なんしか鬱陶しい

とにもかくにも、最近ものものしいですね。
通勤途中、しょっちゅう会います。しかも、ふつうのじゃない。網がついてるヤツ。
そうそう、うちの近くに至っては、トゲつきのがおいてある。
なんでも、来週末に「えらいさん」が来るそうな。その関係らしい。
もちろん「トゲつき」は検問のゲートです。国際会館の前の道は、夜になると両車線とも検問開始です。しかも、国際会館の敷地のまわりを延々とPさんが歩きまわっています。
なんしか鬱陶しい…。

でも、当日は花火が見られるか(笑)。

今週もおしまい

  • 月曜日

他校生としばし話。トランスをめぐる話をいろいろ考えさせられました。

  • 火曜日

Mりこさんと話。てか、Hさしくんとずっと話してたかも。結局ワインをふたりであけてしまいました。ん〜。自分はどうやって「この世界」で生きていくのか。他者との関係をどうつくっていくのか。むずかしいなぁ。

  • 水曜日

血液検査の結果で夕方外出。

  • 木曜日

「まんまるの会」で終電帰り。

で、今日は金曜日。
髪を切ってきました。あぁさっぱりした!

てことで、一週間連続外出達成だぁ\(^o^)/
さすがに疲れたよ…。

目の覚めるような出来事

朝、いつもの通りバイクで走っていると…。
「ん?歩道に座っている人がいる」
「ん?なんか無線でしゃべってる」

「お、ふたり飛び出し!」
って、ねずみかい!そこを走っているのは、わたしと車もう一台。どっちだ!
車の方でした。
心臓がバクバクしました。

午後の用事

世話人のうちの1人と東三条に行ってお好みを食べて昼食終了。それにしても、運動関係の知りあいが2人もいるのもなんだかなぁ…(笑)。
その後、実家に行って「光」の開通式&ネットのセット。
んなことをやっていたら、昨日の寝不足がどんどん募ってきて、フラフラです。
晩ご飯のあと、しばらく「スーパーバイク選手権」を見ていたけど、目が開かなくなってきたので寝ることにしました。まぁ当たり前ですわ。

追悼礼拝

某所に案内文(笑)考察(批判文)が載っている追悼礼拝に「遺族」として行ってきました。
まぁもちろんいろいろあるんだけど…。
基本的には、葬儀式は「身内だけで」というスタンスを打ち出していたので*1、そうではない「場」をつくる必要があったんですよね。それを、今日やった、ということなんです。
で、「遺族」としての私のスタンスは、基本的には「感謝」です。ほんとうに。
ひとつには、母親がいろんな人々と会う機会が得られたこと。やっぱ、そういう「場」は必要なんだと思うのです。
もうひとつは、今回の「礼拝」のおかげで、いろんな人が実家に来る必要がなくなるということ(笑)。なにせ、「身内だけ」とやると、「「ごあいさつ」に行かなくちゃ」という人が出てくる。それもけっこうな数になるかも。なので、その人たちの「ガス抜き」の場所をつくる必要があったということです*2
で、最後のひとつは「発言の機会が与えられた」ということです。
ある意味、母親の話は強烈なものを持っていたんじゃないかと思います。

もしも僕が窮地に立った時、君は助けてくれるか?

というのが、父親のプロポーズ前の言葉だったとか。その時母親は「はい」と答えたそうな。で、「その「窮地」が「今」である」というメッセージは、やはり残されたもののうちの1人のわたしにとっては強烈でした。
もちろん、「あくまでも助ける側」として「女性」をとらえているという批判は成り立ちますし、それは極めて正しい批判点でもあると思います。大切なのは、そうした「限界点」を持ちながらも、それと向きあいながら生きることなんだと思います。
で、わたしの話は…。

父親は、ほんとうにこわい人でした。
起こっている表情をあらわすのに「目を三角にする」という言葉がありますが、まさにその言葉の通り、怒ると目が三角になる人でした。とにかく「こいつはやばい」と思う子どもの頃でした。
そんなわたしも、高校くらいになると、うちにやってくる学生のマネをして、論議をふっかけてみようと思うこともありました。父にこんなことを聞いたことがあります。
「歴史とは何か?」
すると、父はこう答えました。
「歴史とは、右往左往するものである」
なんだこりゃ?と思いました。
あるいは、こんなことも聞きました。
「尊敬する人物は誰だ?」
父はこう答えました。
「田中正造」
マニアックなヤツだと思いました。
やがて大学生になりました。
わたしは、とにかくほんとうに語学が苦手でした。父親に聞きました。
「60点で合格するのか、1年落としてもいいから80点で合格するのか、どちらがいい?」
父親は即座に言いました。
「どちらもダメ」
とりあえず、こんなヤツと同じ道を歩んだらとんでもないとおもったので、高校の数学の教員になりました。教員になって、わたしは自然と部落の子や在日の子とかかわることになりました。
これも、おそらくは両親の影響だったと思います。わたしの小さい頃の思い出の中に「両親に手を引かれて青空の下を歩いている」という風景があります。これ、どう考えても、京都の繁華街なんです。でも、繁華街にはアーケードがあって、青空はありません。たぶん、あれはベ平連のデモでした。そんな両親でしたから、わたしが自然とそういう方向に行ってもしかたがなかったんだと思います。
ただ、そういう活動をしていると、当然父親のことを知る人と会うこともあります。そんな人々から
「土肥昭夫のお子さんですね?」
と言われたことがあります。わたしは即座に訂正をしていました。
「いえ、わたしの父親が土肥昭夫です」
まぁ、目一杯張りあおうと思っていた時代でした。でも、校区のムラ中に移り住んで、子どもたちとゆっくりとかかわるようになって、だんだんと自分なりのことができてきたなぁと思いはじめたのが、いまから10年ほど前のことです。このころ、ようやく
「土肥昭夫のお子さんですね?」
と言われて、
「そうです」
と答えられるようになりました。
ちょうどその頃、「部落史の見直し」というのが知られるようになりました。
一般的には「近世政治起源説」から「中世に起源がある」というふうに移行していったととらえられがちです。でも、わたしはこのとらえ方は、表面的であると考えています。おそらくは、これは網野善彦さんたちがされた「日本史の見直し」の文脈の中でとらえる必要があるんだと思っています。すなわち、政治史として日本史をとらえるのではなく、ひとつひとつの部落の歴史を丹念に掘り起こし、そこから歴史を記述していくという、歴史のとらえ方の根本的な考え方の違いであると考えています。
そして、そこで出会ったことがふたつあります。
ひとつは、「なぜ今までの運動の中でも部落差別がなくならかったのか?」ということへの答え。もうひとつは、「部落差別をなくすとりくみは、どこかの運動体がやるというものだけではなく、さまざまな人々がそれぞれの時代の中でやってきたことである」ということ。それは、例えば中世の「又四郎」であるわけです。
そうした中で、教材化された内容の中に「ふたりの庄屋の話」というものがありました。
ひとりは、木下尚江の『懺悔』の中に出てくる非常に差別的な庄屋の姿でした。そして、もう一人が田中正造でした。「正造はえたを愛す」と題されたそのエピソードはこんなものでした。
「正造はえたと一緒に田畑を耕した。休む時には同じ瓶から水を飲んだ。夜になると、一緒にごはんを食べお酒を酌み交わした。そんな正造に向かって、まわりの人々は「やめておけ」と言った。でも、正造は「一緒に働いているんだから」とやめなかった。やがて、まわりの人々は正造も避けるようになった」
そして、このエピソードは
「正造、不便すること多かりき」
とむすばれます。
この話に触れた時、「やられた!」と思いました。そして、自分の生き方が決まったような気がしました。
父親が「尊敬する」と話した「田中正造」は、足尾鉱毒事件なんかで有名な「田中正造」ではなく、こうした日々の淡々とした暮らしの中で差別と闘う(向きあう)田中正造だったんだと、その時思いました。そして、父親がやってきた仕事は、そうした光を浴びることなく、日々の淡々とした暮らしの中で闘い続けてきた人々に光をあてることだったんだと、ようやくわかりました。
わたしは、大学を出る時、父とは「違う道」を選びました。ですから、わたしは「光をあてる側」ではなく、光はあたらずとも、日々の淡々とした暮らしの中で、地道に子どもたちとかかわっていきたいと思います。
ありがとうございました。

まぁ、途中「ん?」と思うところもありますがね…。特に最後のあたりが。わたしのことを知っている人たちは「うぷぷ」と笑っていましたけどね。

*1:実際にはそうではないことは、もちろんいいわけなんですが…

*2:もちろん、id:Yu-uさんとかのように気心の知れた人たちには「ぜひ来てほしい」わけで(笑)

配達&受けとり&うれしはずかし(笑)

職場の帰り、玖伊屋で残った腐りそうな食材をピックアップ。うちひとつをY子ちゃん宅に届けます。
ついでに、「あまってるからあげる」と言ってくれていたパイプハンガーを受けとろうと思ったのですが…。足の部分が長い!しかも、いつもの通りバイク…。
さて、どうするか…。
そうだ、バイクにくくりつけるんじゃなくて、体にくくりつけたらいいんだ!
気がついたので、やってみました。

なんか、縄目が変だよ(笑)

留守番

今日は夕方までパートナーがおでかけ。なので、わたしは留守番です。
それにしても、この間マジでバタバタバタバタしています。まるでなにかに追いまくられている感じ。そういう時は、たいていテンションが下がっていきます。ご多分に漏れず、なんとなく今日もテンションが下がり気味。
そこをなんとか上昇させて、昼ごはんは久しぶりのお好みです。
最近小麦粉も高くなってきたので、「生地」をちょっと少なめに。これが大正解でした。少なめの生地にたっぷりのキャベツ。ちょうど、キャベツを焼く「つなぎ」くらいの気持ちにしたら、焼き上がりがフワフワになりました。下の子どもがめずらしく全部食べきりました。まぁ、本人は「お腹がすいていたから*1」とか言っていましたが…。
で、午後。
ごろりとイスに寝転がると、となりになぜか「被差別の食卓」があります。なんとなく手にとると、結局最後まで読んでしまいました。まぁ、お好みのあと読むにはふさわしいですよね。
にしても、だんだんテンションが下がっていく…。

*1:寝坊して朝ご飯を食べなかった

激しい日の翌日は

朝、とてもではないけど「爽快」とはいかない目覚め。でも、いい天気です。てことで、午前中は、ちょっとおでかけ。
帰りにビールを買って、「休日の昼のビール」を楽しむことにしましょう。
昼からはパートナーは下の子どもを連れておでかけ。家にいるのは上の子どもとわたしだけ。まぁお互いに好きなことをやっていればいいわけで、ダラダラと新聞を読んで、ダラダラと本を読んで、布団にもぐり込むと寝てしまいました。あぁ、昼寝…。なんという贅沢(笑)。
ここで体力を回復しないと、来週が持たないしな…。

で、ダウン

2時過ぎにお店を出て、ひたすら駅を目指します。列車の時間に間にあうんだろうか。
それでもなんとか指定席[1]喫煙車両(;_;)に乗り込んで、あとは…。チューハイ一本が限界でしたよ。寝ている人もいました。昔だったらこんなことはなかったんだけどなぁ…。やっぱ歳やなぁ…。
かく言うわたしも、家に帰ってお風呂に入ってごはんを食べたら限界でした。8時過ぎにはバタン…。

footnotes

footnotes
1 喫煙車両(;_;