当事者研究をめぐる対話か?

今日から1・2年生は平常授業です。幸い授業は4・5時間目なので、昨日やりきれなかった採点ができます。どにかくガシガシ採点して成績処理をします。その後ノートチェックをしたりして。そんな感じで、昼ごはんを食べてると、突然T田さんからメール。そこから怒涛のようなチャットがはじまりました。
テーマは「当事者研究」です。
発端は「トランスジェンダーとGIDは水と油か?」って投稿に、「ドレッシング」とか「マヨネーズ」とかいうしょーもないコメントしたところです。
まぁ「振ったらドレッシングになる」→「ほっとくと分離する」。「卵入れたらマヨネーズになる」→「なにかを介在させると乳化して分離しない」が読み筋です。
でも、障害学というか障害者解放運動とかの文脈で「社会モデル」と「医療モデル」って、もう対立してないんじゃないかなぁ。まぁそのあたりは熊谷晋一郎さんの話を聞いたころから「そんな感じなんだろなー」どは思ってたし、現実的に医療を拒否してやっていけるはずもないわけです。なので、こないだの浦野さんの話もストンと落ちてくるし、文脈が違うけど「再評価」って話も出てくる。
まぁ、「対立の構図」からはじまるけど「折り合う場所を探る」ところに落ち着くのは、結局、現実の生活は理論や理想だけでは送れないっていう、当たり前のことなんですよね。
まぁそんなあたりから「当事者研究ってどうよ」って話になりました。で、当事者研究についての文章とか文献とかいろいろ交換してたんですけど。
ふと「なんで相手がわたしなんだ?」と思うのです。だって、わたしごときを、T田さんみたいなバリバリの研究者の人がディスカッションの相手として選んでくれるって考えられない。でも、わたしとしてはありえないほどうれしいことです。
ひとりで考えるんじゃなくて、疑問を交換することで考えを深める。その時に、理想や理念を語るのではなく、文献やデータを使って考えを深める。わたしはそういうやり方をしたいなと思ってます。もしかしたら、T田さんは、だからわたしを相手に選んでくれたのかな。
でもそれはわたしにとっては幸せなことです。