減塩食

土曜日の朝は猫の額。

今日も寒いです。ストーブ、ほとんど役に立ちません。朝ごはんを食べたら、猫の額の上にある屋根に積もった雪下ろしです。といっても、柱を寝かせて屋根の傾斜を急にするだけのことです。ドカンと落ちて気持ちいい。
今日の午前はipadにeSIMを導入しなきゃなりません。でもまぁ、あちこちのサイトを見ながらやればすぐにできそうです。PCを見ながらセットして、最後、ipadに表示されたQRコードをipadに読ませるの、どうするか悩んだけど、スマホで撮影して、それを読ませばいいことに気づいて、一件落着。あとはipadのトリセツをつくって母親のところに持っていきました。
が、帰りにひとつやり忘れていたことを思いだしたので、昼ごはんの後に再び母親のところに行ったのですが…。いらないらしい。てか、使えないらしい。えーと、ipadが使えなかったら、世界中の情報機器が使えないってことになるはずですね。まぁまた時間ができたら使い方を教えに行きますか。
午後はzoomのおべんきょ会。講師は石川准さん。前半は遅れたので聞けなかったけど、質疑応答から参加です。
おもしろいのはタイトルです。「アイデンティティを立ちあげない」。講演の中ではあまり触れられなかったので、当然質疑応答で出てきました。
これ、いわゆる「アイデンティティ・ポリティクス」を否定しているように思われるけど、おそらく違いますね。石川さんは「自分が見えないことを、ふだんは忘れている」と言われます。「別に、ふだんは困っていない」とも言われます。そして、たまに思い出す。「将棋で負けると悔しい。盤面が見えないので、30秒で打てといわれると、合理的配慮で1分にしてくれと言いたくなる」。
ある属性においてマイノリティとされる人は、常にその属性のことを考え続け、その属性で自分をアイデンティファイしていると、マジョリティは思いがちです。それは、うちの学校に来てくれた講師の人に対する生徒の感想を見ればわかります。でも、実際にはそうじゃない。その属性は、時に思い出すもの。で、それを思い出すのはどういう時かというと、その属性が「問題とされた」時なんですよね。
例えば、トランスの場合で言うなら、選挙や病院、あるいはパスポートの取得時みたいな時ってことになりますか。でも、ふだんはそんなことを意識しているわけじゃない。ただ、なぜ意識しなくていいかというのは、ここの状況によって異なります。同じ属性を持っていると周囲から見なされていても、ある人は意識しながら生きざるを得ないし、ある人は意識する必要がなかったりする。それは、その人とまわりの社会の関係性の中で差が生じる。ただ、その違いの原因を「その人」に求めるのは違う。きっと、「その人とまわりの社会の関係性」に原因がある。
となると、アイデンティティを意識せざるを得ないのは、「社会との関係において」ということになる。だからこそ、「アイデンティティを立ちあげさせる社会」に対して、「立ちあげない」「引き受けない」という対抗軸を設定する。
石川さんはこんなことは言っておられませんでしたが、なんとなくそういうふうに考えました。というか、聞いた瞬間は「めっちゃわかるわー」と思いました。
おべんきょ会のあとは、ワークマンに行ってみたり。ダウンがほしいんですよね。でも、限定商品なので、売り切れ。3軒はしごしてやっと手に入れたけど、手に入れたお店は昨日職場からの帰りに寄って買わなかったお店なので、なにをやっていたんだと。
で、家に帰って晩ごはん。今日はひとりで食べるので、減塩食です。スキレットにダシを少し張って、そぎ切りにした鶏肉と、「洗わなくていい野菜」を放り込んで、しゃぶしゃぶにします。それを溶き卵につけて食べる。これがおいしい。もしかしたら、ダシのもとの中に塩が入ってるかもしれないけど、それだけでじゅうぶんです。
おなかいっぱいになったので、もう少し呑んで寝ましょうか。