午前2時半起床。寝ているパートナーを姿を確認すると、よく寝ています。昨日とは全然違う。てことは、まぁ快方に向かっているということみたいなんで、今日は行くことにしましょう。
予定通りのルートで高速に入り、途中しばし仮眠をし、目的地付近で高速を降りたら「割引1000円」という表示。ガセじゃなかったんだ(笑)。
さぁ、今日と明日はシーズン最後のスクールです。といっても、生徒さんがいるわけじゃないです。というか、逆に校長の班に混ぜてもらって指導法の研修です。校長の班に入って滑るなんて、いったい何年ぶりだろう…。
で、レッスンがはじまったわけですが。いやぁすごい!生徒さんたちは常連さんなので、基本的にはうまい人たちなんですが、そういう人を一日緩斜面でレッスンをして、しかも飽きさせない。
まずは、習得させたい技術がなんであるかということが明確です。今回のテーマは、どうやらエッジを使えるようにすることと、バランスの悪さの矯正です。
エッジを使えるようにするためには、足首をしめることとひざの左右への動きが大切になります。ひざを動かすためには当然股関節を動かさなきゃならないんですが、こいつがなかなかむずかしい。というのは、股関節を動かす時、ついつい前後方向に動かしてしまうんです。ところが、前後方向に動かすと、それが後傾につながってしまう。股関節をいかに上下方向に動かすかというのが、ひとつのテーマになります。で、ヒザを交互に返す。
これをやると、今度は上体が動いてしまう。ところが、ヘタな上体の動きはバランスを崩すもとになります。なので、上体のバランスを保つための練習が入ってくる。
上体のバランスにはふたつの意味があります。ひとつはもちろん滑走中のバランスを保つという文字通りの内容と、もうひとつは左右の均等化という意味もあります。片方ができていても、もう片方ができていなかったら、左右のターンが均等にできません。これが滑りに大きな影響を与えます。こういうことを細かくチェックをしていき、矯正していきます。
校長のレッスンは、このあたりのバリエーションがすごく豊富。いろんなことをやるんですけど、そしてそれが一見なんの脈絡があるのかわからないんですけど、きちんと意図が一本、明確に通っているんですね。だから、緩斜面でも飽きない。
ひとつひとつの練習項目と、それらの流れと、どんな斜面でそれを行うのか。このあたりを必死で覚えました。
と同時に、わたしも滑らなくちゃなりません。もちろん滑りを生徒さんにも校長にも見られています。校長の意図を正確にデモンストレーションするのがわたしの役目ですから、これがまた緊張する。でも、こういう緊張感を持ってスキーをすることが、またすごく有意義だし楽しいんですよね。
精神的にも肉体的にも、心地よい疲れを感じながら、一日が過ぎていきました。
カテゴリー: 趣味
京都市「同和」奨学金返還請求に反対する住民集会
いろいろ複雑な思いはあるにしろ、「後出しじゃんけんはあかんやろう」という思いで、やっぱり参加してきました。
「返還請求」についての詳細はおいておきますが、そのもととなった大阪高裁の判決は、行政に対して出されたものであって、奨学金を受けた個人に対するものではないんですよね。にもかかわらず、「やっぱり返してくれ」というのは、「なんだかなぁ」というふうに思ってしまいます。だって、いきなり「いらないよ」といわれていたウン百万の借金が来るわけで、生活設計そのものを組み直さなくちゃなりません。
ただ、単純にそれだけの問題じゃないよなぁと思ってしまうのは、「歳入」の問題なんですね。
奨学金については、新たな貸し付け(給付)はしていないので、歳出はないわけで、そういう意味では過去の問題です。でも、京都市は今、めちゃくちゃな赤字団体なわけで、その歳入の道を、過去にさかのぼって補填をしようとしているのかなぁと思ったりするわけです。京都市の気持ちとしては、それはそれでわからないわけじゃない。
そんなことを総合的に考えて、でもやっぱり、今回のやり方は「後出しじゃんけん」というのがわたしの感覚なんです。てことで、やっぱり「あかんやろう」というふうに考えたというのが結論ですか。
にしても、なんかなぁ…。
場の持つ力
午後からは京都・在日外国人生徒交流会。
普段は日曜日の午後にやるんですけど、今回は合宿形式でやってみようと。さらに、卒業生にも呼びかけてみようと。さらに、京都に限定せずに呼びかけてみようと。等々、ちょっと趣を変えてみることにしました。
さすがに長丁場ですから、集まりもダラダラ。それぞれがそれぞれの用事を済ませてからやってきます。でも、それはそれでいいんです。「◯時集合!」で集まってパシッと交流会をするのも、それはそれで集中していいんですが、緩く集まるのもいいのかもしれない。
ダラダラと買い物を済ませ、ダラダラと段取りをし、ダラダラとつくりはじめ、結局最初の集合から5時間後に晩ご飯。このころには兵庫からもずいぶんと遊びに来てくれていました。
しばらくみんなでごはんを食べたあと、自己紹介。基本的には「全国」に参加したことがある人たちなので、ほんとうにしっかりと話をされます。
そんななか、やっぱり「あぁ」と思ったのが子連れで参加してくれていた京都の第1期メンバーの自己紹介です。
結婚をきっかけに日本国籍をとらざるを得なかったその人に、子どもがある時聞いたそうな。「お母さんはなにじん?」。突然のその問いに、一度は話を流してしまったそうな。子どもには伝えなくちゃならないと思っていたけど、それなりの「シチュエーション」で伝えたいと思っていた。だから、逆に「準備」ができていなかったみたいです。ところが、それからしばらくして、再び子どもから同じ問いが出てきた。その時覚悟を決めて、自分のことを小学生の子どもに向かって話をしたとのことです。
その話を聞いて、ふとその第1期メンバーの変化に気づきました。在日の若いオモニになっている*1。おそらく楽になったんやろなぁ。おそらく隠さなくてもよくなったんやろなぁ。
そう思った時に、この交流会を16年続けてきてよかったと思いました。
交流会があろうとなかろうと、その第1期メンバーが在日であることに変わりはない。でも、もしかしたら「隠さない生き方」があることを知ったのは、その子が交流会に参加したこともひとつの契機になっている可能性がある。「隠さずに生きる方法がある」ことを知って隠して生きることと、「隠すしかない」と思って隠して生きることの間には、表面は同じかもしれないけど、大きな差があると思います。
さぁ、そのメンバーの子どもは現在小学生。最低限この子が高校を卒業するまでは、やっぱり続けなくちゃならないよなぁ。メンバーに力を与え、メンバーから力を与えられ。
*1:ってどんなんやねんと聞かれても、よくわからないのですが(笑)
ここにも銀座があったのか
ムラのある場所って、それぞれの街特有の配置があるように思います。
徳島の場合も、考えようによっては「銀座」とでもいうような感じで、すごく特徴的な形で配置されているように思います。もちろん、ムラの成り立ちや生業がそこに大きく影響しているんでしょうけどね。
今日の午前中は、ムラの人やムラの学習会にかかわった人が、ご自分のムラをていねいに案内をしてくださいました。
わたしが知っているのは、基本的には都市部のムラです。農村部にあったとしても、農業を生業とする経済的に比較的豊かなムラはあまり知りません。
今日案内して下さったムラは、ひとつはそれなりに豊かな感じでした。ただ、それよりもなによりも、そのムラの教育にかける思いに、ちょっと胸に来るものがありました。子どもたちが学べる環境を、自分の能力を発揮できる環境を、ムラの人々がほんとうに真剣に考えつくってこられたことが、ムラの中をまわっていると伝わってきます。そして、それを支える教員たちの心もまた伝わってきます。
徳島の同和教育の分厚さを感じたひとときでした。
特別支援教育の講演
午後からは、教育委員会の特別支援教育の担当者の講演です。キャッチフレーズは「知識より意識・意識より行動」らしいです。これ、使えますねぇ。
まずは、発達障害の子どもたちの特徴について、けっこう詳しく説明をされた後、「特別支援教育とは」と題して、昨今のハード的な側面についての話。その後、「明日からできること」ということで、≦のようなことが提起されました。
- 「困った生徒」ではなく「困っている生徒」、あるいは「能力が生かせないでいる生徒」としてとらえなおしてみましょう(ただし、すべてを発達障害の枠にあてはめないこと。レッテル貼りをしないこと)。
- 「できない」のではなく、「学び方が違う」ととらえて、授業や生徒へのかかわりかたを見直してみましょう(同じ方法でうまくいかないなら、別の方法を。生徒の情報処理のしかたにあわせて工夫する)。
- 一人で悩まず、チームでとりくみましょう。
その後、具体的な手だてについて「例えば〜」みたいな話がありました。いちいちなるほどなぁと思わされます。で、結論的には
障害があってもなくても、一人一人が大事にされ、自分の得意分野がいかされる教育を
というオチでした。
まぁ、どこともいっしょやなぁというのが、率直な感想です。
ただ、その後の質疑応答がすごかったです。このあたり、マジでとりくむと、ほんとうにたいへんです。いや、進学校はたいへんといっても、まぁアレですが(笑)、底辺校はほんとうに多種多様な子が入ってきます。まさに、40人一人一人を大事にするっていうのは、お題目としてはまさにその通りなんだけど、おそらく一人の担任で抱え込むのは無理なんですね*1。で、
「増員は考えているのか?」
みたいな質問が出てくるのですが
「さぁなんとも…」
という答え(笑)。
それでも、確かに勉強にはなりました。
*1:うちの学校なんて、マシな方でして^^;;
日教組教研3日目・また来年!
今日は総括討論の日。
考えてみると、全同教大会でも論議の時間は1日半。全外教大会だと1日しかありません。それに比べて、日教組教研って2日半あるんですよね。えらい長いですが、それだけに濃いぃ内容になる可能性を秘めています。で、両性の分科会は、濃いぃんです。「家族」「働くこと」「性」「意識・慣習」といった、まさに「生きること」にかかわるさまざまな論議がかわされます。
総括討論の日は月曜日なので、ふだんはなかなか参加できないんですが、今年はたまたま休みがとれたので参加できました。
参加してよかったと思いました。
1時までの4時間。参加者の皆さん、ふだん思っていること、今回の教研で感じたことを、まだまだ納得いかないけど、それでも時間の許す限りしゃべり続けたんじゃないかなぁ。
分科会が終わったら、互いに「ありがとうございました」と笑顔であいさつを交わすのも、この分科会のいいところです。レポーターも傍聴者も司会者も助言者も、そして会場責任者も、みんなでこの分科会をつくっているということがよくわかります。
ある方から「昨日の呑み会、楽しかったです。ひさしぶりに大学生になった気持ちでした」と言われました。そうなんですよね。そういう時間が必要なんだ*1。
「また来年!」
「また夏の両性研で!」
とあいさつを交わしながら、会場の出口へ。
*1:もっとも、わたしはしょっちゅう大学生みたいなことやっていますが(笑)
日教組教研2日目・今日が天王山
朝起きると、不調かと思いきや、まだマシです。はやり寝る前に思いついて呑んだヘパリーゼが効いているみたいです。
で、会場へ。
飲んだくれ仲間(笑)も三々五々集まってきます。
今日のレポートで「おぉ、これは!」と思ったのは、やっぱり従軍慰安婦問題について真っ正面からとりくんだ大阪のレポートかなぁ。ナヌムの家に行って交流したりしている、すごいレポートです。まぁ学校が特殊というのはあるかもしれないけど。
あと、デートDVについての岡山のレポートも、とても参考になりました。前々から「やらなくちゃなぁ・やりたいなぁ」と思っていたので、中学・高校という差はあるにしろ、「そんなふうにやるのかぁ」と思いました。ちなみにこのレポートを発表した人とトイレで話をしていたら(笑)、
「岡山の性教育の資料集の中で、いつきさんのサイトから転載させていただきました。事後ですがかまいませんか?」
とか言われてしまいました。もちろん答は
「どうぞどうぞ」
なんですが、本になってるからもう遅いやん(笑)。
育児休業をとった男性がいろいろと変化する話もおもしろいですね。あえて「父親」という言葉にこだわって「父親研究会」を立ち上げた人もいました。ただ、このあたり、母親経験者にしてみると「ん?」というところも多々あるようでして、論議の中でバトルが起きそうな予感がしました。
てなことをやりながら、わたしも言いたい放題話をしているうちに、今日の分科会も終了。
日教組教研1日目・分科会がはじまった
昼に軽く燃料補給をして(笑)、いよいよ午後の分科会開始。会場に入り、あたりを見回すと、あちこちに友だちがいます。「いつもの場所」に座ると、「今年もはじまったなぁ」という思いがわいてきます。
はじめのうちはエンジンがかかっていないのですが、だんだんと教研モードに入ります。モードにはいると、無性に発言をしたくなるのが悪いクセです(笑)。でも、今年も両性の部会はみなさん元気。しゃべるのはわたしひとりではありません。みなさんが、それぞれ自分の思いや実践を話します。かつては「ぜんぜんつながってへんやん」と思っていたのですが、最近は「つながってるなぁ」という気がするようになりました。あえて言うなら、つながっていないのはわたしだけ(笑)。
おもしろかったのが山梨のレポートかな。ツッコミどころ満載なんだけど、でも、とりくみがおもしろい。「謎の粉」の入った5つの瓶に、いろんな国の言葉で中身を示したラベルを貼って、「読めない」ことがどういうことかというところから、各国の識字率の問題へと導入していくという。みなさん、いろいろツッコんでつっこんでいたけど、それだけの価値のあるレポートだったんですよね。
てな感じで、6時になって、無事1日目が終了。
日教組教研1日目・全体会は同窓会?
起床は6時。いつもといっしょじゃん_| ̄|◯。
全体会場に京都の仲間と一緒に移動。いやぁ、今年はPが多いのなんのって。さすがにヒロシマです。前ではKクマルがアジってます。これもいつもの風景ですわ。
会場に入ってしばらく歩いていると、うしろから「いつきさ〜ん」との声。振り返ると、鳥取のNし川さん。「久しぶり〜」と再会を祝うのですが、夏に会ったよね。そんな感じで、神奈川・大分・石川・北海道etc,etc…、全国各地の「仲間」と出会えるのがこの教研のいいところです。
「今年もここに帰ってきたなぁ」
との思いがわきあがってきます。さて、これからはじまる3日間、肝臓をだましだましがんばるか*1!
開会記念行事では、被害者としてのヒロシマと加害者としてのヒロシマをおりまぜた内容が展開されました。なかでも、どこかの高校の放送部作成の番組が放映されたのですが、これがいい!うちの放送部員に見せたくなるような内容でした。
で、全体会開始。まずはあいさつの連続なのですが、やっぱ「あいさつ」はイマイチやなぁ。中でも「ケンカ売ってんのかい!」というM部K学D臣のあいさつには、会場から大ブーイング。あ、ケンカ売ってんのか(笑)。
で、記念講演は、中島啓江さん。ん〜、涙が出るんだけど、ちょいくさい。感動するんだけど、ちょいくさい。あと、ところどころに「え?ん?」と思うところが出てきます。ツッコミどころ満載というところでしょうか。ふぅむ…。
*1:ヘパは3本用意してありますねん(笑)
現在の部落問題を考える
今日は「冬季現地研修会」ということで、リバティおおさかへ。
ちょこっとガイダンスを受けた後、まずは特別展示。日本の差別について通史的に展示してあるのですが、なかなか興味深かったです。なかでも、娼妓の帳面を見たら、かなりえぐいですね。ほんとうにほとんど「元金」が減らないように調整をしている。ちょっとめまいがしました。
その後、総合展示。こちらのほうは「いつものとおり」と書きたいところですが、少しずつ少しずつ展示してある内容が増えているみたいで、「がんばってはるなぁ」という感じ。なかでも「T’s festival2000」のチラシがあったのは感涙ものでした。ひたすら「なつかしい!」ですね。
今にして思えば、順子姐さんとの出会いはこの時だった気がします。いずみちゃんとも出会い直したし。過去を懐かしむわけではないですが、「やっぱりこのあたりが自分の原点にあるなぁ」という気がしました。
てなことをしているうちに、あっという間に1時間がたちます。ここの展示物、多すぎ。でもおもしろい。
午後からは朝治さんの講演。タイトルが「現在の部落問題を考える」。
「感想を10字以内で述べよ」という問題が出たら、答は「すごくおもしろかった」です。
まずは、研究者にありがちな「部落問題を考える時に、キーになるのは◯◯」という語り方を避けられます。どちらかというと、「あれも大事だし、これも大事だし、この観点も抜くわけにいかないし…」という感じ。もちろん、それぞれについての深い洞察は持っておられるわけですが、どれかを抽出して語ることを避けられる感じかな。
だから、ダラダラとしたまわりくどい要点の絞られない語り口にならざるを得ないわけです。ただ、それだけだったら「わけわからん」となりそうなんですが、そこに朝治さん独特のキャラクターがあって、なんとも言えない持ち味を醸し出されているんですね*1。
おそらく、根本にある感覚が、「部落の人間にとって、部落であることはとても大切な要素のうちのひとつであるけれども、でも要素のうちのひとつでしかない」ということなんですね。そこからスタートして、部落問題といかに向きあうのかということを考え、そのことを通して、他の差別問題と自分自身がどう向きあうのかというあたりまでを、おそらく考えておられるのかな。いや、朝治さん自身はそこまでは語っておられないんですが、話を聞きながら、わたしはそう感じさせられました。
なんか、ちょっとふんわりした感じでリバティをあとにしました。
*1:単なる酒好きという話もありますが…