「洞村移転の真実」

今日は某人権教育研究会のフィールドワークです。ただし朝は2時間ほど「隙間」があります。どうしたものかと思ったけど、同僚に「年休とろか」って言ったら「休み!休み!」って言われたので、朝は年休です。おかげさまで、少し片づけが少しできたかな。
で、畝傍御陵前へ。
昼ごはんを食べようと思ってた「きみちゃん」は定休日。失意の中ムラ中をさまよい歩くと、たこ焼き屋さんを発見!たこ焼きだけでなく、天ブラもあるので、フクとれんこんを頼みました。
フクでかい!

そして、たこ焼きうまい!

てことで、無事おなかの中にものが入ったので、「おおくぼまちづくり館」へ。
今日案内してくださるのはボランティアの吉住さん。外国人教育の関係で知り合いなので、いろいろやっておられるんですよね。さすがは奈良です。
ちなみに、わたしは洞村に来たのは3回目か4回目です。が、まだ一度も「山歩き」はしてません。今回はやっと行けるとのことで、楽しみです。
まずは前菜の講演「洞村移転の真実」です。「たいしたことない」とか謙遜されてたけど、さすがにすごいです。ところどころに「思想」が出てくる確信犯です。いいなぁ。
で、「山歩き」。今や、人が住んでた痕跡は、庭木にしていたシュロの木と井戸くらいしかありません。あたりは全国から持ってきて植樹した木に覆われてます。この「つくった感」こそが「神武」天皇陵なんですよね。
まぁしかし、この斜面で生活するのと、おおくぼの街で生活するのとどちらがいいかというと、そりゃおおくぼだろうなとは思います。でも、だからと言って、あとから来た「天皇陵」が「どけ」って言うのはアカンやろな。
そんなことを考えながら、しばしの山歩き終了。また探検したいな。
解散後、お友だちの車に乗せてもらうべくフラフラ歩いてると、灯籠発見。
「これなんやろ?」
って話してると、そこで植木を手入れしてたおじさまが
「おおくぼまちづくり館に行ってきたんか?」
と声をかけてくださいました。
い「はい」
お「これはな、踏切のところから持ってきたんや」
い「へー、そう言えば、近鉄はここ通ってなかったんですね?」
お「そうや。オレが小さい頃は向こうの国道の横を通ってた」
つまり、ムラの入り口にあった灯籠が近鉄が通ることで移転されたってことになるみたいです。確かに横を見ると「青年會」って書いてあります。
い「てことは、今は向こうとこっちは近鉄でわかれてるけど、もともとはわかれてなかったんですね?」
お「そうや」
い「ほな、あれも改良住宅ですか?」
お「そや」
なるほどなぁ。聞いてみるもんです。てか、よく声をかけてくださったなと。お友だちが「ブラタモリやな」って笑ってました。
さらに向こうには地図もあって、「大久保町」「四条町」って書いてあって、メッチャおもしろかったです。
案内されたあと、そういう知識を持って、もう少し歩いてみると、いろんなことがあるんだな。

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