きて朝ご飯のおにぎりづくり。やがて起床の時間です。女性の部屋のドアを開けて「あと、15分でパーテーションをはずすよ!かまわないね?」と声をかけました。なかなかややこしい…。
で、朝ご飯。そして話しあい。
昨日ディープな自己紹介をしているので、それなりに話は進みそうなものですが、やはり膠着状態になったり脱線したりします。そのあたりをさばくのがわたしの仕事。適当に休憩をとったり、適当に相談の時間をとったりしながら、なんとか4時間の話しあいの時間を終了して、ひとつの成果を出すことができました。
途中、地元の人たちのホットケーキの差し入れがあったりして、ほんとうにお世話になりました。
で、バスで最寄りの駅まで移動→解散です。みんな名残惜しそうに、それでも、「夏にまた会える」という安心感のある解散でした。

事前合宿1日目

今日は午後からの会議は失礼して、全国在日外国人生徒交流会の事前合宿に参加です。ところがまぁすごい雨。京都からの参加者はわたしの車で行ったのですが、合流地点がすごかったです。いや、雨もすごいんですが、迎えの車も多いんです。ま、しゃーないといえばしゃーないのですが、2列に並ぶのはやめようよ…。
事前合宿の会場は滋賀県東部のある町です。ここの全面的な支援をもらいながら、今回の事前合宿〜夏の全国交流会をすることになっています。
集まってきた子どもたちを見ると、さすがは各地からの代表という感じです。「交流するぞ!」という気迫がみなぎっています*1
まずは、簡単に自己紹介。すでに何回も参加して互いに知りあいになっている子もいるし、今回が初めてでちょっと緊張気味の子もいます。でも、それぞれがそれなりに自分のことを話したり、各地の活動状況を話したり。それにしても、数年前までは各地の「交流会」なんてほとんどなかったのに、今ではずいぶんとそういう活動も広がってきています。ほんとうに分厚くなってきたなぁと思いました。
次に、みんなで晩ご飯づくり。今回は、参加者のエスニシティにあわせてフォー(ベトナム)、バンシット(フィリピン)、Arroz con pollo(ペルー)、水ぎょうざ(中国)、チャプチェ(朝鮮)の5品です。ちなみに、今回のテーマは「パスタ」。ぎょうざがパスタというのはちょっと苦しい気もしますが、まぁ広い意味ではパスタ料理なんじゃないかと。で、それだけではなんなので、Arroz con pollo(ペルー風チキン炊き込みごはん)でボリュームをつけるという感じです。
つくっている風景を見ると、すごくおもしろいです。特に、中国にルーツを持つ子どもたちがおもしろいです。ジェンダーに関係なく、それぞれがこだわりを持っています。なので、時として互いのこだわりがぶつかることもあります。中国語で互いに主張しあっている姿を見るのって、それはそれでなかなか興味深い感じがします。
そんなこんなでできあがった料理のおいしいこと!かなりたくさん食べてしまいました。
で、夜は再び話しあい。今度は「ディープな自己紹介」というテーマだったのですが、これがまたすごいです。ほんとうにディープな話を、みんな笑顔で話します。でも、内容だけを聞いたら、とてもじゃないけど笑顔で話す内容じゃないんです。そんなこんなで、12時頃まで話しあい。その後、就寝です。
あ、わたし、ふつうに女性の部屋*2。でした。もちろん、みんなわたしのことを知っていて、でも特に何かあるわけでもなく、トランスのわたしをトランスのまま受けいれてくれている感じがします。こういうのも、たぶんこの交流会だからなんだろうなぁ。

*1:大人の「交流するぞ」は「=呑むぞ!」ですが、子どもたちは「交流するぞ」=「しゃべるぞ!」なんです。えらい違いやわ(笑)。

*2:というか、大きな部屋を移動式の壁で区切っただけですが

会議

昨日が昨日だけに少々疲れ気味ですが、今日は午前中、某在日外国人教育関係の事務局会議です。といっても、参加して何をしゃべればいいのやら…。どちらかというと、会議の場所で事務作業があったので、そちらに重点を置いていたりした午前中でした。

もちろん交流会(笑)

交流会の意味がわかる・わからないという話がどこかに書いてあった気がしますが(笑)、交流会はもちろん飲み会の意味ですよね。
で、今日は大学院の人とか今日の講義に参加していた人とか、こぢんまりとしながらもおもしろい集まりになりました。やっぱ大学生と話をするのはおもしろいですねぇ…。
その後、帰る方向が同じ先生と一緒に、京都市内のキーステーションまで移動。さらにもうひと呑みして解散。

散歩

質問が終わって学生さんが返ったあと、1時間ほど時間があったので、大学の近くを散歩することにしました。
大学は大和川のすぐ北側にあります。この川、知る人ぞ知る銀座通り*1のような川なんですよね。で、大学の近くにもA香というムラがありますここ、まちづくりでも有名ですし、なんと言っても、やっている活動がおもしろいんです。なので、そこを散歩したいなぁと思ったわけです。いっしょに行きたいという学生さんがいたので、ふたりでいろんな話をしながらぶらぶらと歩きました。
実は数年前に散歩したことがあるんですが、今回歩いてみて、前には建っていなかった新しい住宅が建っていたりして、やっぱり変化していました。なにせ、昔からの家なんて、ここいはほとんど残っていませんから。というか、もともとのムラは大和川に張り出すように建っていて、1軒の家に1階がふたつあったとか*2。で、川で金魚を飼っていてそれが生業だったという話を聞いたことがあります。なので、昔からの家はすべて撤去されているわけです。でも、なんかなぁ…。そんな中、前に来た時にも建っていた家が一軒だけ残っていました。3年ほど前まで住んでいた家とちょっと似た感じなんで、「なつかしいなぁ」と。
ムラの端っこにはムラ墓があります。そこに入ってみると、旧日本軍で戦死した人たちのお墓がいっぱい建っていました。みんなすごく立派なお墓です。このお墓、どんな思いで建てたのかなぁなどと思いながら*3、あちこち見てまわりました。
このムラでは、長い間まわりの社会と隔絶されてきた*4歴史を変えていくために自分たちの設計した広い公園や立派な温泉*5があります。温泉は、ともすれば分断されがちなコミュニティをつなぎなおすものですし、公園もまた、そういうものです。その隣には、障害者施設や老人福祉センターがあります。まさに、「福祉の街」という感じです。ただ、なんとなく「それでいいのかな?」という気がしないでもないです。というのは、こういう街づくりが、新たな「隔離」を生み出してしまいはしないかということなんです。もちろん、買い物や仕事や学校の関係でムラの中に閉じこもりきりということはないとは思います。でも、その気になれば、一生をムラの中で過ごすことも可能なのではないか。ある意味わからないわけでもないけど、少なくとも子どもたちにとってそれがいいかどうかは、かなり論議の余地があるんじゃないかと思います。
なんていうことを学生さんと話しながら約1時間の散歩も終了。

*1:ってあるのか?

*2:河川敷側と堤防側ね。しかも、それぞれ住んでいる人が別の家もあったとか。

*3:いや、「どんな思いだったか」は、ほんとうにわからないんです…。

*4:地下鉄の操車場や川や大学なんかで、ほんとうに地理的に隔絶されていたんです。

*5:共同浴場

大学生

今日は、年に1回あるO阪市がつくった大学(笑)で高座がある日です。
授業をすませて職場を飛び出して、どうにかこうにか待ちあわせの時間に間あいました。講義の時間までちょっと余裕があったので、しばらく大学院生とかがたまっているところでダベリ。なかなか愉快な人たちで、「レポートにWIKIを使うのは許せない!」みたいな話で盛りあがっていました。なんだかなごみますね。
で、講義。学生さんの人数は、わずか9人+先生2人。
ここで話をすると、学生さんにはウケないんですけど、先生方にはすごくウケるんですよね。というのは、先生方はともに京都で学生時代を過ごした方。しかも、お一人はわたしと年が一緒。違うのは学校ですが、それも鴨川をはさんであちらとこちらなので、ほとんど同じ文化の中で、学生時代を過ごしたことになります。なので、細かいネタのひとつひとつが「そうそうそう!」みたいな感じになるんです。
一方学生さんはというと、わたしが学生だった頃は、まだこの世には影も形もなかったわけで、1980年代の話をしても、そらウケるわけないです。なので、先生ウケをするところは、今日はさらりと流すことにしました。自分としては、なんとなく寂しかったけど、まぁしゃーないです。
講義の時間が終わったら、ひとりの学生さんが質問に来られました。なんでも、セクマイのことをレポートにまとめたいとかいうことで、いろいろ調べているそうな。わたしが話の中ではあまりしなかった「葛藤」にかかわる話とか、現在やっている活動趣味のこととかをいろいろ質問されました。
さすがにO阪市がつくった大学に合格されているだけあって、知的好奇心は旺盛ですし、答えた内容がすごく入っていくのがよくわかります。ただ、ひとつ不安なことが…。それは、「鵜呑みにしてない?」ということです。
たしかに疑問を持ち、それを聞き、理解するということはできます。でも、そこで得た答えをかみ砕いて自分のものにしていくというのは、また次のステップなんじゃないかなと思います。そのあたりができているのかどうか…。たしかに素直なんだけど、素直すぎるような気がします。例えば「葛藤」にかかわる話なんて、するりと飲み込むものじゃなくて、自分の「葛藤」と重ねながら、自分自身が揺れるものなんじゃないかなぁ、と。そのあたりが、なんとなく希薄な気がします。つっても、まぁ大学2回生だからしゃーないか。