教研・1日目

起床は午前5時半。6時に集合してバスに乗りあわせて教研の会場へ。さすがにバスの中では寝ました。会場に着いたら7時…。全体会の開始は9時なんで、もう、すごい余裕です。もっとも、道路が混雑している可能性が高いので、しかたないんですけどね。
会場近辺はものすごい警備です。なんでも、U翼の人たちが全国から来られるとのこと。そうか、教研って地元にとったら2重に経済効果があるんだ(笑)。
会場の前では、赤い旗がたなびいています。Kクマル派のみなさんです。
さて、本日午前のメインは、CWニコルの講演。自分の子どもの頃の話からはじまって、空手がしたくて日本に来たこととか、日本に来た当初の話とか。
ニコルから見たら、自然*1と街*2が同居する国は日本だけだそうです。そして、流氷と珊瑚礁が同居する多様性を持つ国も日本だけだそうです。そんな日本がとっても好きなんだそうです。そして、その「美しい国・日本」*3の自然が破壊されていくことが耐えられない。そこで、「恩返し」として森の再生をはじめたと。
このあたりの話までは、なんだかなぁという感じでした。まぁそりゃそうかもしれませんが、一方で「民族意識」みたいなものとしては、あまりにも単一思考で、在日外国人への同化と排外を強いている。まぁ、そりゃあんたは白人だから…。みたいな。
ところが、このあたりから話は変わっていきます。
「恩返し」は「森」だけじゃなくて、虐待を受けた子どもたちの「再生」にも結びついていくんですね。自然とふれあうことで、虐待を受けた子どもたちに笑顔がもどっていく。そんな姿を写真で見せられた日にゃぁ…。そうだよなぁ。わたしもずっとやってたよなぁ*4などと思っていたら、気がついたら泣いていました。
おそるべしCWニコル!単にS名誠とたき火で遊んでいるだけじゃなかったんだ(笑)!
てことで、午前の全体会は終了。昼ご飯と燃料を補給して、午後から分科会。わたしが参加したのは「両性の自立と平等をめざす教育分科会(略称「両性」*5)」です。
分科会の開会のあいさつを聞いたら、「今年も長い3日間がいよいよはじまるなぁ」という気がしてきます。
分科会には全国から集まったレポーターとオブザーバーが参加します。基本的には、オブザーバーとしてまで参加したい人は、実践も豊富だし、理論もすごいです。でも、討論への参加は、原則としてレポーターだけ。で、レポーターについては「しゃべり」もいればおとなしい人もいます。わたしがどっちのタイプかというと、もちろん前者なわけで…。なので、意図していないのですが、いつも目立ってしまいます。困ったことだ…。もちろん、今年も初日からかなり目立ってしまいました^^;;。
ところで、似たような人はやっぱりいます。2年前にもキャラがかぶる人がいたのですが、今年もおられました(笑)。なんしか、わたしが手をあげて、ひょいとその人を見ると手をあげています。人の話へのリアクションも似ています。さらに「できるだけたくさんの人の意見を」みたいなことを言われると、胸を押さえながら「ズキズキー!」とかやっているのも同じ感じ。
てことで、夜、呑みに誘いました。他にも何人か誘って、別府の街へ。飲み会は、他に、大分の若いFTMの当事者もいて、全部で6人。おとなしいと言えばおとなしいのですが、まぁ、一日目ですから。でも、FTM当事者の話を聞きながら、みんなでいろんな話を共有できたいい一晩でした。
その後、4人の方は帰られ、わたしともう一人は別のグループと合流して、さらにもうひと呑み。でも、1時頃にはさすがに眠たくなったので、おいとましました。考えてみたら、22時間ぐらい起きてたな…。

*1:近世

*2:近代

*3:あえて使ってましたよ、このスローガン(笑)

*4:わたしは日本キャンプ協会2級ディレクターなんですよね

*5:って、まんまやん

教研・0日目

今日は午後からお出かけ。ちょうど研修旅行で授業を振り替えをしてほしいと頼まれていたので、利害が一致したところで授業を交換していて、今日の授業はなし。なので、本当は休みたかったんですが、やっぱり気になる生徒がいたので、とりあえず職場へ。で、昼過ぎにお家へ。
午後からのお出かけの行き先は、大分です(笑)。明日から3日間教研集会があり、今年もレポートをでっちあげて参加です。今日は、その前泊ということで、大分の友だちの家で宴会です。
昼過ぎに出たのですが、友だちのお家に着いたらすでに夜8時頃。そこから飲みはじめです。なんだかんだと言いながら飲んでいたら、あっという間に0時頃。そのころには、日本酒も一升瓶が一本空いていました。どんなんや…。
さて、あしたは教研の全体会。朝が早いのでそろそろ寝ますか…。

で、フィールドワーク

朝起きると、雪が積もっていました(笑)。

今日は午後から、どういうわけかS県で漫談。
といっても、前半授業実践のレポートがあって、後半1時間ほどを担当しただけです。展開としてはまったく新しいものなので、ちょっとドキドキしましたが、なんとかつとめあげられました。
その後、車でまわるだけではあったけど、3ヶ所のムラにつれていってもらいました。
いや、ほんとうにびっくりしました。3ヶ所ともがいわゆる「少数点在」のムラなんです。1ヶ所目はそれでもちょっと大きめ。2ヶ所目は戸数が20戸くらい。3ヶ所目にいたっては、10数戸ですか。
どのムラも、いちおう地区改善事業は入っているとのことですが、いわゆる「ニコイチ」じゃなくて、「市営住宅」とのことで、すべて一戸建てです。もちろん「団地」はありません。つまり、まわりからはさとられないようにということのようなんですね。
でも、一目見たらバレバレです。いずれのムラも道は狭くて曲がりくねったまま。車からは降りずに通過しただけですが、普通車が道幅いっぱいです。ところどころ「ここ、入れないから向こうからまわるね」というところまであります。

ひとつめのムラA地区。入り口を入った瞬間に「あ、ここからムラですね」「そうです」。で、ある瞬間に「あ、ムラ、出ましたね」「はい、あの川を渡ったところで出ました」。
ふたつめのムラB地区。公民館の裏側にある空き地に車をとめて「あそこです」と指をさされました。小さな土地に、A地区と同じタイプの市営住宅が数軒並んでいます。ムラのまわりにぐるりと鉄柵があります。「え?あれ?あの柵、あれでムラってバレバレじゃないですか」「ええ」表にまわると、川が流れていて途中から暗きょのあとがあります。「昔はこの川に丸田が一本かかっているだけだったんです」「へ?」「だから、こっち側*1からは丸わかりなんですよ。でも、ムラの人たちは必死で隠していた」「んなむちゃな」
もう少し車を進めると、「このあたりはもともと女郎街でした。ここもまわりにぐるりと堀があってね、女郎さんが逃げられないようにしていたんです。B地区の人たちはその監視役もしていたということで、そのことがまわりの人たちのまなざしを一層きついものにしたんです」「…」
みっつめのムラC地区。ムラの裏側には竹藪があります。「あの竹藪ね、昔はずっと続いていて、このムラを取り囲むようになっていたんです」すると、同乗の方「ほんとうに、「藪の向こうに人がいるのかな」という感じでしたよね」「ええ、そうでしたね」「S県では各地区*2ごとに子どもたちを公民館に集めていろんな伝達をしたりするんですが、ここのムラの子らは20数年前まで、公民館に入ろうとしたら「お前らは出て行け」って生徒からも教員からも言われて、しかたなく運動場で時間をつぶしていたということです。子どもの人数が5〜6人もいたらその中には「おかしい」と言う子もいるんでしょうけど、兄弟だけだったりするとそれすらもできない。少数点在のムラには運動が起こりにくいんです」。
その後、表にまわります。すると、見たことのあるような大きな「工場」の跡があります。「このムラも現在廃品回収なんかをしているんですが、ちょっと前までは自動車解体業をやっていたんです」。それでですね。見たことがあったのは*3。でも、今は「跡地」みたいです。工場の前には山のようにいろんな種類のくず鉄があります。
ほんとうに一区画をくるりと回ったら、あっという間にムラを出てしまいました。

ほんとうにショックでした。わたしが今まで見てきたムラっていうのは、たいてい都市部の大きなムラでした。でも、ぜんぜん違うムラもあるんですね。
都市部のムラと農村部のムラの違い。さらに、農村部でも富裕層のいる(いた)ムラと、そうではないムラの違い*4。まさに、小林丈広さんの言われる「部落の4類型」のうちのひとつの類型「農村貧困型」の典型を見た感じでした。ここから、「法は切れた。格差は解消した。だからあとは自助努力で…」というのは、無理ですわ。やはり、解放へ向けたとりくみが絶対に必要だと、認識をあらたにしました。
てか、こうしたムラにフィットしたとりくみをしてこなかった、わたしたちの「無知」が問われるんだろうな。

*1:ムラじゃないほう

*2:ここの「地区」はムラじゃなくて、小学校の地区割りのことです。

*3:京都府南部にも「解体の街」がありますから。

*4:このあたりのムラでは、近世の頃、農業は許されなかったとか…

在日青年の話

今日は午後、在日外国人にかかわるセミナーがありました。まぁ、主催者なので行かなきゃなりませんわね。てか、パネラーのうちの1人はわたしが交渉したから、ますます行かなきゃなりません*1
で、こんな消極的な理由で参加したわけですけど、おもしろい話が聞けました。
正直言って、今の在日の青年(4世)くらいになると、いわゆる「被差別体験=個に向けられたファビア」というのはほとんどありません。あったとしても、その1世・2世・3世の経験とはぜんぜん違います。もちろん、「制度としての被差別経験」は山のようにしているはずですが、ある意味それって「スモッグ入りの空気」のような存在で、そうでない状況を経験しないとその存在にはなかなか気づけない。
そういう青年達にとって、それでも直面せざるをえないことは「自分ってなに?」ということです。あるいは、「人の価値とは何か」みたいなところとも言えるかと思います。
一方、在日をとりまく日本人の側にとって、在日とは、すでにもう「日本人」と同じととらえているんじゃないかと思うのです。ここでも、「制度としての差別」があることは知らないし、それが即、在日の人々の生活に直結しているということもよくわからない。なにより、「自分は差別していない」という、半ば確信のようなものがあるので*2、そうなってくると、「関心がない」わけです。
というところで、従来ならば成立していた「差別・被差別の関係」としての「在日・日本人」という関係が、どんどん築けなくなっているんだと思います。それでも、「在日」というのは存在し続けるわけで、まさにその存在は宙ぶらりんになっていってしまっているんじゃないかなぁと思います。
そんな中から、今回話をしてくれた2人は、「「在日」に従属する自分」から、「ありのままの自分」とその一つの要素としての「在日」へとはっきりと転換をしています。そんな二人の話を聞きながら、収録の時にソニンさんが繰り返し語っていたアイデンティティの持ちようを思い出していました。

ただ、一方で考えます。
本当にこれでいいんだろうか。本当に「戦争処理」は終わっているんだろうか。戦前〜戦後の「総括」はすんでいるんだろうか。単に風化しつつあるだけじゃないだろうか。「個のありよう」にすべてが回収されていくとしたら、それはあまりにもおそろしいという気がしてなりません。

*1:このあたりの「つきあい」とか「しがらみ」って、しんどいんだけど、でもこういうのを大切にすることが「つながり」を拡げていくことになるので、大切なですよね。

*2:差別・被差別の構造の上に乗っかって生活をしているという感覚は、なかなかわからないですね

大阪でフィールドワークとか

朝、1時間目の授業が終わったら、そのまま人権教育研究会の出張で大阪へ。
まずはリバティ大阪。
リニューアルされて、これで3回目かな。来るのは。でも、仲間と一緒に来るのははじめてです。まぁ、いまさらなんで「ほれ、あそこに写真があるやろ」とか、しょーもないツッコミを入れてました。まぁ、たいていの人は1枚は気づくのですが、もう1枚はなかなか気づきにくいやろうなぁ。なにせ、後ろの方で飲んだくれている写真やし(笑)。

他にも、ワークシートとか図録に載っているんですよね。はぁ…。
昼ご飯は、「浪速ならではの」ということで、「岳」に行ったんですが、なくなっていました_| ̄|◯。なんで、解放同盟の浪速支部に変わってるねん。てことで、「ニューなに和」に行きました。肉巻定食、うまかったです。つい、ごはんを全部食べてしまいました。ちょうど研究所の知りあいにあったもので、郵便配達をたのでしまったり*1、有意義な昼食でした(笑)。
午後は、太鼓集団「怒」のメンバーの話。
もともとは浪速の歴史について話を聞くはずだったのですが、講師の方が熱を出されたとかで、かわりに地元で地道な活動をしている人が話をしてくれました。たしかに、歴史を聴こうと思っていた部分については肩すかしを喰らった気がしますが、話の内容は、それはそれでよかったです。
「太鼓の作り手はいるけど、太鼓の打ち手がいない」という状況に、まずは外から疑問が来る。それに答えるようにして、だんだんと太鼓集団ができあがっていく。すると、逆に「太鼓」がアイデンティティを補強するみたいな感じ。あるいは、さまざまな差別的な状況と立ち向かっていく原動力としての「太鼓」。差別の壁を乗り越えていくための「太鼓」。言ってみれば「誇りうる文化」としての太鼓なわけです。そして、それを次の世代に伝えていく。
う〜ん。
ええ話やなぁ…。と思いながらも、「はたしてトランスに「誇りうる文化」はあるんだろうか」と思い、ちょっと複雑な気分。

*1:すんません

交流学習会・2日目

朝、責任者は責任があるので早く起きられたみたいです。でも、年寄りのわたしは、ちょっと寝坊気味。すんません。
と、横を見ると、きのうの夜、飲み過ぎでふらふらだった子が、「しんどい〜」とか言ってます。「ふだん、あんまり飲まないの?」と聞くと「飲みます。吐くまで」と殊勝な答え。若いな…。
とりあえず、わたしはシャワーを浴びて、朝食。和食か_| ̄|◯
今日のプログラムは、フィールドワーク。わたしの担当は「映画『パッチギ!』に見る東九条」。なかなか魅力的でしょう!で、案内をして下さるのは、東九条で生まれ育ち、いまも東九条マダンを中心的に担っておられる朴実さん。
いや、よかったです。ほんとうに。
いかに東九条というところが行政のみならず、「京都の人々」から放置されてきたところかということ。その背景にある朝鮮人差別の実態。そんなことが、街の中のあちこちにあるんだということがよくわかりました。でも、それって、ただ単に、東九条を散歩しただけではわからないんですよね。やはり、すぐれた案内人がいるからこそわかることなんです*1。これがフィールドワークというものなんだと思いました。ほんとうに勉強になりました。
街から帰ってきてからの話もすごかったです。「東九条マダン」という、民族文化運動をはじめる時の思い、はじめた時の苦労。いまもかわらない「同化と排外」の圧力と、それでもかわりつつある運動の成果。今、朴実さんが次の課題として考えられていること。そんなことが、やわらかい口調で語られました。でもね、その底流には、つねに「恨(ハン)」というのがあることも、ものすごく感じました。
そんな朴実さんと親しくつきあわせてもらっている自分*2を振り返るいい機会にもなりました。
そんなこんなで、あっという間に午前が終了。で、学習交流会は終了。
準備はいろいろあったけど、けっこう楽しかったし、あっという間にすんだなぁ。
で、一日半ほどあけた家に帰ると、そこには日常生活がありました。
昼ご飯は、東九条で「食べたい!」と思いながらガマンをしていたお好み焼*3。ビールを飲んだら、ほろ酔い気分→ちょっと昼寝。
夕方から子どもの数学を見て、ちょっとテレビを見て、明日に備えて寝ることにしましょう。

*1:あ、何回か散歩、ご一緒いただいた方へ。わたし、いままでの案内で何カ所か間違っていることがわかったので、また玖伊屋あけの朝にでもあらためてご案内いたします(笑)。

*2:日本人として、京都の人間としての

*3:うちの子どもが「たまにはカスを食べさせろ」と言っていましたんで(笑)

学習交流会・1日目

今日から明日にかけて、組合青年部の近畿ブロックの交流学習会とやらがあります。で、なぜかわたしもその運営スタッフになってしまいました。
まぁ、普通の組合であれば、わたしみたいな年寄りはさっさと青年部から出ているのですが、高齢化が著しいうちの組合では、「年齢他認」が原則でして、まわりが「あなたは青年部」と言えば青年部になってしまうというおそろしい状況があります。なので、なぜかわたしもまだ青年部らしい。
今日のわたしの担当は、開会行事の司会*1とチャング教室のコーディネート。
司会の方は、まぁなんということもなく終了。適当にネタを振ったけど、さすがに「開会行事」などというマジメなセレモニーではみんな笑ってくれませんでした_| ̄|◯
チャング教室はなかなかのものでした。もちろん、わたしは単にコーディネート役で、講師の方がおられるんですけどね。
なにしろみなさん、チャングを触るのがはじめて。そんな人たちに、チャングの基本的な知識からはじめて、基本的な打法、さらに立って叩くところまで、わずか3時間ほどでやってしまわれました。
はじめのうちはすごく緊張しておられた参加者も、3時間後には表情もほぐれてきて、チャングを楽しんでおられた感じだったが印象的でした。そうか、楽器にはそういう力があるんだ。
その後、夕食交流会。長〜いあいさつをするヤツもいるけど、この手の集まりではしゃーないです。たぶん、それでも短い方かな。交流会の最中に、チャング教室の発表会なんかもあって、けっこうもりあがった交流会でした。
その後、2次会。三条に繰り出して、しばし飲み。気がついたら閉店の時間です。
ここで他府県の参加者が「ラーメン!」と騒ぎはじめました。三条なんで、「長浜ラーメンかなぁ」と思ったのですが、えらい人混みで断念。で、ラーメン・ラーメン…。で、「そうだ!今出川に行こう!(笑)」タクシーで行きました。もちろん、みなさんかなりのカルチャーショックを受けておられたようです*2
で、宿舎に帰って、しばし歓談。その後、爆睡です。

*1:会議で「司会、誰やる?」ということになった時、みんなだまってしまったので、つい「んじゃ、やろうか」と言ってしまった(笑)。

*2:和歌山の人なんか、和歌山ラーメンとのあまりの差に(笑)

放り込まれたよ(涙)…

で、夕方新幹線に(笑)。
いや、車両に入った瞬間に「なんじゃ、こりゃぁ!」。ひたすら「黒い」です。なんともまぁ、oyajy(どうか「オヤジィ」と読んで下さい)な空間です。そりゃそうです。平日夕方の東京方面の新幹線なんて、そういう空間です。
問題は、「隣に座る人」(笑)。
わたしが席についてしばらくしたら、一人で移動しているらしい若いお姉ちゃんが座りました。まぁ、ホッとしましたね。おとなしく本を読んだり、ちょっと寝たり。
ところが、そのお姉ちゃん、名古屋で降りました。停車中、祈るような気持ちです。長い長い停車時間の最後に「すみません」と入ってきたのが、oyajyな人_| ̄|◯
あとは地獄です。新聞を読みはじめる。本を読みはじめる。それはいいです。その間、ずっと中間にある「肘掛け」を占領しています。しかも、わたしがそこから身体をよければよけるほど、より占領地を増やしていきます。
なんでそうやって、自分の領土を増やそうとするのかなぁ。と思いながら隣をみると、3人掛けの通路側の人、肘掛けから肘をはずしています。う〜む。
というの、まさにライブで書きました。はぁ…。

で、わたしの午後は…

年末からの懸案であった、OSの再インストールに着手しました。
基本的には、データドライブとOSなんかが入っているドライブはハッキリとわけてあるんですが、今どきのmicrosoftがそんなことを許してくれる訳ありません。とりあえず、Cドライブの中のあちこちを探しながら、なんとかほぼデータは待避させました*1。で、いよいよIDE0のパーテーション操作。これであともどりはできません。あとは突き進むのみです。
それでもなんとかリセットを繰り返しながら*2、再インストールが終了。あとは、ツール類をぶち込むだけです。
それにしても、昔のツールはインストールが楽です。なにせ、好きなディレクトリに放り込んだらおしまいですから。今どきのツールは、レジストリをいじるので、setupファイルを探してきていろいろしなくちゃなりません。なんでこんなことになったのかなぁ…。
ところが、いろんなものを放り込んでいるうちに、だんだん不安定になってきました。気がつくと、謎のリセットとか謎のフリーズが幾度か。嫌気がさしたところで、1日目終了です。

*1:つっても、たぶんあとで「ふぇ〜ん」みたいなこと、あるんだろうなぁ

*2:含む、謎のリセット・フリーズ