いろいろ思う

朝、なぜか4時半に目が覚めました。そこからぐるくる考えがまわりはじめて寝られません。うーん、自分の未来がわからんなぁ。1年後なにをしてるかもわからないし、ましてや5年後とか10年後とか生きてられるんだろうか。
まぁ、これ、半分は自業自得ですが、半分はそういう社会だからです。
それでもいつもどおり出勤。朝イチ代講です。しかし、隣同士のクラスなのにぜんぜん違うなぁ。おもしろいなぁ。
代講から帰ってきたらF川さんからラインが入ってました。そうか、そのとおりやなと思い、一昨日亡くなられたK畑さんに弔電を打つことにしました。ちなみに、今は電報じゃなくてwebで打てるんですね。
文面をさんざん考えて、フォントサイズを15pまで落として、ようやく完成しました。もしかしたら、送っても読めないかも。
K畑さんとはじめて会ったのは、1993年の全同教大阪大会でした。同じ分科会でレポーターとしての参加でした。わたしは社研の活動を通して本名を名のったSのことをレポートしました。K畑さんはキジャという在日の生徒のことをレポートされました。
わたしの持ち味は軽薄さです。重みがない。一方、K畑さんのレポートは重い。対象的でした。で、はじめてのレポートだったので、K畑さんのレポートに飲まれて、わたしも重いレポートをしてしまいました。すると、当然のことながら鋭い質問がやってくる。それに答えきれませんでした。トドメを刺したのはキジャのアボジでした。
「お前は一生Sとつきあえるのか?」
今のわたしなら
「自分で立てばいい」
と言いますが、当時のわたしは
「はい」
と答えてしまいました。まぁ負けですね。そこからこてんぱんにやられました。
その経験がバネになって、今のわたしがあります。とは言え、アボジ連れてくるのは反則やろうとは思いますがね。それも今だから言えることです。
その後、なぜかK畑さんとは親しくつきあうことになりました。なんか、わたしがK畑さんを覚えてるのは当たり前だけど、向こうもわたしのことを覚えてくださってて、わたしは
「都同教クライ」
とかディスってるのに、なぜか声をかけてくださる関係になりました。年に1回か2回、全同教や日教組教研で会うだけだけど、会えばいろいろ話をしてました。
そういやこの時はふたりで代わる代わる発言して、えらいことになりましたねぇ。この時は飲み屋でばったり会ってビビったなぁ。
いろんなことを思い出します。
実践に対しては厳しい口調で語られるけど、目はいつもものすごく優しい眼差しでした。

おもろい人が、またひとりいなくなったなぁ。
おもろいひとに、なろう
まずは授業からか。さてと、午後は自分の授業だ。ダラダラやるか。