身近でない/ある

今日は帰りに買い物をしたいので車出勤。まぁ楽は楽ですね。しかも、朝は早い。だから、仕事に余裕ができます。のんびりとメールのやりとりをしたり、昨日の出張の復命書を書いたり。
今度のウトロの研修にも担任さんから参加したいという話があって、それもうれしい。
と、3年生対象のアンケートをしてもらうのを忘れてることに気づいて担当者のところに行きました。すると
「今年はないのかなぁ」
という声があったんだとか。いや、めんぼくない。
てことで、印刷。
印刷してると、別の学年の担当者が来られて、来年度の人権学習についての話。
「あの、担任団で話し合って、SNSについてやってはどうかという話が出たんですが…」
SNSかよ…。
「そんなことを人権学習でやらなきゃなりませんか?」
と思わず言ってしまいました。
おそらくネットリテラシーというか、もっというとネットいじめとかの話なのかな。しかしわたしが生徒の前で
「こんな投稿をしてはいけません」
とかいう話をしている姿はまったく想像できません。てか、そもそも、1年生の最初の世界人権宣言の授業で
「人権とは「差別しちゃいけない」ではない」
って話てるのに、それをさせるのかと。
しかも、話の中で「身近な差別」という発言がぽろりとあったそうで、それに反応してしまいました。
「わたしにとって、部落差別も在日外国人差別も障害者差別も身近なことですよ。というか、そもそも差別って身近なことですよね。それをそう捉えていないということこそが問題だと思います。だって、差別の話をする時に自分から遠いこととして話すことになりますからね」
ほんとにガックリ来ました。ただ
「もしもわたしがSNSについてやるなら、おそらくヘイトスピーチについてやることになるし、それは関東大震災までいく話になりますよ」
きっとわたしにとってのSNSの問題は私人間の話ではなく、そういう話なんですよね。SNSがつくり出す社会構造の問題。あるいはヘイトの三角形の問題。具体的には、例えばトランスジェンダー排除の問題。
一方で、カウンターもtwitterでつながりました。はじめて京都でカウンターのあと飲んだとき、誰も本名がわからないのに、ハンドルネームを言えば
「あぁ、あなたが」
っなった。そういうつながりもまたつくることができる。まぁそれはわたし(たち)とは立場を異にする人たちにとっても同じなんでしょうけどね。
なんか、ガックリきたけど、でも、ほんの少し「自分ならどんなことができるだろう」という気持ちが残ってることもまた確かです。
そんなことを考えながら、今日も授業です。
ひとつのクラスは特性方程式を使った漸化式の問題。もうひとつのクラスはグラフ描きです。とにかくこいつに1時間あげましょう。なんか、いろいろやってましたね。まぁよしとしましょう。
放課後は職員会議。今日も勤務時間をオーバーします。まぁ車だから今日は残るけど、よくないですね。みんな「大切なこと」と思うから、それに時間を使うんだろうけど、ほんとうに大切なことってなんだろうかと思います。特に今の職員会議のように、論議をするというよりも周知をするという内容の場合、ほんとうに大切なことってなんだろうかと思います。
まぁそんな感じで買い物をして帰宅。
と、Uりんちゃんからメール。
「今度の集まり参加します」
ん?今度の集まり?え?あ!
ダブルブッキングしてた_| ̄|○。
久しぶりやなぁ…。