何回来るねん

今日は家族で崇仁新町です。パートナーは呑まないので車で移動。お店の人用の場所に車を置かせてもらうって、どれだけフリーダムやねん。でも、「ええよー」とのことなので、ええんでしょう。
とりあえず、ちょぼ焼きとおでんの盛り合わせと牛肉のしぐれ煮と思ったけど、しぐれ煮は売り切れだとか。てか、シャッター閉めてはりますよ。
い「なにがあるんですか?」
店「あわび煮」
い「他は?」
店「シューマイ」
い「ほな、シューマイを2つ」
パ「あわびも食べようよ」
マジか…。
シューマイ、おいしい!

大粒でジューシーです。
いや、やっぱり崇仁新町はいいなぁ。雰囲気もいいしおいしいし。
それにしても、みなさんやりたい放題です。奥の方にはなぜか雀卓が。

まぁご時世と言えばご時世ですな。賭けてはいないでしょう。たぶん。
てことで、家族も一緒なので、早めに帰りましょう。

肩がちぎれそうになったけど

今日はこの時のの2次校正を終わらせるぞと固く決意して出勤です。
講演を冊子にするために、わたしはトランスクリプト作成→1次校正→2次校正→講師チェック→組版というプロセスをふんでます。
トランスクリプトを作成する人、めっちゃ大変です。が、基本的には話した内容に忠実に作成してほしい。なぜなら、削除したものはもどせないからです。だだ、忠実に作成したものは、メッチャメチャ可読性が低いです。場合によっては改行すらない。それをとにかく読めるようにするために、上の子どもに1次校正をしてもらってます。ここでかなり読みやすくなります。そのうえで、わたしが2次校正をする。
わたしがやることは、トランスクリプトのミスの修正と見出しつけです。
トランスクリプトのミスって、あります。簡単に言えば聞き間違いです。これの修正は、音声データを聞きながらじゃないと無理です。なので、わたしは音声データを聞きながらチェックをし、さらに可読性を高めるための改行や修正をします。
なので、とても簡単に言うと、音声情報と文字情報を同時に見てるので、内容がメッチャメチャよくわかります。
で、今回それをやって、この間よりも深く理解したかも。
とても大切なのは「いじめと差別との違い」なんですね。差別の中にある「社会全体からの幾世代にもわたる歴史的な痛み、そして将来への絶望という痛み」が、おそらくキーワードなのかな。それこそがvulnerabilityというヤツなのかな。で、これは個々の人間に対してというよりも、それらの痛みを強いられる「カテゴリー」の問題なんですね。で、わたしがこの時に話した「傷つく資格」というのは、そのようなカテゴリーの話を個人の話にスライドさせてたんですね。だからうまく噛み合わなかった。
ただ、自分がなぜ「傷つく資格」にこだわるのかな。
それはたぶん、アイデンティティの話とからまる気がします。
例えば、部落出身である人がそうと知らずに部落へのヘイトを受けた時と、そうと知って受けた時と、傷つきは異なるのかってことです。まぁたぶん異なりますよね。ただ、異なるということは、「部落出身」というカテゴリーではなく「部落出身であるというアイデンティティ」というカテゴリーで考えなきゃならんのではないかと。ただ、ヘイトを加える側は、アイデンティティとか無関係なんですよね。そういうビミョーかズレにこだわってるのかな。
で、なぜそこにこだわるかというと、当然のことながら「傷つく資格がない」と思っていた「トランスいうカテゴリーを知らず」「自分を変態と思い」「変態への忌避感があった」「わたし」がいるわけです。同じトランスのわたしであるにもかかわらず「変態アイデンティティ」であれば「傷つく資格」がないと考え、「トランスアイデンティ」というカテゴリーに入れられた瞬間「傷つく資格」を他者から付与されたという感じなんですね。なんでそんなことにこだわるかというと「vulnerabilityはあるカテゴリーの成員であるというアイデンティティに付随して存在するものなのか、あるカテゴリーに対して他者から付与されるものなのか」ってことなんです。
本来的にはアイデンティティに付随すると思ってるんですよね。でも、Aというカテゴリーが「幾世代にもわたる痛み」を加えられていたとしても、Aが「カテゴリー」として社会から承認されていなければ、それは「幾世代」にはならずに「個人」になってしまう。そうなると「カテゴリーとして承認される」ことを通して「他者から付与される」ことになってしまう。
つまりvulnerabilityが前提とするカテゴリーは、そんなには自明ではないよなったことなんです。
マイクロ・アグレッションって、人種差別の文脈からスタートして、民族差別とか部落差別、女性差別・障害者差別へと概念を拡大させているのかな。ただ、それらのカテゴリーはカテゴリーそのものが「すでにある」ものです。が、いまだカテゴリーとして承認されていないものへは適用しにくい。そこがたぶんメッチャひっかかってるんだと思います。
まぁでも、自分のモヤモヤのありかがわかってたのはよかったし、それは「2次校正」という読み方をしたからこそなんだな。キーボードと半日つきあって肩がちぎれそうになったけど、やってよかった。

継承

今日はなにもないけど出勤です。いつもの電車に乗ろうと思ったら、安定の大遅延。てか、とまってるのかよ。振替輸送はめんどくさいなと思ったら、なぜか電車がやってきました。なんでも1時間遅れのだとか。なので、結局ふだんよりも早く出勤できました。
午前の後半はzoomをつかったおべんきょタイム。この間つくったレジュメを使っての発表です。「こんなんでいいのかな」とドキドキしながら発表したあとは、センセのコメント。よかった、案外うまくいってたらしいです。
ここからコメントとかディスカッションとか。勉強になりますね。なんとなくおぼろげだったMCDの利用の観察って、そういうことだったんだと。ずっと「MCDを利用して分析する」って思ってたけど、「人々が知らず知らずのうちに使ってるMCDの利用のしかたを分析する」んですね。それって、具体的には「わたしたち」が日常的におこなってるカテゴリー化の実践を顕在化させるってことなんですね。で、そのカテゴリー化は「ことば」をつかっておこなってる。なので、その「ことば」の使い方に注目をする。
まさに「発話は行為」ってことです。
ちなみに、センセによるとこないだの「おべんきょ成果」はEM的なものらしいです。自分でも気がついてなかったけど、たしかにそうかもしれません。おそらく「EM的なものの見方」が好きなのかな。

で、夕方は恒例の会議。2ヶ月ぶりの大阪です。新快速はガラガラでした。
会議の前にセルフブランチ。

会議そのものは「フィジカル・ディスタンス」をとっての進行です。ただ、会議のあとのひとときは、あまりディスタンスはとらなかったり(笑)。
そんな中、突然電話がなりました。21年前の卒業生からです。当時はやんちゃくれだったけど、今は社長をしてます。なんでも、いま、いろんなことがわかってきたんだとか。
卒「せんせ、おれな、いま毎朝3km歩いて出勤してるねん」
い「原チャとちゃうんや(笑)」
卒「こないだ「お金ないねん、めぐんで」っいう人がおってな、3000円持ってたから2000円渡したら、すぐにコンビニに行きやったわ」
い「へー」
卒「おれがやで。2000円もらうんと違ごて、やったんやで」
なるほど。カツアゲしとったからな(笑)。
卒「今の子らはどうや?義理人情わかる子おるか?」
い「減ったなぁ」
卒「熱血もおらんやろ」
い「それはおるで」
卒「そうか。せんせ、飲んでるんやろ。じゃましたな。切るわ」
い「うん、またな」
ふと思い出して電話してくれたのかな。すごくうれしかった。
それからもうひとつ。「熱血もおらんやろ」と言われたときに、暑い教員の顔が何人か浮かんだのがうれしかったです。
別にみんな同和教育をやってるわけじゃない。というか、そんなことは意識してないと思います。でも、やってることは同和教育に近いものがあったりします。
なんか「同和教育の継承」って言ってたけど、継承しなきゃならんのは、そういう「形」じゃなくて、「暑さ」なのかもしれません。「暑さ」が伝われば、子どもたちを見る目が変わり、子どもたちの姿を通して見る社会の見方が変わる。そして社会への接し方も変わる。
そんなもんかもしれないな。

てことで、視た

昨日「マジか」となったおそらくは原因の「目撃!にっぽん」を視ました。
最初に感想を言うなら「いい番組やなぁ」です。
なにがいいか。
あったことを淡々と話されて、それが淡々と流される。なにより「被差別体験」を話されない。単に「あったこと」です。例えば会社を受けて「朝鮮人やろ」と言われて落とされたって話がありました。でも「差別された」とは言われない。そういう意味です。て、その「あったこと」を「被差別体験」と考えるのは「聞き手」の問題なんですよね。
例えば、「朝鮮人やろって言われて落とされた」という語りを聞いて「朝鮮人差別にあったんや、許せへんな」とか「朝鮮人やから当たり前やんか」とか「また差別差別言ってるわ」とか、いろんなことを考える。それは、その語りを解釈する「わたしたち」の問題だってことです。「わたしたち」がどういう「ことば」の中で生き、その「ことば」によってどういう「文脈」の中で生きてるか。それが「語り」によって顕在化するってことです。
つまり、顕在化するのは「わたし」なんですね。
で、わたしはどう思ったか。
「人は歴史とか国家に翻弄されて生きるもんなんだなぁ」
です。
ちょうど昼間に安昌林選手のオモニと話していて、「あの子、いま日本にいないんですよ」と。「帰ってこられる予定は?」と聞くと「たぶん当分無理」と。そこにあったのは、ひとつはcovid19なんですが、もうひとつは「在日」という存在ゆえでした。なぜ安選手が日本にいないのか、なぜ当分帰ってこられないのか。そこには歴史とさまざまな国家間にある関係性の中で生み出される思惑とが交差しています。
そして夜に「目撃!にっぽん」のハラボジの話を視た。
おそらくハラボジは「朝鮮人やろ」と言われて落とされた時、悔しかっただろうなとは思います。でも、それが当たり前の時代です。だから、法務省に行くとか、民族団体に行くとか、日本人と共闘して闘うとか、そういう選択肢は考えもつかない。仮にそういう方法を思いつくとすれば、それはそういう歴史をつくってきたからこそ可能になる。だから、例えば民闘連とか「すげぇ!」って思うわけです。
恵さんの話もおもしろかった。「結婚という節目があれば帰化を持ち出せるけど、朝鮮人がイヤというだけでは親が悲しむから帰化したいとは言えない」。考えようによっては「結婚とか関係ないやん」とも言えるかもです。あるいは「ジェンダーが」とか「異性愛規範が」とか言うことも、もちろんできます。でも、恵さんにとってはそうではなかった。そこから恵さん個人のことではなく、恵さんがいた/いる恵さんを取り巻く社会が浮き彫りになります。
それは今のわたしも同じことです。個人として「マジか」とか「当たり前」と感じるひとつひとつの出来事をそう考えるってのは、歴史や国の思惑に翻弄されているなかで、自分がそう解釈してるからなんですよね。だからこそ、そう考える自分を分析することがおもしろい。そこで不可欠なのが、やはり歴史です。
例えば、「番地のない町」に住む人たちは「不法占拠」と言われた。でも、極端な話、平安時代は河川法なんてないから「不法」という概念なんてなかった。ある行為がどう評価されるかってのは、歴史や国に翻弄される。では、なぜ「不法占拠」せざるを得なかったか。番組の中に「立ち退き」というひとことがありました。立ち退き?どこを立ち退かなければならなかったのか。なぜ立ち退かなければならなかったのか。さらに、立ち退く前に、なぜ立ち退かされるところに住んでいたのか。そういう歴史があるはずです。それを通して「不法占拠」という行為が必然的なものとして理解できるようになる。そして「不法占拠」という言葉を聞いた瞬間に感じた自分が置かれた文脈が理解できる。さらにそういう自分が置かれた文脈が歴史や国の思惑に翻弄されながらつくられてきたことが理解できる。
そして、それを理解できるからこそ、そういう歴史や国の思惑に翻弄される文脈を変えうることが可能となる。さらに歴史や国の思惑そのものも変えることが可能となる。
そしてその切り口はどこにでもある。
「番地のない町」に住んでいた人が誰であるか、「番地のない町」がどこであるかを探ることに意味はないです。あの番組は、たまたま「番地のない町」を切り口にしただけのことです。その切り口は、「わたし」のまわりにもある。その切り口をみつけられるかどうかは、わたしの問題である。
そんなことを感じました。
最後に、「番地のない町」と「そこに住んでいた人」という切り口をていねいに聞き取ってこられた村木さんですね。そこには長い時間をかけてつくってこられた信頼関係がある。そのとてつもない労力は、きっと「ものすごく旺盛な好奇心」の先にある「自分一人に留めてはならない」というところに依拠してるのかな。そんな村木さんに感謝です。

やっぱり今日も「マジか」

ここまで来るとヤケです。でも、やはり「マジか」と驚くことがある。
今日は日曜日。天気は晴れ。まずは散歩です。家を出たときは涼しいけど、歩きまわるからか時間が遅くなるからか、家に帰ってくると汗ばむ感じです。
家に帰ってPCを開いて、ブログを書こうかと。で、アクセス数を調べると…。280?「マジか」…。ふだん30人ぐらいしか見に来ないこの寂れたブログが300近い?なにがあったんだ?どうやらみなさん、「目撃!にっぽん」を見て、その関係か東九条のフィールドワークの記事を見に来られたみたいです。たいしたことを書いてないのに、ありがたいことです。にしても、いったいどう検索したら、この寂れたところがヒットするんだろう…。
まぁそれはおいといて…。
今日もおべんきょです。
昨日は「あと少し」まで来ていました。今日はその「あと少し」を埋める日です。うーんうーん、えいや!とやって、とにかく「あと少し」を埋めてしまいました。
午後は某在日外国人教育関係のzoom会議です。ネット会議は疲れますね。たぶん、集中のしかたが違うんでしょうね。会議のあとは、下の子どものために買ったガジェットの設定。あかんな。モノクロでしか出力しない。返品だ!
あとは筋トレ→お風呂→ビールだな。
明日から平常勤務がはじまってしまう…。

今日も「マジか」

とにかく「マジか」が続きます。なんでなんだろ。ほんとに「マジか」という話なのか、はたまた自分の「マジか」感覚の閾値が低すぎるのか。
とにかく、土曜日です。が、雨です。散歩できません。仕方ないのでおべんきょです。が、とにかく難儀です。なにせ、座り机にPCを置いてますが、キーボードまで腕を上げるのがきつい。もう少し正確に言うなら、右手小指がデュプュイトラン拘縮で曲がってるから、そのぶん上にあげたい。なので、右肩があがる。ところが右肩をあげると肩が痛い。ダメダメです。なので膝の上にPCを置いて、後ろにもたれて打つというスタイルです。なんか不便。
てことで、午後に座椅子をゲット。ようやく体制が整いました。
そんなこんなで、おべんきょも少しずつ前進。いま掘ってるところはすでに三橋さんが掘ってくださってるのでありがたい。ただ、三橋さんだけに頼るわけにはいかないので、いろいろ調べながら進めていきます。
夕方「あと少し」を残して、やる気スイッチが切れました。
なので?崇仁新町へ。
お店に着いて、おかあさんに昨日から気になってたことを質問。すると
「そやで。まだ確定してないけど、そうなるよ」
とのこと。「マジか」。そんなに早く閉まるの?
しかたない。今日は飲みましょう。
それにしても、お店のみなさん、いつになくフリーダムです。いろいろ忸怩たる思いがあるんやろなぁ。
てことで、9時頃まで飲んで、さぁ帰りますか。

マジか…→再会

今日は最後の在宅勤務日です。
なので、朝は少し散歩。
家に帰ったら、おべんきょ再開です。
考えてみると、わたし、book listをつくらずにこれまでおべんきょしてました。ほんとにダメダメです。ただ、なぜそれができるかというと、ほとんど覚えているからです。じゃぁなぜ覚えてるか。記憶力がいいからじゃなくて、読んだ本が少ないからです(笑)。とは言え、さすがに「おべんきょ成果」のためには今のままではダメです。と、「excel使えばいいじゃん」と気づきました。ほんとに今ごろです。
ただ、文章を書いている最中に本とかペーパーにぶつかる。そしたら、それをexcelに書く。単にそれだけのことなんです。が、今までそんなことをせずに「おべんきょ成果」を書いてきました。ちなみにどうやっていたかというと、ザーッと書いて、あとから読み返してlistをつくっていました。どんだけ無駄なこと&リスキーなことをやってたんだろ…。てか、なぜにexcel使えばいいことに気づかなかったんだろ。
でも、まぁええわ。

で、昼前に脱出。ディピュイトラン拘縮の続きです。病院に行くと、やはりものものしいです。が、整形外科はガラガラ。なんでも4月から再診のみにしたんだとか。で、待合室に行った次の瞬間に呼ばれてしまいました。
今日も担当のお医者さんは楽しそうな笑顔です。で、衝撃の言葉が。
「いま、ザイヤフレックス、つくってないんです」
へ?マジか。
医「メーカーがつぶれましてね」
い「え?旭ファーマが?」
医「あれは取次店です。薬つくってる大本のメーカーです。うちも3月末までは在庫でやってたんですけど、今は在庫がないんです。たぶん、日本の中には1本もありません」
い「そしたら、手術しかない?」
医「でも、まぁそのうちどこか別のメーカーが買い取ってつくるでしょう。半年か1年たったら出まわるんじゃないですか」
そういうもんなんだ…。
医「えーと、前にザイヤフレックスを打ったのはいつだったっけ?」
い「ちょっと待ってくださいね」
ということで検索したら、ちゃんと出てきました。思わず看護士さんに「ほら」って見せたら爆笑されました。
ということで、ザイヤフレックスが復活する日まで、経過観察のために通院することが決定です。
まぁ進行していないからいいんですけどね。

家に帰って、再びおべんきょ。
今日使わせてもらうのはゼロ島さんの成果です。
自分なりにいろいろ考えて、この日見つけた5部作の続きはゼロ島さんと決めてました。そこから入っていくのがたぶんスムーズ。
ゼロ島さん、いつだったか「海外の判例を紹介してるだけ」って書かれてたことがあったけど、膨大な裁判記録の中からそれを見つけ出してくるのってすごいことだし、それを適切に位置づけて紹介するって、これまたすごいことです。でも、特例法ばかりが目立って、そういう地道なところが案外それが評価されていない気もします。
てことで、ここでゼロ島さんと再会できたのが、なんとなくうれしいな。今日はワインを飲もうかな。

マジか…→おべんきょ番外編

このブログで「マジか」で検索すると、かなりいっぱい出てきます。まぁそれだけ「マジか」なことが多いってことです。が、今日も「マジか」なわけです。
今日は出勤日です。なのでいつものように出勤。ただし、車を車検に出すので車です。いつもの時間に出るとメッチャ早い時間に着きます。
で、ゴチャゴチャ仕事。
と、勤務時間がはじまって間もなくメールが。読んでみると
「今週で在宅勤務は終了」
とのことです。
マジか…。
たしかに子どものことや学校の運営を考えると、早めの休校解除がいいでしょうね。なので前倒しになっていくのはわかります。が、個人的には予定がメチャクチャになります。
「予定ってなんやねん」
って話ですが、基本的には5月末まで今の勤務体制だろうと思ってたので、例えば肩のCTとか受診日も、ある程度安心して予約が入れられてました。それが一気に崩れました。
まぁ、病院の予約はいいけど、おべんきょがなぁ。
「そんなん個人的な話やないか」
ってことで、それはまったくそのとおりですが、通勤の時間がもったいない。その3時間だけでもかなり大きい。
教員たるもの「子どものいない学校はなにか物足りない」「子どもの声が響くのが学校」という感覚を持つべきなんだろうけど、ましてや人権やってる人間であれば身体レベルでそんな感覚が身についているべきなんだろうけど、「べき」からズレてるわたしは、悪い教員なんやろな。

そんなことをふと思ったけど、まぁしゃーないです。
気を取り直して、今日は「おべんきょ番外編」です。ターゲットは「学校の中のケータイ小説 : ケータイ小説をめぐる活動と成員カテゴリー化装置」です。こないだもらった宿題です。
はっきり言って、EMはむずかしい(笑)。なにがむずかしいって、言葉がむずかしい(笑)。「成員カテゴリー化装置」って、どんな機械やねんと思います。英語が「membership categorization device(MCD)」です。deviceとか言われたらdevice driverが浮かんでくるわたしにとって、あまりにもむずかしすぎます。
ただ、今回じっくり細かくと読んで、今まで知ってたMCDの理解よりも少し深まった気がしました。あと、なによりこの時のやりとりを思い出したのも収穫かな。
やはり責任持って読むもんやな。

復活へ

長い間乗っていなかったバイクですが、久しぶりに乗りたいなと。きっかけはこの日のくねくねです。実はおべんきょ成果を出してからと思ってたけど、まぁ励みになるでしょう。ところがその直後にアクシデントがあって乗れなくなってしまいました。
ただ「乗りたいなぁ」という気持ちはずっとあるわけです。なので、その気持ちを大切にしようということで、バイク屋さんに来てもらって修理してもらうことにしました。
かつてなら自分でやっただろうけど、テクも落ちてるだろうし、なにより時間がありません。
夕方、これもほんとに久々にバイク屋さんに行きました。前に来たのは何年前だろう…。おそらくおべんきょはじめた頃だろうから、9年前になるかなぁ。
バイク屋さんの空気は何も変わってません。ついでにおいてあるバイクも完全に時代が違います。
バ「エンジンかかるようにしたらええんやろ」
い「なんか、Kさんはフォークがどうとか言ってましたけどね」
バ「でも、パーツないやろうしなぁ。ディンプル加工したら1本目3万円やで」
い「げ」
みたいな会話。
い「今、フロントのフォークオイルはAshの40番が入ってますねん。前は58やったけど、柔らかくしたらよー動きますわ。リアのショックもガス入れてもらったし」
バ「いろいろあるなぁ。オーリンズよりもええちゃうか?」
い「そら、ガスの抜けたオーリンズよりはええですわ。そうそう。タイヤはどないです?」
バ「リヤはええやんか」
い「フロントは?」
バ「アカンな。フロントからいってまうわ」
い「ほな、フロントだけお願いします。BT45なんやけど、まだあるんですか?」
バ「どやろ。まだあるわ。超ロングセラーやな」
みたいな会話。
バイク屋さんのオイルの香りをかぎながらの会話は楽しいな。
肩がもう少しなんとかなったら、乗ろう。

クリティカルリーディング

今日はzoomでおべんきょです。ゼミに参加は久しぶりです。在宅勤務&おべんきょ場所の休校措置のおかげです。
ただ、zoomのおべんきょはあきませんね。まず、おべんきょ仲間はwifi環境にないみたいで、1日何コマかあったらカメラをONにするとパケ死するらしいです。なので、カメラはOFF。すると、互いの姿が見えない。
T「誰がこのテーマ、発表しますか?」
一同無反応。
みたいな感じです。まぁ、カメラを切ってミュートしてたらそうなりますよね。たぶんセンセ、不安だっただろうなぁ。
そんな中で、今日のテーマはクリティカルリーディングでした。
読書の方法は3種類。「鑑賞」「速読」「批判的読書」です。そのうち、おべんきょに必要なのは「速読」と「批判的読書」です。そりゃそーだ。てか、「速読」ってあったんだ。というか、それでよかったんだ。いつもおもしろいけど難しいからじっくり読んでしまって、「時間が足りない!」ってなってました。で、みんななんでそんなに文献読めるんだろうと思ってたんだけど、「速読」してたんだ。で、ノートとったりメモをつくったりするのは、そういうことだったんだ。
で、批判的読書、つまりクリティカルリーディングですが、これまたたいへんだなと。ただ、途中から「全称命題」とか「特称命題」とか出てきて、それの否定とか出てくると、「それって数学の命題じゃん」って話になってきます。後ろの方をパラパラ見ていると「逆・裏・対偶」とか出てきて、「これ、数学の教科書じゃん」と。
てか、おべんきょ生活9年目にして、今ごろこんなこと知った自分が情けないのですが、逆に「なんで今まで誰も教えてくれなかったの?」と(笑)。まぁもっとも、それを知らずにここまで来られたってのも、ある意味たいしたもんだとも思ったりします。シロウトってこわいです。
まぁそんな感じで楽しくおべんきょしていたのですが、なぜか来週の発表があたってしまいました。テーマはこれ。これ、前読んだな。てか、センセ曰く
「EMは…。いつきさんかな」
ってどういうことよ。ちょっとうれしいけど^^;;。
てことで、来週までにまとめをつくらなくちゃならないことになったけど、自分のおべんきょどうする?